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「ダメな私でごめんなさい」という自己責任に追い込んでしまわないように…

読んでいて辛くなる事件です。

2020年7月、京都市左京区に住む無職の女性(54)が、重い障害がある長男=当時(17)=をマンションの自宅で絞殺する事件が起きた。女性はうつ病を抱え、殺害後に自殺を図っていた。「何かもう疲れてしまいました」。11月に京都地裁で始まった公判や関係者への取材からは、ワンオペで育児を続けた女性が息子の進路に悩む中、精神的に疲弊していき、SOSもうまく出せないまま絶望感を深めていった様子が浮かび上がった。

とありますが、その結果だけでは判断できない途中の幾多の苦しみが記事には事細かに描かれています。まずは記事を全文読んで頂きたいと思います。


その上で、思うところを書きます。

記事では、本人が周囲にSOSをうまく出せなかったことを原因のように書いていますが、本当にそうでしょうか?

障害者支援施設からも受け入れを拒否されたり、事件1日前にも支援学校の担任と面談しているし、当日の午前も別の施設を見学している。事件の2日前にはかかりつけの医院に死にたい気持ちすら訴えていた。母親は周囲に頼ろうと懸命に行動しているのに、「誰もそれに対して手を差し伸べてくれなかったじゃないか」というのが本人の正直な気持ちではないだろうか。

殺したくはなかったし、死にたくなんてなかったでしょう。

ダメなお母さんなんかじゃない。お母さんは、ギリギリまで一生懸命息子とともに生きようとしてましたよね。

彼女が求めていたのは、物理的な支援もさることながら「辛いね。でももうそんなに頑張らなくていいよ」と一緒に泣いてくれたり、「なんで役所は拒否するの。許せないよね」と一緒に怒ってくれたりる誰かがいて、「少し休もう」という一言と休息だったのではないかと思えてならない。

そんなの何の問題解決にもならないじゃないか、と指摘する人がいる。

でも、簡単に解決ではないからこそ、「人に話を聞いてもらえる」という救いが必要なんですよ。

もちろん、それだけあればいいという話ではない。最終的には何らかの物理的支援が必要です。しかし、物理的支援までに面倒な手続きやらで時間がかかるのであれば、せめて心の支援だけでもあったら…と思います。

せめてもの心の支援は「1日だけでもいいから休ませてあげる」ということです。

ギャラップの世界感情調査2020(対象116カ国)によれば、人間のストレスをもっとも軽減するのは、楽しんだり笑ったりするより「よく休む」こと。わかりやすく言えば「よく眠る」こと。睡眠が不足することがすべての元凶と考えてもいいかもしれない。

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今回の事件は、母親が障害を持つ子を殺してしまった事件ですが、引きこもりの子を親が殺してしまった事件もありました。親が子を殺すだけではなく、今後は要介護の親を子が殺してしまう事件も増えるかもしれない。いわゆる8050問題というものです。

奇しくも同じ京都で起きた認知症の母親を息子が殺害して心中未遂した事件については、拙著「超ソロ社会」でも取り上げました。この息子は、介護のために離職をし、そのために経済的困窮したあげく、最後はどうにもならなくなって母親と心中するという決断に至っています。

さらに悲しいのは、裁判後この息子には、執行猶予がついたのですが、最終的に自殺をしてしまうのです。

以下は、この事件における2006年の裁判で、裁判官が言った言葉です。

「本件で裁かれるのは被告人だけではなく、介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを行政の関係者は考え直す余地がある」

この言葉からすでに15年が経過してもなお、まだまだ十分な体制や仕組みが整えられていないことが残念でならない。もちろん何かしら前進させようと努力している人もいるでしょうが。

家族の支援問題に関する現在の行政的な問題についてはこちら

子が親を殺す、親が子を殺す。決して利害や憎しみで殺すのではなく、殺さざるをえない状況に追い込まれてしまうことが悲しい。

日本ではもっとも殺人事件が多いのは親族間の殺人なのです。

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家族だけを頼りにしてしまわないような、ずっと長い付き合いの人間関係だけではなく、刹那の助け合いでも人は救われるのではないか、そんな「しあわせ」の考え方について書いた本はこちらです。ご興味あれば。


1人暮らしも激増します。


追記:判決が出ました


長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。