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日本の半導体はなぜ沈んでしまったのか?

 今日は年の変わり目である。この機会に伝えたいことを書きたい。

 日本の産業競争力についてである。反面教師が半導体である。

 下記の記事では、日本の半導体に反する技術情報が韓国に漏れたことにフォーカスが当てられている。

https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20181224-00108787/

 しかし、今の時代、どちらにせよ情報を囲い込むことでは競争力は長期には保てない。

 日本の半導体が沈んだ理由は、もっと単純に、同じ製品を国内で沢山の会社がやって、リソースを分散させてしまっていたことが大きい。DRAMなど国内のほとんどの電機メーカーがやっていた。何社がやっていたのだろう。これに対し、ある製品分野を、一社か少数でやっている分野は、半導体でも今もそれなりに頑張っている(ソニー、東芝、村田、ロームなど)。
 さらに本質的なのは、これを修正する経営の「自己革新力」が弱かったことである。これは80年代の日本の成長による成功体験の影響が大きく、そのネガティブな面が出たということではある。しかし、変革を常とする経営ができてなかったことが大きな課題であったことは間違いない。
 以上からの教訓は、生き残るのは、他がうまくいっていることをやることではなく、他がやらないことをやること。しかも、そのための自己変革や実験と学習を倦まず弛まず行うことである。

 これは実は、生物が、生き残りのために常に行っている「進化」そのものである。会社も生き残りたければ、素直に「生物に学ぶ」必要があるのだ。

 ダーウィンは『種の起源』の中で「進化は進歩ではない」ということを強調している。むしろダーウィンはいう、進化は「多様性を生み出すメカニズム」であり、それを常に倦まず続ける動的な営みなのである。スタティックに正しい戦略があって、それを選択したか、選択しなかったかによって正しいか間違いかが決まるという考え方とは大きく異なる。

 これを簡潔に表現した言葉がある。「永久の未完成これ完成である」。これで宮澤賢治は農民芸術概論(1926年)を締めた。新しい年を迎えるにあたり、未完成をいとわず、常に挑戦する年にしたいものだ。

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