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「気前よく払うこと」と「情けは人の為ならず」


やってよかった自己投資?

30年も勤め人をやっていると、その時どきに勤めていた会社で研修に参加させてもらったり、短い留学をさせていただいたりもしたこともあるが、これは人様のお金。すなわち自己投資ではない。

こう考えてみると、自分の場合、自己投資はせいぜいマーケティングやその周辺・関連分野の読書くらいかな、と全く面白くない形で結論しかけたが、一つ思いついたことがあったので、雑文を記そうと思い立った。

筆者は22歳で企業に属し、仕事を始めた。

その職場では25年ほど先輩のFさんという方がいた。彼は私や私と同年代の同僚をを近くの居酒屋に誘うと、9時頃まで焼酎を飲み、1万円札を筆者らに握らせ、先に席を立って帰られていた。
「座って帰りたいから先に行く」「あとは若いやつで適当に飲んどけ」
人数が少ない時は、Fさんの1万でお釣りが来ることもあった。
筆者をはじめとする若い社員は、いつもFさんに感謝し、昼間はとてもおっかない彼に畏敬の念を感じていた。

一方筆者自身はというと、その可処分所得は、長らく少なかった。

20代前半は新入社員ゆえの安月給により、それ以降は世帯を持ち小遣い制となったことにより、財政はいつも緊張状態であった。

なので、例えば後輩と飲みに行く、自分のチーフのスタッフと飲みに行く、といった場合、筆者はFさんと違って、彼ら・彼女らの分を持つ、ということは、ほとんどしたことがなかった。

また、友人が立ち上げたイベントやネットワーキングの機会なども、あまり積極的には行かなかった。住宅ローンが目の前をチラつく中、限られた虎の子のキャッシュの使い道は、熟慮に熟慮を重ねたい。

そんな中、40代の後半、一身上の変化により、小遣い制から解放され、可処分所得が増えた。

そこで、それまでやっていなかったこと、すなわち、若い人の飲み代は持つ、いろいろな場所に積極的に顔を出す、といったことを試してみた。

すると、それが結構気持ちいいことである、ということに気がついた。

気持ちいい、とは、どういうことか。

後輩やチームスタッフが筆者と飲みに行くのは仕事の延長という側面が強い。「気持ちよさ」の中には、それにお金を払わせていることに感じていた、そこはかとない負い目から解放されたというのもあった。

が、それ以上に大きいのは、単純に感謝されるのが気持ちよかったのだ。
飲み代を持った時の「ありがとうございました」
どこそこに顔を出した時の「来てくれてありがとう」
良かれと思ってやったことに、フィードバックをいただける喜びがそこにはあった。

その時、当時のFさんに近い年齢になった筆者は、彼の気持ちが少しだけわかった気がした。

と同時に、それまでの自分の考え方を恥じた。

一身上の変化が起きる前の自分は、節約していたと言えば聞こえは良いが、要は出し渋りマインドが先に立っていたのだ。

Fさんには、筆者に起きたような変化は起きていなかった(と思う)。ので、今になって想像してみれば、失礼を顧みずにいうと、彼の可処分所得・財政はそんなに楽なものではなかったはずだ。

にもかかわらず、彼はいつも、筆者らのことを誘い、飲ませてくれていたのだ。20年の時を隔てて、ようやくそれがわかるとは。汗顔の至りとは、まさにこのこと。

気前よく払う、ということを意識して続けていると、程なくして筆者にさらなる変化が訪れた。
執筆やスピーチなど、副業的な仕事の依頼数がグッと増え、さらにその単価も以前と比べて一気に上がってきたのだ。

このことと「気前よく払う」ことの因果はわからない。けれども、筆者にはこれは「情けは人の為ならず」という真理が形になった一つの例のように思われる。

お金の使い方には、人それぞれの信念や想いがあるので、筆者のようにするのが良いよ、と人に勧めることはしない。

でも、これは筆者にとって、「やってよかった自己投資」のように思えてならない。



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