いつまで日本の「静けさ」が高評価の対象になるか?
円安、株価上昇、インバウンド、地政学的なポジション・・・いくつかのポイントから日本の相対的地位が話題になっています。以下の記事は、相対的地位のあがったものに対して「追い風」と表現しています。
ぼく自身が、日本文化の空気に「安心感」を覚えたのは2022年春です。長く欧州に生活していて、こういう経験は初めてでした。
ヴェネツィアネのジュデッカ島でクラフトをテーマにした展覧会、ホモ・ファーベルの会場で日本からの出展作に接したとき、とても静かな作品の数々にホッとしたのです。
2022年春は、パンデミックもそろそろ・・・とイタリアの人たちは思っていた頃です(実際にWHOが収束宣言を出したのは2023年5月)。2020年前半にパンデミックに突入してからの2年以上、一度も日本に行っていなかったので、展覧会の会場で久々に日本の存在をダイレクトに感じて「あ、日本の人の表現ってこうだった。いいね」と思い出しました。
外国人が日本の文化に惹かれるのを追体験しているような気がしたものです。
同時に、違った側面についても思います。
ウクライナの問題が勃発しておよそ2か月、騒然としている欧州の状況のなかで、距離的に遠くにある国が心理的な安心感を呼ぶ。そこに作品の「静けさ」がダブったのです。
よく日本の人が「日本は平和ボケしている」と自虐的に批評します。あの時、「平和ボケ」そのものが、国際状況が緊張しているところで良い意味で「エアポケット」に見えたのです。
この僕の個人的経験が、それから2年に渡る冒頭に列挙した項目にある、インバウンド増加の背景を理解する礎になっています。ぼくの周辺でも「日本に行きたい」と言う外国人は数多いますが、共通しているのは「静けさ」への希求だと感じています。
静けさとは、文字通り「人々があまり喋らない」もあるし、個人が主張をおさえることもあります。ミニマリズム的表現も、そうした実態とつながります。
要は「動」に対する「静」の良さが日本には満載である、と。それが大荒れの世界情勢において輝いてみえてきたのです。
さて、冒頭のFTの翻訳記事は、次のような言葉で記事をしめています。
大荒れの波は早晩、日本をも覆うことになる。上記の文章は次の段落のあとにきているのです。
したがって、「世界の諸問題からの逃避先として今の日本が注目を集めているのは喜ばしいことだ。だが悲しいことに、桜と同じように長く続くとは思えない」と言うわけです。
国際的な絡みから若干距離があったこと、もともとある日本の孤立性および文化的特徴が招いてきた複数の要因による「静けさ」が、この日本の吸引力になってきていた。だから、文化的特徴はともあれ、近いうちに、それ以外について騒がしくなってくるのは避けがたい。
そのとき、サバイバルするには日本の人たちの国際コラボレーションの必要性の自覚と実践の馴れが勝負になると考えています。文化的特徴についてあれやこれや言ってもはじまらず、これしかないです。
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