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12年の人生記録と「日日是好日」

昨日、ロンドンからの帰りの飛行機で映画「日日是好日」を見た。本の方は途中まで読んで、この茶道を通した著者の体験を「なかなかいいなあ」と思いながら忙しい中で、そのままになっていた。この題名は文字通り取れば「毎日がいい日」という意味である。今回、映画を見て、あらためて気づいたことがある。

 私は、拙著にも書いているが(『データの見えざる手』)、2006年3月16日に左腕にウエアラブルセンサを装着し、それ以来12年以上に渡り、24時間、左手の動きをコンピュータに記録してきた。実はさらに、毎日、手帳に、何時に何を行ったかの記録を行ってきた。例えば、昨日ならば、

・0:00-1:50 ホテルからヒースロー空港に移動

・2:00-3:00 チェックイン、買い物や散策 ....

といったことを手帳にビジュアルに記録する。さらに、これを見ながら、8個の項目で、一日を採点する。8項目は以下5項目のコンディション(「心」「体」「人」「知」「行(動)」)と「挑戦できたか」「能力を発揮できたか」「家族を大事にできたか」である。

 これを初めて記録したのが、2006年の7月30日(日曜)。その日は、湘南に行って、PCでブログを書いたり、帰りに町田のTGIフライデーで夕食を取った日だったと記録されている。そしてその日の採点は、10点満点で、心=5、体=4、人=4.5、知=5.5、行=5だった。真ん中ぐらいである。

ところが、2015年頃になるとこの数字は、日によるが、心=10、体=10、人=10、知=10、行=10という満点の日が増え、2016年以降は、毎日が満点になっている。

昨日、映画を見て気づいたのがここである。私は12年の日々の振り返りの中で、自分の一日を「毎日がいい日」と採点するようになっていたのである。まさに「日々是好日」である。12年前は違っていた。「日によって良い日とそうでない日があった」のである。

別に特別に生活や仕事が、この数字ほど劇的に変わったわけではない。同じ会社で研究開発と事業化を行っている。日々「思うようにならないこと」や「うまくいかないこと」に直面しているのは、12年前と何も変わらない。

変わったのは、その捉え方である。映画の中にもある。夏に覚えたお茶の入れ方が、冬には使えない。だから「冬は夏より低い点数をつける」という捉え方もあるだろう。しかし、冬には冬の新たな学びがあり、それに挑戦し、楽しむならば、それこそ「好日」である。それこそがこの映画が描いていることである。お茶の作法の繰り返しが教えてくれることである。

毎日12年間この記録と振り返りを行っている中で、驚いたことがある。私は、毎日朝に昨日を思い出して、上記の記録と採点を行うのだが、書き出す前に漫然と持っている昨日の印象が、実際に全部を起きたことを書き出してみると全く変わる場合が多いことである。うまくいかないことがあると、そこに我々の注意がいく。ネガティブな印象が残る場合がある。しかし、一日の中ではいろいろなことが起きており、さらにそのうまく行かなかったことすら、別の意味付けも常に可能なのである。

結局、昨日の評価は、どこにアテンションをおいて昨日を捉え、さらに、その意味付けをどの角度から見るかだけによって決まっていることに気づいたのである。最初の内は「それでは客観的でないのでは」という声が科学者としての自分の中から聞こえていた。しかし、この場合は、主観的なものを捉えなければ、真実に迫れないし、それこそが客観的だと思うようになった。そして、主観は、自分がどこにアテンションを置き、そしてどの角度から捉えるかの問題なのである。そこに約10年かけて気づくようになったのである。毎日の淡々とした振り返りには、どこか茶道の繰り返しとも通じるものがあると思う。

昨日は、年末に転んで痛めた(肋骨にひびが入っていると思うが)肋骨をさらに痛め、今日はさらに動きにくくなっている。でも最高の日である。痛みを忘れるほど(そしてさらに痛めるまでして)行動に没頭できた昨日を体験できたからである。だから8項目すべて10点満点である。

「日日是好日」である。

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