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「友達との会話」はケアとエンパワメントである

30歳をすぎて、仕事や子育てを通じて知り合いは増えていく一方ですが、友達をつくることが難しくなったなぁと感じています。

ぼくにとって友達とは「とりとめもない雑談を、時間が続く限り続けたいと思う相手」もしくは「何も言わなくても、場所や時間を共有したいと思える相手」のことです。

YouTubeやテレビの影響で「論破」をし、「感想」を否定する子が増えているといいます。実際、知人の子も「それってあなたの感想ですよね」と会話の中で口にしていると聞きます。記事中では「それでは人と関係をつくることができない」と問題を提起しています。

大人においては、「はい論破」というようなコミュニケーションを見かけたことはありませんが、論理的なコミュニケーションが優先されます。課題を設定し、解消のために行動を組み立て、実行していくなかで、論理的な思考や発言、コミュニケーションが求められます。

他方で、友達とは、論理とは別の、感情や関心が分かち合われるものだと思っています。仕事を通じて人と友達になることがあるとすれば、仕事の合間にふとした雑談をし、その雑談のなかでお互いの感情に共感が生まれたり、関心が分かち合われたりして、「また別の場で話したい」という思いが生まれ、それがどこかで実現して友達になっていくものでしょう。

職場の同僚が、クライアントの1人に急に食事に誘われ、「どうして誘ってくれたんですか?」と聞いたら「仕事とかじゃなくて、友達になりたかったの」と言われたといいます。

これはとてもいい話だなと思いました。仕事とかじゃなくて友達になりたい。だからとりとめもなく雑談ができ、場所と時間を共有できる食事にいく。そうした機会があって初めて友達になっていくのでしょう。

ぼくが「友達って大事だな」と恥ずかしげもなく思ったのは、自分が体調を崩したことがきっかけでした。

5月ごろに体調を崩し、はじめてメンタルの不調というものを経験しました。具体的には、仕事の時は楽しく仕事ができるのだが、育児の場面になると苛立ちが激しく、かつぐったりと疲れてしまう、という適応障害のような症状が出てしまうのです。

そのなかで、パートナーと対話をしました。ぼくは家の外で遊びにいくことを強く好むのですが、育児をしなければと肩に力が入った状態で、コロナもあったし、ずっと友達に会うのを我慢していたのです。そのことをパートナーと話したら、「あなたが苛立つことは、自分にとっても家族にとって一番よくないことだから、そうならないことを最優先にしよう」と言ってもらったうえで「友達と会う時間を増やしてみたら?」と提案をしてもらいました。

それから少しずつ、友達に会う時間を意図的に増やしていきました。ちょっとずつですが、飲み会をしたり、一緒に遊びに行く予定を立てたり、活動を軽く一緒にするよう誘ったりなどです。そうして、友達と会って話すなかで、自分の関心を分かち合い、人の関心と混ざり合い、ああこんなことやってみたいなとか、こういうことしたら楽しそうだなとワクワクすることが増え、アイデアを少しずつ形にする動きもできてきました。

すると、少しずつ、家庭の中でイライラすることが減っていきました。友達との会話がぼくの生活の中に生まれた苛立ちという歪みを、ケアし、育児家事仕事とむきあう勇気をエンパワメントしてくれていることを強く感じます。ぼくにとって一番の薬は、友達との関係のなかで、ワクワクすることだったのだと、36歳になって気がついたのでした。

しかし、家庭を顧みず外で遊び呆けていていいとは思っていません。まだ回復の途中ですし、回復したとしても、またいつ精神のバランスを崩すかはわかりません。育児において、子どもとともに遊べる場と、ぼくが友達と遊べる場を両立できるようにしていきたいものです。

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