見出し画像

夢は永遠に叶わない方が幸せ

夢を失った喪失感は新たな夢をくじく

何か大きなイベントに向かって必死の努力を続けた人が、それが終わった後、燃え尽きたように気力を失ってしまうことがあります。

「バーンアウト」と言われるこの状態は、アスリートやアーティストの話がたまにニュースを賑わせますが、お子さんや学生さんを含め誰にでも起こりうることです。

このバーンアウトは、夢が破れることと夢が叶うこと、そのどちらもが引きがねになると言われます。私は夢が「破れた」方でこのバーンアウトを経験したことがあります。

人間、年を重ねるごとにあまり夢を見ることがなくなっていくのは、もうあの喪失感を味わいたくはない、と無意識に考えるからなのかもしれません。

ご多分に漏れず、私もそのような状態に陥っていたのですが、40代も中盤にさしかかろうかというタイミングで、ある考えをきっかけに再び「夢」を抱くようになりました。

このnoteでは、そんなきっかけとなった考え方をご紹介したいと思います。結論を急げば、それは「理念としての夢」という考え方です。

「理念」は現実世界にはない

私の若い頃の夢が「目標型」の夢だとしたら、今の夢は「理念型」です。

前者が「山の頂上」だとしたら、後者は「夜空に輝く北極星」です。山の頂上なら、いつかそこに辿り着くか、諦めて下山するかのどちらかでしょう。しかし、北極星には近づくことはできても、永遠に到達することはできません。

このように、理念型の夢は、前向きな意味で永遠に叶わない夢なのです。

というのも、理念や理想は、私たちが生きる現実世界に存在するものではないからです。

理念が私たちの住む現実世界に存在しないのであれば、では一体どこの世界に存在するのでしょうか。それは「概念の世界」です。

例えば日本語の「車」という言葉には、現実世界で実際に手に触れられる車(a car/the car)と、概念としての「車というもの」(car)という二つの意味があります。「車」は現実世界と概念の世界、その両方に存在することができるのです。

しかし、「平和」や「愛」という言葉は、それが何なのかは子供でも理解できる一方で、それを現実世界に引っ張り出してきて、1台の車のように目の前に提示することはできません。

理念(アイデアル)や理想(アイデア)も同じです。それらは、その名が示す通り、概念(イデア)の世界にしか存在しないものなのです。

「不完全な理念のひとかけら」を生み出し続ける

そんなわけで、理念や理想には、私たちは永遠に到達することができません。そもそも、それらは現実世界には存在しないものなのです。

では、理念や理想を掲げる私たちが、この現実世界でできることは何なのでしょうか。それは、その理念の不完全なひとかけらを、命果てるまで現実世界にこぼれ落とし続けることなのでははないでしょうか。

戦争のない世界を歌ったジョン・レノンの「イマジン」は、実際に戦争を終わらせることはできませんでした。かの名曲も、戦争のない世界というレノンの理念の、現実世界にこぼれ落ちた不完全なひとかけらにすぎないのです。

しかし、だからといって、レノンの理想や「イマジン」には何の価値もない、などと考える人はいないでしょう。

100年続く企業には変わらない理念がある。そんなことがよく言われます。しかし逆に言うと、その企業は、100年間ずっとその理念に到達できていないということになります。

それでいいのです。理念の使いどころは、夜空に輝く北極星のように、そこを目印に進み続けることなのです。

理想の自分と誰かの困りごとの交点に理念がある

自分の人生の「理念」を持つことができれば、いつまでも夢を抱き続けることができる。そして、そんな理念は、「理想の自分」と「誰かの困りごと」が交わる点に見つけ出すことができると私は考えます。

理想の自分とは、これまで生きてきて(何となくでも)感じている自分の一番いいところを、とことんまで研ぎ澄ませた時の自分です。

例えば私自身は、このように文章を書いたり、講演などでビジネスについてわかりやすくお話することが比較的得意です。もちろん私より優れた人は山ほどいますが、少なくとも私の中では、これが自分の一番いいところなのではないかと(何となく)考えています。

この「一番良いところ」をとことんまで研ぎ澄ませていった「理想の自分」は、言葉にするとちょっと大袈裟で気恥ずかしいですが、「言葉で世の中の真理を見つけ出す人」ということになります。

この「理想の自分」を、誰かの困りごとと掛け合わせたところに自分の「理念」を見つけることがでる。私はそう考えています。

例えば私の場合は、そんな私の一番良いところを、「溢れる情報に自分を見失いかけている人」のために役立てられるのではないかと考えています。「言葉で人々を照らす」。少し大袈裟に言うと、これが私の理念です。かっこつけるな。図にのるな。調子に乗るな。はい、私もそう思います。

ただ、これは私の「理念」なので、そこは大目に見ていただきたいのです。

そんな大それた存在に、いつか本当になれるとは、実は私も思っていません。それはあくまで私の「北極星」なのです。それを目印に歩き続けることに意味があり、そこに到達することを目的としたゴールではないのです。

最後に、私の座右の銘を紹介させてください。祖母の言葉です。

中学生の頃、斜に構えて哲学書や文学書などを読むようになった私は、ある時祖母にこんな質問をしました。人は何で生きてるんだと思う? 

正直、答えが返ってくるとは期待していませんでした。しかし、その時の祖母の答えが、今では私の座右の銘となって、私を今日ここまで導いてくれました。

「昨日より今日、今日より明日、明日より明後日の方が私は賢い。そうやって昨日より少しでも賢くなるために、人は生きてるんだと思うよ」。

おわり

<新刊発売>
Noteが気に入ったら、ぜひ書籍も手に取ってみてください!

幸せな仕事はどこにある: 本当の「やりたいこと」が見つかるハカセのマーケティング講義

<この本のコンセプト(本書より)>
幸せに働きたい。

月曜日の朝に目が覚めたら、これから始まる1週間にワクワクしているような仕事がしたい。
出世なんてしなくても、有名にならなくてもいいから、本当の「やりたいこと」を見つけ、それを誰にも壊されないような働きかたを見つけたい。

この本はそう思っている人に向けて書きました。

そんな「幸せな仕事」が見つからないのは、「見つけるための方法」を知らないから、かもしれません。
私は、その方法を、自分の個性を磨くことと、誰かの役に立つことを両立させるマーケティングの考え方から学びました。
たとえば個性を磨くことは「差別化」、誰かの役に立つことは「ニーズ」という考え方が、それを教えてくれました。

この本は、ちょっと変わった先生の講義を通じてそんな考え方を学ぶことで、3人の男女がそれぞれの幸せな仕事を見つけるまでの物語を描いた「小説」です。

さあ、ページをめくって物語の世界に飛び込んでみてください。
それが「幸せな仕事」を見つけるはじめの一歩です。

幸せな仕事はどこにある: 本当の「やりたいこと」が見つかるハカセのマーケティング講義

<参考にした記事>
https://www.ogilvy.com/sites/g/files/dhpsjz106/files/pdfdocuments/Ogilvy_WhatsTheBigIdeaL.pdf

#COMEMO
#NIKKEI

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?