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「10倍の夢」が生み出す未来の道しるべ【コミュニティ思考を語ろう②】

 Potage代表、コミュニティ・アクセラレーターの河原あずさです。コミュニティづくりの専門家として、ファンコミュニティづくり、組織づくりのお手伝いをしています。

 前回のCOMEMO記事から「コミュニティ思考」について語っています。(あわせて、Voicyで音声コンテンツも公開しているので、もしご興味ありましたらそちらも聴いてみて下さい!)

 複雑性を増す現代社会においては、つながりや共感が新たな価値を生み出す原動力となっていることに異を唱える人はあまりいないかと思います。コミュニティはそれくらい大事な概念になっていますが、いかんせん、体系立てて「なぜ今の時代にコミュニティや、コミュニティ形成に重要なマイン度セットが重要なのか」を語る文章は、あまり存在していないのでは?と個人的には感じています。だったら僕がやろう、という動機で連載コンテンツとしてこの「コミュニティ思考を語ろう」を書き始めました。

 僕は、社会が今直面している課題への対応策を見出し、より豊かな社会を築くための鍵が「コミュニティの力」にあると確信しています。このコミュニティ思考に関する論考が遠くない未来に、より個々人や社会の可能性を解き放つきっかけになることを祈りながら執筆するので、どうぞ2回目もどうぞご笑覧下さい!

連載の第1回は↑です!ぜひあわせてお楽しみください!

記事をみてピンときたらこちらのホームページよりお気軽にお問合せ下さい


誰もが実感できるビジョンの重要性

 「コミュニティ思考」には3原則というものがあります。「ビジョンを行動基準にする」「仲間と対等に接する」そして「仲間のためにも行動する」というものです。今回はまず「ビジョンを行動基準にする」について、お話ししたいと思います。

 「ビジョン」というと、皆さんどんな印象を持つでしょうか。少なくない方が「ビジョンなんて言っても自分には関係ないんじゃないか」「なんか意識高い言葉だなー」という感想を持つのではと思います。ただ僕は、このビジョンという言葉を、会社員や社会人や学生や主婦などのいわゆる「普通の人」にとっても馴染みある存在にして、だれもが言語化できる状態にしておくことが大事だと考えています。

 ビジョンと言うと、企業がうたっている企業理念のようなものを想像される方が多いだろうと思います。「世界平和」のような、抽象度が高くて、言うことだけ大きい。そういうものを想像されるかもしれません。

 ただ、僕の個人の感覚でいうと、特に個人が持つビジョンは、もっと具体的で、もっと小さなことが起点になっていいと思っています。ちょっと思い返すと、みなさんにはきっと「生きている中で、こういうことは実現してみたいなあ」とか「こういう風に暮らすのが理想だなあ」というイメージが、ほんの少しでも存在しているのではないかと思うのです。例えば育児中の方であれば「子供が健やかに元気に成長してほしいなあ」というのもそうですし「将来は田舎に引っ込んで畑でもしながらのんびり過ごしたいなあ」というものも「バリバリ生涯現役で働いて経済的自由を獲得したい」というものも該当します。

自分軸での決断が人生を豊かにする

 これらは「何がいい、何が悪い」というものでもなく、それぞれ個人の「生きるスタンス」です。大事なのは「生きるスタンスを決める」ことで「生きるスタンスを判断基準にして行動の選択できる個人」になることです。

 会社員の例で説明します。「そろそろ40にもなって、頃合いだから、課長昇格試験をうけなさい。人事部からも誰か幹部候補者出してくれと言われててさー」と上司から言われる場面に遭遇したとします。そのときに「上がそういうなら受けようか。出世したほうがいいに決まってるしな」と他者軸で選択するのではなく「自分自身の理想の働き方やライフスタイルはこうだから、こっちを選択しよう」と、自分軸で行動を決める。「生きるスタンスを判断基準にして行動の選択できる個人になる」とは、そういう「自分軸で行動を決められるようになろう」ということなのです。

 この選択を他者軸にゆだねて、結果、間違えてしまうと「自律」ではなく「他律(造語です)」な状態が生まれます。自律が、自分の足で立って自分で考えられる状態だとしたら、他律は「他人に意思決定が引きずられている状態」のことを指します。その状態になれると「他人の判断でしか動けない人」になってしまいます。結果としてうまくいっていればそれはそれでいいのかもしれませんが、ひとたびボタンの掛け違いのようなことが起きると、自分のアイデンティティが分からなくなって、どう生きたらいいのかを見失う状態になり、結果として「孤独」「孤立」に陥ってしまうことにもなりえます。

 そうじゃなくて「自分の人生は自分で決めるもの」であり「自分がどういう風にありたいのかを起点に、自分で行動を選んでいく」のが、人がより健やかに生きていく上で、大事なのです。

 世の中には、無数の「べき」が存在しています。「サラリーマンたるものこうあるべき」「親たるものこうあるべき」「父親は、母親はこう」などなど、数々のステレオタイプな「べき論」で社会は溢れています。しかし、そのほとんどは、「周りから、いつの間にかもたらされた価値観」です。子供のころからそのような「外の価値観」にさらされ続け、外の価値観でもって評価され続けると結果として「他律な状態」になれてしまうことも少なくありません。

 しかし、個人が成熟するためには、成長の段階で「自分なりの判断軸」をつくることが大事になってきます。それをつくった上でしっかりと「自分なりの判断軸」を運用して行動につなげていくことが、幸せな人生につながっていくのです。

未来を拡張する「10倍の夢」

 先ほど、ビジョンは具体的で小さいことが起点でいい、と書きました。加えてもう一つ、ビジョンについて僕がよくお話していることがあります。それが「ちょっとでもいいので、この夢のスケールを大きく考えてみましょうよ」という話です。

 僕は「ビジョンづくりの研修」をよくやるのですが、その時に、以下のような手順で進めています。

 まず参加している方々に「自分なりのちっぽけな夢」をいくつか出してもらいます。先ほど書いたような「子供が健やかに元気に成長してほしいなあ」「将来は田舎に引っ込んで畑でもしながらのんびり過ごしたいなあ」「バリバリ生涯現役で働いて経済的自由を獲得したい」というような粒度です。それをいったん言葉に出してもらった後に、試しに「スケールを10倍にして言語化してみる」ワークを行います。

 これを「10倍の夢」とシンプルに僕は呼んでいますが、この「10倍の夢」を言語化してみることが「自分のちょっと先の未来の理想のイメージづくり」にすごく役立つのです。

 誰でも持っている小さな夢に対して制約を外して、ちょっと大きめに考えてみたときに、どういう状態が自分の本当の理想なのかが思わぬかたちで言語化されることがあります。これがこの「10倍の夢」を言語化することの狙いです。

 もちろん、スケールを大きくした夢は、そうそう簡単には叶いません。ざっくりですが、夢はその気になれば1年ちょっとで実現できるもので、それを10倍にしてみると「10年後くらいにひょっとして叶うかな?どうかな?」というレベル感のものに変化します。

 この「10倍の夢=10年ぐらいのスパンで叶えたい理想の自分」をまず定義して、次に何をやるかというと、そこに近づくためのステップを逆算してつくります。理想の自分を起点にして逆算して「今なにをすべきか」を考えて行動できると、それを繰り返すことで「夢を実現するための着実な歩み」を実践することができるのです。

 もちろん、10年後なんて想像できない!という方は多いでしょう。僕自身もそうです。しかし「理想の未来」を常にイメージし続けられる状態をつくって、ちょっとずつそこに向けて歩みを続け「この10倍の夢はちょっと違うな」と思ったら、ちょっとずつ修正を加えていくと、数年経ったときに、それまでの自分からは想像もできないような、価値観も含む大きな変化を遂げていることがあります。それこそが、僕が言う「ビジョンを行動基準にする」ことの効能です。

 それができるようになると、一言で言うなら「ぶれない人生」を送れるようになります。人の意見に振り回されない、引きずられない、自分の承認欲求に振り回されない。そういう状態をデザインして、自分自身が理想の状態を叶えるために何ができるのかという視点で行動を選べることが、人生を豊かにするのです。

 というわけでコミュニティ思考の大原則の一つ目「ビジョンを行動基準にする」について解説しました。次回は「仲間と対等に接する」について解説していきます。

組織開発におけるビジョン・ミッション・バリューの大事さを教えてくれる記事です

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