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「結果がすべて」とか「勝てば正義」というくだらないこだわりを忘れさせてくれたこと

今回の五輪から正式競技となったスケボーやサーフィン、BMXフリースタイルなどのエクストリームスポーツ系の競技がすごくよい。競技の内容以上に、選手たちの行動が素晴らしい。

最後の演技でチャレンジして失敗し、メダルを逃した日本スケボーの岡本選手に対して、ライバルである各国の選手が励まし、肩車で称讃したシーンは御覧になったかと思います。

多くの人がこのシーンに感動したのは、スポーツというものが本質的に持っていたものが「人と競う」ことではなく「自ら楽しむ」ことであることに再認識させてもらったからではないでしょうか。

どんなスポーツにしろ、人に勝つために、人をマウントするためにスポーツを始めたわけではないでしょう。やってみたら楽しかった、練習して上手になったらもっと楽しかった。そういう楽しいものであったはずです。スポーツとはそもそも競技ではないのです。

スケボーやサーフィンやBMXはもともと遊びでした。だからこそ、スポーツが本来持っていた本質を呼び起こしてくれたのかもしれません。

一時期スポーツが「結果がすべて」とか「勝てば正義」みたいな風潮が幅をきかせていた頃があったかと思います。たとえばサッカーで勝つためにズル賢く時間を使うことも容認されていましたし、柔道やレスリングなどの一対一の対戦種目では、相手以上の技を出すことより、相手の技を封じ込むことが勝利の条件だったりしました。体操やシンクロなどの演技系では、ライバルの選手のミスを心で願う気持ちすらあったかと思います。

それ自体を否定するつもりはありませんが、そういった「結果がすべて」という価値観に縛られてしまうがゆえに、メダル確実といわれた選手が不運にもそれを果たせなかった場合に、選手に対する誹謗中傷が沸き起こったりするのでしょう。

「結果がすべて」「勝てば正義」という価値観はスポーツに限らず、ビジネスでも人生においてもデカい面をしていますね。本当にくだらない。

冒頭のスケボーのシーンは、そういうつまらないこだわりを忘れさせてくれる清々しさがあったからこそ、多くの人々の感動を呼んだのだと思います。

同じくサーフィンでも感動的なシーンがありました。惜しくも決勝戦で負けたものの、銀メダルを獲得した五十嵐選手のこのシーンです。

努力している人ほど、その努力は自分以外の周りの環境によって支えられてることを知っています。

海にもお天気にも神様はいる。道具にも神様は宿る。そういう全ての物に神が存在するという日本人の八百万の神の精神がある人ほど、感謝する対象が多くなります。神様は多ければ多いほど心の支えになるし、結果として、祝福してくれる神様も多くなるのです。

神様とは崇め奉る対象ではなく感謝の心そのものであり、自分と他者とのつながりでもある。ここでいう他者とは人間だけではなく、動物も植物も自然も、自分の置かれた環境も含めて自分以外のものすべてです。

「国の為に頑張る」とか「誰かのために頑張る」ということではない。自分のために、もっといえば、自分の満足できる技なりを発揮するために頑張ればいいのです。そうして頑張れば、自然にその頑張りを支えてくれたものに気付くはず。要するに、自分のために頑張れば感謝の心は自然に芽生えるのです。


僕は、以前からずっと言い続けていますが「利他」という言葉をこれみよがしに使って、「いいこと言ってるだろ、俺」みたいなドヤ顔する人間が大嫌いです。利他精神自体を否定しませんが、利他を絶対善のような錦の御旗に仕立て、それを言うことで自分をあげようとするのもまた、他人をマウントして喜ぶ行為と何も変わらないと思うからです。

そもそも、「利他」とは「他が感じる」ことであって、やる側が決めることではない。受け取る側の他者でもないくせに、勝手に「これが俺のお前に対する利他行動だ」なんて言ってくる輩なんて迷惑以外の何物でもない。それこそ「利他の押し売り」にすぎない。

加えて、押し付けや無理やりの「利他性」は、残酷な「攻撃性」に転化しやすい。「みんなのために自分だけが我慢してるのに、我慢しない奴はとんでもない。悪だ。悪は排除してもいいのだ。殺してもいいのだ。それが正義だ」なんて思考に陥ります。環境問題で大声張り上げている活動家によく見られます。

人を排除して悦に浸る人間がよくもまあ「利他」などと口にできるものだと感心します。まあ、それくらい面の皮が厚いからこそ恥ずかしくもなく「利他、利他」言えるのでしょう。

ついでいえば、「利他、利他」うるさい人間に限って、自分の行動に対する感謝を異常なほど求めてくる。万が一、感謝の言葉をもらえないと怒ったり、「あいつは失礼な奴だ。二度と助けない」とか陰口言ったりします。これを僕は「利他餓鬼」と呼びます。

褒めてもらいたいからやるという行動は別に人間の根源的欲求のひとつだから否定しないが、だったら「利他」なんて欺瞞に満ちた言動やめればいいのに。「褒めてほしいのでやってます」という方が、まだ可愛げがあります。

とにかく、誰かのために、社会のために何かを成し遂げなければ生きている価値がないわけではない。生きて、仕事をして、買い物をして、飯を食って、何かしら娯楽を愉しんでいること、それ自体が誰かのおかげです。同時に、仕事をして、買い物をして、飯を食って、何かしら娯楽を愉しんでいること、それ自体が、見知らぬ誰かを支えていたりします。

目には見えないけれど、誰もが支えられ、支えている。そういう循環の中で我々は生きているし、生かされているのです。勝ちもなければ負けもない。

「利他の為に」なんてことは、一見よさげに見えても、スポーツにおける「結果がすべて」の変わらない窮屈でつまらない人生です。


※400mリレーの選手たちを責めるのはやめましょう。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。