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自分のパーパスを、会社にゆだねてはいけない。

パーパス経営という言葉をよく耳にするようになりました。大手企業であれ、新興企業であれ、会社の「存在意義」「志」を定めることが重要だ、と。

企業にとってパーパスとは何か。「存在意義」と訳されることが多い。
「会社はなんのためにあるのか」を問い直し、そこに経営の軸を置くのがパーパス経営の本質だろう。

「パーパス」って、比較的「ミッション」に近い言葉のように思うのですが、なぜ、言葉が変わったんでしょうか。もしかすると「ミッション」って何かやらされ感というかプレッシャーを感じさせるものなのかもしれませんね。株主と約束してやらなければいけないこと、みたいなニュアンスを感じなくもありません。

加えて言うと、「ミッション」と同時に「ビジョン」ということも語られます。これは「ビジョナリーカンパニー」が流行ったあたりからなのかなと思いますが、ビジョンって、比較的ゴールに近いイメージがありますよね。ところが、ここまで変化が激しくなってくると、何か明確な「ビジョン」を描いても前提条件がどんどん変わってしまうということになりかねず、ビジョンを示しても判断できないことが増えているのでしょうか。

そんな経緯で、ミッションでもビジョンでもなく、パーパスと言われるようになった。

では、パーパスはだれが決めるのでしょう?会社のパーパスは経営者ですかね。では、その会社に所属している、個人のパーパスはだれが決めるのでしょう?会社が決めたパーパスに従うのが個人、だから会社のパーパスが個人のパーパス、となってしまうのだとしたら、それは違うんじゃないかな、と思うのです。だって、パーパスを「存在意義」と解釈するのだとしたら、自分の存在意義を会社にゆだねることになっちゃいます。

ミッションとかビジョンと言っている時もそうだったと思いますが、個人のパーパスを、会社のパーパスで覆ってしまってはいけないのだと思うのです。むしろ、会社のパーパスとは切り離して、自分自身のパーパスをしっかり持っておくこと。自分は何のためにこの会社にいるのか、なぜこの仕事をしているのか。そういうことをしっかりと自分の中に持っておけると良いですよね。

企業がイノベーションを必要とする中で、多様性が重要視されます。そこでいう多様性って、何も外から持ってこなくても、本当はすでにあると思うのです。働く人、一人ひとりが違う経験を積み、違う価値観を持っているはず。そういうものをしっかりと発揮できれば、企業の可能性は広がっていくはずです。裏を返せば、会社にとっても、会社のパーパスが個人を覆っているのは望ましくないのです。

図1

パーパスということについての議論が増えたのはとても良いことだと思います。これをきっかけに、自分の存在を会社の内側にゆだねるのではなく、主体的に考える人が増えたらいいな、と。会社から「うちのパーパスはこれ」って言われたときに、自分はどう感じるのか、どこに共感するのか、自分のパーパスとどこが重なっているのか。

今、自分自身のパーパスを考えてみる良いタイミングなのかもしれません。自分の感情を大切に、働ける人が増えるといいなと、願っています。

それでは。


追伸
私たち、ローンディールという会社では、そういうパーパスを見つけるために「はみだす」っていうことが大事なんじゃないかと考えています。もちろん外に飛び出して挑戦すれば、自分のパーパスを見つけることはできるかもしれません。でも、いきなり飛び出せる人は多くない。別に飛び出せることが偉いわけじゃない。だから、ちょっと「はみだし」てみる。そうすると、少しずつパーパスの輪郭が見えてくるのではないかな、と。そんな機会を増やしていけたらいいなと思って、個人の方を対象にイベントをやります。ご興味があればぜひご参加ください。


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