スクリーンショット_469


どうもこんばんはuni'que若宮です。

先日、こんなニュースがありました。


《よくこんなにたくさん、人間をバカにする定義を思いつけるなあ、と感心する》
《氷河期世代などなかったと。歴史修正かよ》
《こいつらに人生をオモチャにされてたまるか。何が「人生再設計第一世代」だ。滅ぼすぞ》
《「人生再設計第一世代」とは、ひどいネーミングだな。まるで「おまえらの人生は、おまえらの設計ミスだったのだ」と言わんばかりだ。要は、国の失政の責任を被害者側に転嫁しようとしているネーミングなのである。これはセンスがないのではなく、意図してやっているのだ》


対象は「平成5年から16年ごろに卒業期を迎えた世代」のことらしいので、僕もめでたく「人生再設計世代」なわけですが、僕自身はこれをきいた時、実はそんなにここにネガティブな感情はもちませんでした。むしろ「再設計」って悪くないんではない?と思った。


積み上げて来た石をバーン!

思えば「就職氷河期」に2回も大学を卒業して就活をしているわけで、確かに振り返ると楽ではなかったし、なかなか大変だったかもしれない。(一回目の建築のときは不良学生ですごい雑な就活しかしてないのであまり言えませんが…)2回目のときはそこそこ苦労もした気がしますし、いい歳だったので年齢をごまかして就活して、某出版社の役員面接でカミングアウトして怒られたりもしました。

そしてやっとのことで就職がきまり、企業に入ってみると、たしかになかなか息苦しい状況でした。

少し上のイケイケの世代からは景気が良かった頃の自慢話をきかされ、「おれの若い頃はさー」とか言われ、(「それお前がすごいんじゃなくてタイミングじゃん」とか本質的突っ込みはせず)飲み会ではラベルを上にしてビールを注ぎ、しかも上の世代が徐々に出世の座席としても詰まりはじめ、景気も下降傾向。

頑張ってもなんとなく報われない気持ちを抱えながら、歯を食いしばって真面目にやってきたらミレニアルとかZ世代とかがばりばり活躍しだして時代の期待は若手へ、みたいな…。そういう不遇のなか、せっかくコツコツ頑張ってきた世代に対し「再設計」とはあまりの仕打ち。鬼畜の所業であります。


コツコツと積み上げてきた石を横からバーン!ってされたような気分になるのもわかります。



でも「再設計」って実はけっこう楽しい

ひとにバーン!とされると、腹が立ちますよね。「せっかく今までやってきたのに…またやり直しかよ…」って。

でもこれ、よく考えると、もしこの度バーン!ってされなくてもいずれ破綻するかもしれないのです。地震が起こるかもしれないし、海外からなにか飛んでくるかもしれない。いや、なんだったらもう破綻しているのかもしれない。


それならば、せっかくだから積み直すことはやめてみてはどうでしょうか

上に積み上げるというのは「誰かが決めた軸」です。そのルールの中で努力すること自体をそろそろ考え直してはどうか。もしかしたら思ってもいなかった、自分なりのあり方が見えるかもしれません。


例えて言うなら、こんな感じ。飛び散った石をよくみたら、その並びに、新しい発見があるかもしれない。鬼の秘めた恋心に気づくかもしれない。


どうせ「再設計」しなくちゃいけないなら、ちょっとそれを楽しんでみるっていうのはどうでしょうか。リノベーションやリデザインというのは「やり直し」ではなく、視点が変わるような、価値軸をずらすような試みとして取り組むと意外と楽しいものです。新築でも伝統でもでない、良さが出たりします。なにより、退屈しながらどうにか今の延長で続けていくより、再設計することでなにか新しいものが見つかるなら、その方が残りの人生楽しいのではないでしょうか?


「積み直し」ではなく「み直し」

といっても、ゼロから始めろ、という意味ではありません。崩れた石をよーく見てみると、なにか今まで見えなかったものが見えてくるかもしれない。上に積んでいたときには積みにくいだけだったいびつな石が、ちがう方向にちがう使い方をすると新しい価値を生むかもしれない。

よく「棚卸し」といいますが、積み上げていくレースをしていると、積んだ石をよく見ることを忘れてしまいます。バーン!ってされたこのきっかけに、いわば「強制的棚卸し」として、もう一度自分の石をよく見てみるっていうの、どうでしょうか。自分ならではのユニークな形の石やそのあたらしい方向性がみつかり、「自分なりの星座」が見えるかもしれません。そう、それこそかの有名な、「Connecting The Dots」というやーつなのかもしれないのです。


以前、こちらの記事でも書いたのですが、僕も建築からはじまってアート研究をしたり、そっからなぜかITの大企業へとか、キャリア的には紆余曲折ありました。

それを経て、今思っていること。

それは、人生は大いに再設計すべきではないか、ということです。

どんなにやり直したとしても、過去はゼロにはなりません。だから無駄ではない。大事なのは今それをどうつなぎ、どういう星座として価値化するか、ということではないでしょうか?


要は、国の失政の責任を被害者側に転嫁しようとしているネーミングなのである。

たしかにそうかもしれない。でも、人生再設計世代諸君、僕たちはもうアラフォーです。国の失政や、会社のくだらないルールは、自分たちのせいでもある。それは変えていくことができるし、むしろ見直して、変えていくべきではないでしょうか?



拝啓、人生再設計世代諸君。

これまで僕らは与えられた軸で、石を積むことを真面目に頑張りすぎたのかもしれません。みんな頑張ったし、能力もあったから、それなりにやってこれてしまった。けれどそれは誰かの軸で、あなたの軸ではないのではないですか。「氷河期」でもそれなりにやってこれた能力があれば、めっちゃいい再設計できるんじゃないですか。

拝啓、人生再設計世代諸君。

これを機に自分ならではの軸をみつけることにもっと一生懸命になってみてもよいのではないでしょうか。さあ!VIVA!再設計!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?