見出し画像

ハロウィンに見る「日本人のコスプレDNA」

© PHOTO AC

今年もハロウィンの季節がやってきました。

昨年の渋谷スクランブル交差点は、さながら「革命でも起きたのか?」と思うほどの混雑ぶりでしたが、今年は当日が平日ということもあり、メインは27~28日の土日だと言われています。ハロウィンに参加しない方は渋谷には近づかない方が賢明です。身動きがとれません。

ハロウィン=渋谷だとお思いでしょうが、最近は池袋も熱いようです。世界各国のコスプレイヤー1万人が集結したコスプレフェスというのが開催されていまして、昨年も8万人以上集客したようです。

https://animeanime.jp/article/2018/08/02/39148.html

ところで、このコスプレをするという文化。最近のことだと思っていませんか?

ハロウィンに見られるコスプレして町を練り歩くなんて行動は江戸時代からありました。今から180年前、天保十年-1840年、京都で大流行した仮装踊りを表した『蝶々踊図屏風』にも、タコやすっぽん、なまずのコスプレをして踊る人達が描かれています。

今の渋谷のスクランブル交差点と変わりませんね。そして、ひとつひとつのコスプレのクオリティの高いこと。

歌川広重が描いた「東都名所高輪二十六夜待遊興之図」という浮世絵にもコスプレしている様子が描かれています。

二十六夜待ちとは、旧暦七月二十六日(現代だと八月中旬から九月中旬の間)の夜に、念仏を唱えながら昇ってくる月を待つというイベントです、そういった信仰的な意味合いより、月が昇る明け方まで飲んで騒ぐオールナイトカーニバルとして栄えました。寿司や天婦羅などの屋台が並ぶ前を、タコのコスプレで参加した男たちが楽しむ様子が描かれています。江戸の人たちは、なぜかタコのコスプレがお好きなようです。

吉原でも「吉原俄(よしわらにわか)」という仮装踊りイベントが毎年8月にあって、いつも主役の花魁ではなく、普段郭(くるわ)の裏方をしていたかむろや若い衆などが仮装し、主役となった即興寸劇もありました。明和(1764~1772)~天明(1781~1789)頃に盛んでした。

そもそも、「祭り」というもの自体が、普段の日常である「ケ」に対する「ハレ」の日であって、日常ではない特別な日において「仮装」というのは「普段の自分ではない自分」になるための恰好の手段だったのでしょう。地方の成人式の衣装がコスプレ化しているのも、そういうことです。

そう考えれば、コスプレは日本人のDNAに根付いているものなのかもしれません。渋谷で大騒ぎする若者に眉をひそめる大人たちも、ご自分が若かった頃は、肩幅の広い服を着てディスコで踊りまくっていたわけですから。あれも今見たらコスプレみたいなもの。お互い様です。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。