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制約をお題と捉えると、創造性の源になると考えてみた

読者の皆さんは「140字小説」をお読みになったことがあるだろうか?

ツイッター改めXの一投稿で完結する短さのこの表現形式。記事にもあるように時間消費に厳しい最近の趨勢ともマッチしており、ヒットするのも頷ける。

書き手の立場で考えてみると、140字で起承転結や序破急を成立させるには、相当な構成力、ストイックな校正を通じた言葉の絞り込みが必要になりそうで、結果として思考が結晶したような研ぎ澄まされた作品ができることもあるだろう。

140字小説が生まれる遥か昔にも、日本には俳句や短歌という表現形式があり、それぞれ17文字、31文字という制約の中で季節や人の心情のスナップショットが切り取られてきた。

140字小説にしろ、俳句や短歌にしろ、極端に使える文字数が少ない、という制約が、ある種のお題のような働きをし、人の創造性を引き出しているように思われる。

制約がお題になって素晴らしいクリエイティビティにつながっている例は音楽にもある。

読者はボサノバの巨匠、ジョビンのワンノートサンバという作品をご存じだろうか?

この曲のメロディは最初の8小節の間、一つの音=ワンノート(ソの音)で通されたあと、次の8小節は別の一つの音(ドの音)で通される。
つまり曲の最初の16小節は、極力メロディの動きを抑える作りになっており、それがインパクトになっている。

なぜこれがインパクトになるのか、ということを記すために、ここでちょっと音楽談義を挟ませていただきたい。音楽に詳しい方は以下数行読み飛ばしていただいて大丈夫である。

音楽というのは、低音から高音に至る音の組み合わせが、時間と共に変化していく、という構造をしている。五線譜を見たとき、縦方向が音の高さであり、横方向が時間軸。
上記「音の組み合わせ」と記したのは、五線譜を横方向に、ほんの少しだけ(=短い時間)切り出した時、同時になっている音たち、というわけだ。

この音の「音の組み合わせ」のうち、一番低い音をベース音といい、これは音の組み合わせの性質(始まる感じ、終わる感じ、続く感じ、開ける感じなどなど)を決定する。

一番高い音はメロディである。通常は全ての音の中で一番ダイナミックに動き、楽曲の顔となる。

メロディとベースに挟まれた部分は、ハーモニーと呼ばれる。ベースにより決定される、その瞬間瞬間の音の性質を補強したり、緩和したり、複雑性を付加したりする。明るい感じ、暗い感じといった性格づけもハーモニーによってなされるものである。

さらに、ベースとハーモニーを合わせてコードという。GとかCmとかいうアレのことである。そしてコードの時系列変化をコード進行と呼ぶ。

音楽談義が長くなったので、話をワンノートサンバに戻す。
上記に記したように、メロディというのは、通常楽曲中一番よく動く音なのだが、それがワンノートに固定されているというのは、とてもイレギュラーなことであり、そこに意外性とインパクトがある。また、コードが変わってもメロディでは同じ音が継続し、同じ音ながらその意味や雰囲気が変わる、という面白さもあり、こういった特徴の相乗効果が、この曲を名曲たらしめている。

ワンノートサンバは、ワンノート部分も実際はツーノート(ソとド)だし、17小節目以降は突如ワンノートではなくなったりするのだが、最初から最後まで本当にワンノートで通す、文字通りの一音曲もある。

プリンス・アンド・ザ・レボリューションの名アルバム、パープルレインに収録されているI would die 4 Uがそれである。この曲のメロディは最初から最後までずっと「ド」の音で通されている。それでいて退屈さは全くなく、曲のストーリー性も申し分ない。

プリンスには、最初から最後までコードを一種類しか使わない曲もある。
それは、やはり名盤アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイに収録されているアメリカである。この曲は最初から最後までCm一発である。

ちなみに通常楽曲には最低でも3種類のコードが使われる。その瞬間瞬間の音の性質を決定づけるのがコードなので、これが変化・転換しないと曲の中で起承転結を作るのが難しいのだ。

アメリカを聞くと、ギターの単音、つまりハーモニーとベースがない状態、一つだけの音で奏でられるイントロメロディは一見複数のコードがあることを想定したような動きを示す。
このイントロは、サビと同じメロディをギターがトレースする形なので、曲が先に進むと、実際にどんなコードが当てはめられているかわかる。
答えはぶっちぎりのワンコード=Cmである。

ジョビンやプリンスはこれらの曲を作るとき、ワンノートで作る、ワンコードで作る、などの制約をお題として自分に課していたのではないか、と筆者は夢想する。そしてこのお題は、これらの名曲が生まれる原動力の一部となっていたであろうことも。

50音が一つずつなくなっていく、という制約・お題を見事にクリアし、全ての音がなくなるまで破綻なく描かれた小説もある。
どういうことかというと、筒井康隆さんの「残像に口紅を」という名作では、作中、最初に「あ」の音が消えたのを皮切りに、「あ」を含んだ言葉、例えば「愛」や「あなた」といった単語が全て消滅する。
これがどんどん進んでいき、使える文字・単語が加速度的に減少していく中で、物語は進行していき、最後の一文字が消えるまで続くのだ。
試しに自分でやってみるとわかるが、「あ」が消えただけでも表現・コミュニケーションはかなり不自由になる。これを全ての音を消すまで続けるのだから、まさに天才の所業である。
緊張感が全編にわたって続く中、タイトルの由来になったシーンは、涙なしでは読まれない。制約が生み出した名場面である。

このように考えると、制約=アイデアの源なのではないか、という気がしてくる。

マーケティングという業で禄を食んでいると、企画を立てる、コンセプトを考える、といった、何かを生み出す仕事をすることが多い。

いつもフリーハンドで良いアイデアを量産する、というのは難しい。そんな時は何かの制約とともに考えてみる、というのも良いやり方かもしれない。

5文字で言い切ってみる。
円のみを使って絵を描いてみる。
楽しさと悲しみが同居しているように表現をしてみる。

お題のバリエーションはいくらでも考えられる。これらは発想の幅を広げてくれるとともに、次第にその人の芸風としてセルフブランディングにも一役買ってくれるだろう。

読者の皆さんは、どうお感じだろう?


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