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男性が育児をすると褒められることの弊害

クリスマスイブから今日まで、一歳の息子が40度近い高熱を出し続けていました。喉が赤く腫れていたためか、母乳を飲まなくなり、その結果妻が乳腺炎になるという負の連鎖が起こりました。

さらに泣きっ面に蜂とでも言うように、3歳の娘も熱を出すという事態になり、家族で子どもたちの病院と妻の母乳外来に午前午後で行ったり来たりする1週間を過ごしていました。

そのなかで、印象的だった出来事がありました。

ぼくが必死の思いで子ども2人を連れて病院に行くと、「パパが1人で2人も連れてきてる!えらいねー!」と、看護師さんや待合室で待つママに言われたのです。

「男性が育児をすると褒められる」


ぼくは一瞬、「そうでしょ、育児頑張っててえらいでしょ」と鼻が高くなりましたが、すぐさまその気持ちを恥ずかしく思いました。

なぜなら、妻が1人で子ども2人を連れてきても、同じように言われることは少ないからです。

男性が育児をする時代だと言われて久しく、イクメンという言葉がもてはやされてから10年を超えました。社会が男性の育児参加を称賛することで、より男性の育児参加を促進しようと無意識のうちにしようとしているように感じます。

その結果、普段はほとんどの家事育児を妻が担っていたとしても、稀に家事育児のタスクをこなすだけで、えらい、立派、いいパパと言われる。その褒め言葉を内面化し、おれはえらいという肥大化した自尊心がぼくの中にないかというと嘘になるでしょう。

「育児する男性が褒められる」現象の弊害


男性を褒めるこうした社会の無意識の声には弊害があると思います。

褒められることで動機づけされていると、褒められなければやらないようになってしまうでしょう。また、スポットで家事や育児をした程度で褒められていては、それで良いのだと思い込み、家事育児を線ではなく点で捉え、実質10%程度しか家事育児をしていなかったとしても、「さっき家事をしたからいいだろう」「自分の時間をよこせ」と大仰な態度をとることもあるでしょう。

ぼくもそのうちの1人ですが、男性が女性とケア労働のリソースを完全に50%ずつ分け合うには、さまざまな工夫が必要だと感じています。

大黒柱バイアスとリソースの配分

NPO法人ファザーリング・ジャパンの理事を務める複業研究家の西村創一朗さんは、男性が稼ぎ頭として家族を支えるという固定観念を「大黒柱バイアス」と表現しています。男性は家計を支える大黒柱であるべきだと言う自他の思い込みから、プレッシャーを感じて苦しんだり、パートナーの女性のキャリアの選択肢を狭めてしまうといいます。

こちらの記事中では、男性のみが家計を担うのではなく、家計も家事も家族で分け合って暮らすライフスタイルが紹介されています。

無自覚に履いた下駄に気づく術とは

「男性には男性の生きづらさがあるのだ」という論調は最近さまざまなところで聞くようになりました。

しかし、男性の生きづらさと同時に見なければならないのは、男性が下駄を履いているという事実です。賃金や就労機会の格差はもちろん、先ほどのような「育児・家事をすれば褒められる」というようなミクロな優遇を男性たちはたくさん受けているのだということです。

自分がマジョリティとして、無自覚に履いている下駄に気づく工夫の仕方を、ぼくはまだうまく語ることができません。2022年も、この気づきの作法を探究する年になりそうです。

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