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「日本のBar文化」が外国人に評価を受ける背景を考えてみた。

Barは真剣につきあうものだ、と教えられたのは大学生の頃です。しかるべきBarにはスーツにネクタイを身に着けて出かける ー 大人の世界にお邪魔する若造であればなおさらです。そうやって足を踏み入れたのが、例えば、横浜港の大さん橋の入り口あたりにあるレストラン・スカンディアの2階にあるカウンターバーでした。

横浜港の周辺には、ヨーロッパの船員たちが日本に居ついて飲食業をはじめた店が少なからずあり(これが軍人としてくる米国人との違い)、そういうところで「アルコール度数の高い酒」を飲むのです。

サラリーマン生活をはじめると、馬車道にある7-8席の小さなBarのカウンターのはじっこに腰かけ、いわゆる「横浜の名士」と呼ばれる人たちの会話を聞くのがぼくの社会勉強でした。銀座のBarにも行きましたが、毎週のように徘徊していた横浜港周辺の方が馴染みでした。

しかし、1990年、日本を離れてイタリアに住み始めると、日本に行ってもそうした場所には一切、足が向かなくなりました。カウンター越しに聞くヨーロッパの話が嘘くさいし、ヨーロッパの香りを売りにしている姿がヨーロッパに住んでいる身からするともの悲しい。

しかしながら10年ほど経て、つまりは今世紀に入り、ぼくも日本のBarを寛容に受け入れられるようになりました。ただ、その理由はぼくの精神的な成熟度の問題だけでなかったのか、と昨日気づきました。京都大学経営管理大学院でサービスを研究されている山内裕さんと佐藤那央さんが、「Barの文化」を題材にポッドキャストで話しているのを聞いたからです。

日本の「きっちりとしたBar文化」は、1990年代にいったん終わったと言うのです。それを知り、いろいろなところで綻びが出たのでは?とも思いました。ぼくの前述のようなヨーロッパとの距離への違和感も、個人的レベルの問題だけではなかったのかもしれないー。

ポッドキャストの話題はいろいろな現象や素材に言及しますが、肝心なところを要約すると、以下のようなところになります。

もともと海外で生まれたBarが日本に輸入され、日本では独自の発展を遂げ、それが海外の人たちに評価を受けるに至っている。マルティーニなら、それを極めるような作り方や見せ方があり、海外の人は驚く。逆に、こうした世界に慣れた日本の人が海外のBarに行くと、拍子抜けしてしまうほどだ。それほどに日本のBar発展史には独自性がある。しかし、その評価の仕方やされ方が十分に説明できるレベルになっていない。

そうだろうなあ、と思いました。ちょっと思いついたことをバラバラと書いてみます。

カウンターに1人たたずんで物思いにふけながら、バーテンダーの所作をじっくりと観察するという習慣が、なにか勝負事のような雰囲気を作っているなあと思うことがあるのです。

ぼくが住んでいるミラノを例にとれば、そういう場がそもそもほとんどない。カウンターがあっても、そうやって座るような空間ではない。たとえスツールがあったとしても、日本のようなあたかもメディテーションを促すような場ではないのですね。

寿司屋、天ぷら屋からはじまって、ラーメン屋なんかも「どうだ!」みたいなムードを強くもつこと自体を売りにしている店が日本にはあります。それとBarのカウンターがもつ意味に共通点があるのでしょう。場が店が提供するマテリアルを変える、との仮説が第一に思い浮かびます。

第二に思いつく点です。

「型」や「守破離」がすべてのことの習得にあたり、黄金のプロセスである。「基礎」をしっかりとやらないやつは、その後、何をやってもろくな結果を出さないーこのような思い込みが強すぎるがゆえに、弟子たちに厳しいのですよね。というか、スタッフを弟子扱いするのが、おやっ?とぼくなんか思うのですね。

「型」や「基礎」というコンセプト自体を絶対的なものとしてーまるで軍隊教育のようにー位置づけている場合が多いのです。T・S・エリオットの言葉に「探索をやめない。探索の終わりとは起点を知ることだ」というのがありますが、基礎とは自分で発見するもの。人に言われるものではない。言ってみれば客観的なものではなく、主観的なものと考えるのが適当だと思います。

だが客観的なものと考える、あるいは考えたいとの傾向が圧倒的にある―その方が楽だ!。

第三として、その延長線上に、バーテンダーのカクテルコンペティションへの評価依存があるのでは?と想像してしまうことがあります。以前、楽器演奏などのコンクール重視はかなり日本特有文化と書いたことがあります。ランキングがあまり意味のない世界であっても、〇位であることを何よりも欲しがる。

これは企業活動においてもそうです。ヨーロッパの企業であれば「業界のリーダー的存在」とか「トップレイヤーに位置する」と表現するところ、日本では業界〇位との表現に拘る。企業活動の評価をスペック的な次元のものと勘違いしている節があります。

なんでも「道」としがちな日本の人の思考形式の肯定的な部分を評価もしますが、そのパターンに付随する要素をみていくと、そんなに肯定していって良いのか?という迷いがでます。

第四として、このように考えてくると独自に発展を遂げた日本のBarは新幹線の運営に近いものがある、と思えてきます。山手線並みの本数で東京駅を出発、または到着し、1分でも遅れれば謝るー公共交通に悩まされる外国人が喜ばないはずがない。その効率性や安全性に感動する。だが、それを自分の国で運営側のメンバーとしてやるか?と問われると、「あんな厳密な世界では仕事したくない」と本音がでてきます。

職人的な仕事ぶりそのものが問題なのではなく、職人的な仕事を後押しする文化環境に問うべきことが多い、ということなのですね。このところが、ぼくがこの数年よく話している「日本のインバウンド増加は日本の生産性の低さの確認を外国人にさらに促し、メイド・イン・ジャパンの直接的な促進に繋がらない」という問題点と絡んでくるのです。

・・・・外国人に評価されることを真に受けていいか?という点はさておき、外国人が評価することを多角的に再考してみることで、日本に生きる人たち自身の生活の向上が図られないといけないと考えています。その先に、それがどう文化交流とビジネス交流を生み出すか?が問われるでしょう。

ぜひ、上記のポッドキャストを聞いてみてください。さまざまなことを考えさせてくれます。

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冒頭の写真は、現在、ミラノのプラダ美術館で開催中のピーノ・パスカーリ(1935-1968)の回顧展の展示作品です。

1960年代、イタリアでおこったアルテポーヴェラの運動に参加した1人。それまでアートの材料とはみなされていなかった日常的な材料を使ったのがアルテポーヴェラのアーティストたちですが、この写真は、初めて「水」と「土」をアート作品に入れたものです。



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