見出し画像

SDGs時代の「企業努力」は「コスト削減」から「適正化」に変えていこう

きょんばんわ、メタバースクリエイターズ若宮です。

今日は「企業努力」について書きます。


かつて「企業努力」とは「コスト削減」だった

日本では「企業努力」という言葉がしばしば使われます。

昭和の時代には「企業努力」というとほとんど「コスト削減」と同じ意味でした。なぜならコストが削減できればその分だけ売上が同じでも利益を確保できますし、価格を下げられれば競争力が高まる(と、思われていた)からです。

このところ為替の影響や原材料費の上昇により、商品の値上げが増えています。

賃金が上がらない中で生活用品の値段が上がってくるのはいち消費者としてはなかなか厳しいものがあります… 消費者としては値上げをしないでいいように企業には「努力」してほしい、そう思う気持ちもあるかもしれません。


ちょっと前に赤城乳業の「ガリガリ君」の値上げとそのCMが話題になりました。

「値上げはぜんぜん考えぬ」
「値上げの時期は考えたい」
「近く値上げもやむを得ぬ」
フォークシンガーの故・高田渡さんの楽曲、「値上げ」が流れる中、神妙な面持ちの社長と社員が一斉に頭を下げる――。2016年4月、赤城乳業のおわび広告が話題を呼んだ。

ユーモアを交え、値上げをせざるを得ない、と説明して頭を下げる、ここまで言って初めて値上げが許される、それくらい値上げは悪いことで努力が足りてない、そういう価値観があった(ある?)ように思います。


しかし、原材料費の上昇や賃金も上がらない中でただ価格を安く維持することがよいことかというと微妙なところもあります。価格を上げられないために賃金が上がらず、賃金が上がらないので消費者の購買力は上がらず、故に価格をあげられない、いわゆるデフレスパイラルに陥ります。

消費者にとって同じものを低価格で手に入れられたら良いことのように思えますが、こうした価値観からの変化も必要だと思っています。「企業努力」の形も変わっていくべきではないでしょうか。


コスト削減の努力には搾取や持続性のなさにいきつく

なぜそう思うかというと、「企業努力」が「コスト削減」に偏ってしまうと前述の通りデフレスパイラルに陥りますし、もっといえば最終的には弱者の搾取に行き着くと思うからです。


SDGsの時代に入りエシカルな商品が注目されています。

たとえば「カカオ生産者はチョコレートの味を知らない」という話があります。チョコレートは高級品として売買されているのに、実際に原料のカカオをつくっている現地の農園で働く人たちはとても低い報酬しか得られず、チョコレートを一生に一回も食べられない。

アパレル業界でも、ファストファッション化によるコスト削減の名のもとに東南アジアで児童労働があったりしました(します)。でも、これだって企業のP/Lだけみていたらコストは下がっていて、「企業努力」の賜物にほかなりません。こうしたコスト削減は短期的収支としては効率的かもしれませんが、サステナブルではありません。生産力を搾取して生産者が続けていけなくなったら商品はつくれなくなり、長期的には持続可能ではないですよね。

また製造技術の海外流出や産業の空洞化などもコスト削減のデメリットです。


こうしたことの反省からSDGsが言われてきたわけで、サステナブルなビジネスモデルを築くためには、自社だけでなく関連するステークホルダー全体がヘルシーに事業を続けていけるよう、バリューチェーン全体を見直す必要があります。で、その結果エシカル商品もそうですが、生産者に適正な報酬を支払いサステナブルな仕組みにするとコストが高くなりがちではあります。


じゃあこれって企業は「努力」してないんでしょうか?


SDGsの時代の「企業努力」は「適正」にすること

コストを削減し価格を下げるだけではなく、これからはエシカルな商品のように、「適正価格」や「フェアトレード」のような価値をつくることが「企業努力」であるべきではないか、というのが僕の主張です。

今年メタバースクリエイターズというスタートアップをはじめたのですが、それも、クリエイターの報酬を適正化し、搾取のない環境をつくらなきゃ、と思ったからです。メタバース産業や市場がこれから拡大していく時に、クリエイターが適正報酬を得て、サステナブルに働ける環境が必要だと思っていて、なぜかというと、そうでなければ産業自体が成長していけないと思うからです。

なのでメタバースクリエイターズではクリエイターにお仕事をお願いする際に、クリエイターからの見積もりをもらって安すぎる場合「それは安すぎますね」とむしろコストを適正化する提案をこちらからします。正直思ったより安い金額を提示されたらそれで行ったほうがコストは安くなるので、会社の取り分を増やせるか安い価格の見積もりをクライアントに出せるので楽だではあるのですが、僕はメタバースクリエイターズに所属していただいているクリエイターはまじで業界トップ目だとおもっているので、トップの人たちが安く仕事を受けてしまうと、業界の水準も下げてしまうし、長期的には良くないと思うのです。

念のため言っておくと、別にお金を多く稼ぐ方がえらいとは全く思いません。もしそうなら薬物を売ったりYouTubeで誰かを傷つけたりしてもっとお金を稼ぐ方法はあるでしょう。そうではなく、サステナブルであるために、価格を適正化することは、長い目で見て大事だとおもうのです。

アート業界においても、適正なお金の流れはアートワールドの発展のために重要です。お金じゃない、と清貧幻想を追いかけたい気持ちはわからなくはないですが、食うためにアルバイトの時間のほうが多くなったり、下積みの美談でこれからの世代がつぶれてしまうのは、やっぱり本末転倒だとおもうのです。


少なくともギャラリストは、扱う作品の価格を下げて売ることよりも、アーティストの作品の価格を高める努力をするのが仕事だと思っています。売れるなら値下げしますよ、みたいなことはギャラリストにとっては「努力」の方向としてはあまり良くない気がします。

メタバースクリエイターズもクリエイターのクリエイターの報酬を適正化するために立ち上げたのですし、彼らの価値を高めることが結果としてメタバース市場全体の価値向上につながると考えています。


「適正化」のための「目利き力」と「説明力」

そして、ギャラリストのように価値を高めるために、これから「目利き力」と「説明力」が大事なスキルになると考えています。

市場原理から見ると、価格を高く設定するのは勇気がいる話です。なぜなら、売れなくなる不安とたたかうことになるからです。自社が適正な価格を提示したとしても他社が(旧来型の搾取によって)より安い価格を提示したら他社が選ばれるかもしれない。(日本の飲食店の異常に安い価格はこうしたチキンレースの結果ではないでしょうか。消費者としては短期的には助かりますが…)


たとえば弊社がクリエイターに適切な報酬を支払うことを第一に見積もりを提示したとします。この時、他社がコスト削減をして安い見積もりを出すとクライアントは低価格を選びがちです。(これ自体は悪いことではなく問題はなぜ安く出来ているのかの内実なのですが)安いところが仕事を取れるとなると結果的に値下げ競争になってしまいます。


これを避けるにはクリエイターや生産者も安売りせずに適正な価格設定を心がける必要があり、そのために「目利き力」と「説明力」が重要になってくると思っています。

「目利き力」というのはどういうことかというと、僕も大企業で発注側にいたのでわかりますが、クライアント企業側では「合い見積もり」という文化があります。で、「目利き力」が低いとアイミツを取ったら価格だけで比べてしまいがちだったりします。そうでないとしてもアイミツを取った手前、より高い発注先を選択するってなかなか難しいのです。

僕も発注側でベンダーを選定して何度も失敗した経験がありますが、本来、有形無形を問わず同じものというのは存在しないので、価格だけでなく質も考慮するべきです。こうやって書いてみると実に当たり前のこと過ぎてあれなのですが、でも、「質」のことはおざなりにされがちです。

なぜかというと、「質」は価格のように「量」化できるものに比べて捉えづらいし、説明しづらいからです。でも高付加価値商品では、単純な価格比較だけでなく、品質を含めた比較が必要です。アートを扱うギャラリストのように、どれだけの価値があるかを決め、それを適切に説明できる能力がないといけないのです。

こうした目利き力や説明力を磨き、単に「コスト削減」だけではなく、価格を下げるだけでない質を求めるのが「これからの企業努力」ではと思っています。

これはなかなか一社でできることではありません。バリューチェーン全体として、企業の中でも質を目利きし総合的に評価して、その価値を社内で説明していく力が必要になります。クリエイター自身も自分を安売りせず、適正に価値に値付けするマインドセットが必要です。社会全体として適正な価値をつくるスキルを磨いていくことが「企業努力」ではないでしょうか。



SDGsの時代においては、経営自体が目指す方向を変え、生まれ変わる必要があります。昭和の時代には、利益を増やし競合に打ち勝つため、「コスト削減」をする「企業努力」でした。しかし、SDGsの時代にはそれだけでなくサステナブルに続けていける経営が重要です。


そして、サステナビリティの観点を欠いた企業は、次第に選ばれなくなるでしょう。

半年くらい前、カルディの下請法違反問題がありました。カルディのような人気のお店でもこうしたことが不買の原因になります。昭和までなら下請けを搾取して安い価格で提供することが美徳だったかもしれませんが、もはやその時代は終わりつつあるのです。パートナーを含め、バリューチェーン全体で適正な価値を持たせることが重要です。

「買い物は投票」という考え方からすれば、消費者としてもサステナブルな「目利き」が求められます。


こうした時代において、「企業努力」とは「コスト削減」ではもはやありえません。目利き力や説明力を磨き、価値を高め、対価を適正化するスキルを身につけることこそが「企業努力」なのではないでしょうか。

みんなで「企業努力」の方向性を変えていきたいですね。

この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?