「己を知る」ために必要な「ありがとう」の言葉
社人研の2024年推計結果が発表されて、各メディアが以下のような記事をあげているんだが…
高齢者が増えるのは今に始まったことではないし(現に日本今世界一の高齢化率の国)、単身世帯が増えるって話も実際に世帯類型別で単身世帯が「夫婦と子」世帯を抜いてトップになったのは2010年の国勢調査段階だし、単身世帯が4割になるという推計も5年前の社人研の推計で発表していることであって、特に「急にふってわいた話」ではない。
高齢の一人暮らしが増えるのはその通りですが、その内訳は未婚の高齢者ではない。 65歳以上の高齢一人暮らしは、65%を女性が占めます。それは、夫と死別した婚歴有の高齢一人暮らしが増えるためです。また、年齢別にみても2020-2050年にかけて一人暮らし世帯数が増えるのは60歳以上のみで、それ以下の年代はすべて減少です。
独身一人暮らしというとつい若者をイメージしがちですが、若者の一人暮らしが多いのは大都会のみで、地方はほぼ高齢の婚歴有の女性の独身一人暮らしが多数になります。
最近では、男性の長寿化も進んだおかげで、妻より長生きするケースも多く、また熟年離婚も地味に増えているので、、高齢になってから一人暮らしになる男性も増えています。
「未婚の高齢者が増える」ということよりも実は深刻なのは、今後激増していくであろう元既婚の独身者の方です。
結婚しようが子や孫がいようが、望むと望まないかかわらず老後は誰もが一人に戻る可能性があります。
しかし、それをあまり理解していない(しようとしない)のが、現既婚者だったりする。
そんな記事を東洋経済オンラインにて書きました。
こういう記事を書くと決まって「悲観的なことを書くな」というのが出てくるが、悲観も楽観もなく、ただ現実はそうだという話でしかない。誰かと一緒にいる事を否定しないが、誰かと一緒じゃなきゃ自分を喪失してしまうのとは違う。
おかげさまで非常に読まれており、東洋経済のサイトでも24時間ランキング1位になりました。ヤフコメも700件以上も来て盛り上がっています。
特に以下のふたつは現場からの声として傾聴する価値はあるだろう。
当たり前の話だが、状況把握や起こり得る可能性を考えることは、人生においても、仕事においても必要なこと。
孫子の兵法に「彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」という言葉がある。「相手を知り自分を知るならば負けることはない」という意味で、戦争において諜報活動などの情報収集がいかに大事かということを説いている。
これからの高齢独身時代において、孫子のいう「相手」とは、まさに「結婚してもいずれはどちらかが先に死に、一人になる」という状況把握であり、「自分」とは「そういう状況において自分はどう生きていけるか」と向き合うことだ。
とはいえ、前者の状況把握(現実認識)は、特に本人にとって耳の痛い現実だと聞こうとはしないもの。カエサルの名言「人は見たいと思う物しか見ない」そのまんま。
願望はいいけど、自分にも訪れるかもしれない未来を見て見ぬフリして困るのは自分。
そんな人間の弱さを見越してか、孫子はこんなことも言っている。
「彼を知らずして、己を知るものは、一勝一負す」
相手のことを知らなくても自分のことを知っていれば戦いは五分五分である
見たくない現実を見ないままにしていても、せめて「自分」のことを把握していればなんとかなるかもしれない、というもので、それこそ「自分は一人になった場合にどう生きていけるのか」を自分自身に問うことだろうと思う。
勘違いしないでほしいのは、「一人で生きること」とは「誰のチカラも借りずに一人でなんでもできること」を意味しない。それは「自立ではなく孤立」というものだ。
むしろ「一人で生きる」とは、状態として独身とか一人暮らしなどの「一人」だとしても、頼れる誰かかいると信じられる精神的自立を培うことである。
同じ屋根の下に暮らす誰かである必要はない。それこそ血のつながった家族や友達である必要もない。家族や友達しか頼れないという窮屈さの方が人を孤独にする。
孤独に苦しむ人の共通の特徴がある。
それは、誰かに面と向かって「ありがとう」をしばらく言えていないのだ。礼を言うことができないというのではなく、自分が「ありがとう」を言う機会を作れていないということ。特に、仕事を定年退職した場合にありがち。
誰かに「ありがとう」を言えるということ必ず誰かが何かをしてくれた「他者とのかかわり」の証である。そんな大袈裟なものでなくてもいい。道を教えてくれたレベルの話でもいい。毎日の買い物をする店員に対してでもかまわない。
「ありがとう」を言えない奴に限って「俺は…俺は!」と自分のことばかり言う。そうやって「すごいですね」と言われようとする。そんなんいらない。お前が何者かなんてことは他人は興味ない。
誰かに「ありがとう」を言える心の余裕ができれば、自然にあなたも誰かから「ありがとう」と言われる存在になる。「ありがとう」と言ってもらいたいから何かの行動をするのではなく、自然に「ありがとう」の応酬ができるようになる。
それは「何事も自分一人のチカラで成し遂げているなんて思い上がりから解き放たれる」ことでもあり、「一人で生きていても、決して一人ではないことがわかる」ということでもあり、それが「一人で生きる」と向き合うということでもある。
また、家族がいても、友達がいても、大勢に囲まれているのに「孤独感に苛まれる」人は、もしかしたら「ありがとう」を言えていないのではないか?