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ナレッジマネジメントにおける「分解」の可能性

ナレッジマネジメントにおいて、「分解」が重要なのではないか?という仮説があります。筆者は、人と組織の経営コンサルファームMIMIGURIで、ナレッジマネジメントに関わっています。その傍ら、ふと興味を持って手に取った『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』を読みながら、この仮説が浮かび上がってきました。

ナレッジマネジメントとは?

「ナレッジマネジメント」とは、組織の価値創造を目的に、組織や個々人が持っている知識を「資産」とみなして、活用することを試みるものであるとされています。(参考:CULTIBASE Lab「ナレッジマネジメント入門:知が循環する組織をつくる)

飲料メーカーの「ダイドードリンコ」では、営業の成功事例を共有しながら社会課題解決のアイデアを創出する「ダイドー塾」を通じて、ナレッジマネジメントを行っています。

「成功事例をまねしたら契約数が増えた」という声が続々と上がったといいます。また、飲み物の自販機に紙おむつを販売できるようにするなど、社会課題解決と自販機活用を両立したアイデアを新たに実装しています。

ナレッジマネジメント=マニュアル化ではない

多くの組織で、過去に生み出された資料やスライド、技法やアイデアなどが循環せずに使いおかれている状況を目にします。そのため「ナレッジマネジメント」を通じて、知識の循環をつくりたいという話をよく聞きます。

過去の一般的にナレッジマネジメントというと、過去の成功事例をマニュアル化して、行動として再現可能にするものであると捉えられているように感じます。

しかし、CULTIBASE Labによれば、「知識は⼈間より内的に形成されるものであり、相互作⽤を通じて組織間で共有・発展される」とあります。つまり、マニュアル化したとしても、その知識が意味あるものとしてその人の心の中に抱かれない限り、活用されないのです。そのため、対話型の研修やOJTでの知識の分かち合いを仕組み化することが重要です。

『分解の哲学』に学ぶ、知識創造

筆者が惚れ込んで読み耽った『分解の哲学』は、農学史研究者の藤原辰史さんによる書籍です。「分解」という言葉をめぐって、歴史学・SF・教育学を縦横無尽にひもといていくその探究は、私たちの好奇心を触発します。

本書によれば、「分解」とは生態学の言葉で、「生産」と「消費」に加わる第三の事象だそうです。

たとえば、植物は、無機物から有機物をつくる「生産者」。有機物を食べて取り入れる動物は「消費者」。そして生物の死骸や排泄物を無機物に分解する虫たちや菌類を「分解者」と呼ぶそうです。

「分解」の「解」は、「ほぐす」「ほどく」という意味があり、絡まった紐をほどき、また新たに結び合わさる予感と共に用いられる言葉であると言います。藤原さんは、服をほどき、サイズを変えたり当て布をしたりして「修繕」するプロセスに、分解者としての人間の営みを見てとっています。

私はこの本を読みながら、セーターをほぐして毛糸に戻していく人の姿と、土中で枯葉や排泄物を分解する微生物の姿が重なり合わさりました。

このイメージを借用するならば、ナレッジマネジメントは、過去に用いられた知識(事例や資料等)に絡みついた文脈をほぐし、そこから転用可能な要素を抽象化し、新たな活動に結び合わせる営みであると考えられます。

リフレクションとは「分解」である

重要なことは、過去の事例や資料に絡みついた文脈をほぐし、転用可能な地を抽出するための「リフレクション/省察」のプロセスです。これこそが既存の事例や資料を「分解」するプロセスであると言えるでしょう。

このリフレクションによる知識の抽出を、個人でやっても良いでしょうし、研修のような非日常の場をつかって行っても良いでしょう。あるいは、個人で発見した知識を、日常の活動の中で分かち合っても良いと思います。

過去の成功事例の分かち合いと、社会課題解決のためのアイデア創出が塾という場で行われているダイドードリンコの事例を見ながら、ナレッジマネジメントにおける「分解」の意味を考えさせられました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、赤ちゃんの発達や子育てについてのリサーチのための費用に使わせていただきます。