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「ケアする職場」は可能か? ーデザイン研究から考える「ピア・マネジメント」

「1人のマネージャーが、複数のメンバーをケアする」という構造はもう限界だと感じています。

私は、経営コンサルファームMIMIGURIに所属し、10人のチームのマネージャーを担っています。MIMIGURIは、「軍事的世界」から「冒険的世界」のパラダイムシフトをとらえ、一人ひとりが「探究テーマ」に基づくキャリア形成をしながら、対話と共創による組織・事業づくりを提案しています。

日々、マネージャーとして仕事をするなかで、「マネジメントはマネージャー1人がやるものという前提ではもう無理だろうな」と感じるようになりました。

そこで私は、「マネジメントはみんなでやる。マネージャーはその責任者」という前提に立ったうえで、「みんなでやるマネジメント」を「ピア・マネジメント」と名付けて、探究したいと考えています。今日はその探究について書き綴りたいと思います。


「ピア・マネジメント」が必要な3つの背景

「マネージャーがメンバーをケアする」という構造が限界だと感じる背景には、「メンバーのケアのニーズに対して供給が間に合わない」という現象があります。その理由は3つあります。

❶目標達成とリソースのケア

ひとつは、メンバーの目標達成とリソース管理のケアです。マネージャーは各職場がもっている目標を達成しなければなりません。一人一人がそれを達成できるように業務を組み立て、リソースを使いすぎず余らせすぎず、健全にむかっていけるのが理想です。しかし、業務は1人で行うものではありません。また、1人で悩み抱え込んでリソースの配分を間違えてしまうケースもあります。そうした状況をケアする必要があります。

❷キャリアデザインのケア

また、メンバーの中長期的なキャリア形成の支援も、重要なマネジメント課題です。とりわけ、MIMIGURIが提案するような「探究テーマ」をもってキャリアをつくっていくには、内省し、周囲に表現し、対話をする機会をつくる必要があります。1on1でのコーチングやチーム内での対話を支援するなどケアが必要になるのです。(「探究テーマ」にもとづくキャリアデザインは、MIMIGURI Co-CEOの安斎勇樹さんが発信しているので、ぜひ聴いてみてください。)

❸メンタルケア

加えて、メンタルケアの問題です。現代は風邪をひくようにメンタルを崩す時代になっていると感じます。適応障害やうつ病の診断数は増加し続けており、職場を起点としたものも多く存在します。厚生労働省が作成しているページの事例を見ると、職場でおこった適応障害から職場復帰を支援するには、マネージャーのケアが必要不可欠であることがよくわかります。

そして、❶と❷と❸はどれも相互に関係しています。リソース調整ができないとメンタルの不調につながります。メンタルが不調になると、仕事を通じて「探究」をする余裕もなくなります。

ケアのニーズに対して、供給が間に合わない

このように複合的に問題が絡んでいくなかで、従来の「メンバーのケアはマネージャーが行うもの」という考え方では、一人ひとりのケアのニーズに対して供給が間に合わなくなっています。別の言い方で、管理職が「無理ゲー」とか「罰ゲーム」であると言われていることと類似した問題意識でしょう。

だからこそ、みんなでケアを提供し合う分業と調整のシステムとして、「ピア・マネジメント」というものを提案したいと思っています。

ここでは、ひとりひとりの「探究」と、それを業務のなかで推進する「機会」、そこに用いる時間や労力などの「リソース」、それらを通じた「目標」の達成を、メンバー同士が互いにケアし合う職場が理想としています。

デザイン研究から考える「ピア・マネジメント」

デザイン研究からのヒント

この「ピア・マネジメント」という言葉にインスピレーションを与えてくれたのは、イタリアのデザイン研究者エツィオ・マンズィーニ氏の『ここちよい近さがまちを変える ケアとデジタルによる近接のデザイン』という本です。

マンズィーニ氏は経営学者はありません。デザイン研究者です。彼がどのような人なのかは、翻訳に携わった森一貴さんのこちらの記事が参考になります。

この本は、都市政策を中心に、高齢者介護等のケアに満ちた社会をつくるという具体的な目標に向かっていくソーシャルイノベーションのための新しいデザイン観を提案するものです。

私は福祉としての「ケア」の概念を矮小化してビジネスシーンにとりいれたいわけではありません。職場のマネジメントも、メンタルケアを筆頭にした福祉の問題と深くつながっている社会課題だと私は思っています。

誰もがケアの能力をもっている

この本は、ケアする人/される人という非対称性を解消し、一人ひとりがケアをする能力、すなわち問題を解決する能力をもっているという前提をもっています。そして、そのような能力が発露し、協働を促すシステムのデザインが重要なのだと提案しています。この考え方をマネジメントに置き換えることができるのではないかと感じました。

「マネージャーがメンバーをケアする」という前提があるとき、マネージャーはメンバーの行動や内面を「対処すべき問題」として捉えます。メンバーを対象として捉え、マネージャーはそれをケアする主体となります。

それに対して、メンバーを「問題を解決することのできる主体」として捉えることもできます。問題は人の行動や内面にあるのではなく、それを生み出す構造にあると考えます。その構造を対象として捉え、誰もがその問題構造を解きほぐし、別のものにかえていく主体になりえると考えるのです。

デザイナーの役割と、マネージャーの役割

マンズィーニ氏は、デザイナーの役割を「問題を特定し解決策を提案するだけの役割」ではなく、「潜在的な能力やリソースを特定し、製品やサービスのシステムを開発し、それらを推進しサポートする能力を身につける役割」と提案しています。

デザイナーが作り出すのは、問題に向かって一人ひとりの解決能力を引き出すコラボレーションの仕組みです。具体的には、問題とその解決に参加する人々の能力を見立てた「要件」、人々の「分業」と「調整」、活動のための「カレンダー」および「ひとつひとつの活動のプロセス」などです。

これを「職場」に応用すると、デザイナーとマネージャーがやっていることは近づいてきます。チームメンバーの潜在的な能力と目標達成するための課題を「要件」として定義し、役割の「分業」とそれらを連携させる「カレンダー」と「会議」を組み立て、運営しながら、課題解決をしていきます。

業務の推進や会議の運営はマネージャーがやるべきことではなく、みんなで分業できるはずです。こうしたマネジメントのワークシェアのあり方に関しては、ひきつづきこちらのnoteでも発信していこうと考えています。

ケアする職場は可能か

さて、「1人のマネージャーが複数のメンバーをケアしつづけることはできない」という問題意識から始まったこの探究ですが、なにも「私ばっかりがみんなをケアしている」と被害妄想に駆られているわけではありません。

当然ですが、私はケアすることもあれば、ケアされることもあります。むしろ、ケアされていることの方が多いでしょう。

私の上長にあたる人は、私の感情をよく聞いてくれます。メンバーから「臼井さんの良さは、私の期待値にちょっと驚きをまぜてくれることだよね」と言ってもらったこともあります。それは、労いであり、励ましでもあるようなケアです。友人は私の活動を応援してくれ、パートナーは私の誕生日に「あなたがいつも仕事を楽しめるように願ってるよ」とメッセージをくれました。

職場におけるケアは、マネージャーとメンバーの間で閉じて行われるものではありません。役割もチームを超えて、会社を超えて、ケアすることもあればされることもあり、気がつくこともあれば、気がつかないこともあります。そのようにしてケアは社会に偏在しています。

ピア・マネジメントの探究は、そうした社会のケアの網目のうえに、職場を織り込んでいくような営みになるのではないかと想像しています。




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