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「家計の円売り」と「損保のレパトリ」の違い

「家計の円売り」という美人
1月19日、鈴木財務相は新たな少額投資非課税制度(NISA)に伴う「家計の円売り」が円安を促しているという論調に対し「新しいNISAだけに変動要因を求めるということは困難」との見方を示しました:

家計の投資行動に絡んでは「分散投資の観点から国内資産のみならず海外資産への投資が増加していることは認識している」と述べ、為替市場は「国内外の経済、財政状況、国際収支、金融政策の動向、投資家の予測やセンチメントなど様々な要因で決定される」との見方も示していました。

こうした鈴木財務相の発言は正しいものです。筆者は新NISAに伴う「家計の円売り」規模について、本稿執筆時点で入手可能な情報に基づけば「7~9兆円」程度と試算していますが、それは為替市場の潮流を決するほどの数字とは言えないでしょう。

しかし、為替市場にとって重要なことは「皆がそう思っているかどうか」です。ケインズが株式市場を美人投票に例えたのは有名な話ですが、為替市場も同じです。むしろ、ある面では株式市場よりも直情的な性質を備えた為替市場では「皆がそう思っているかどうか」は重要なポイントになります

東日本大震災時の円高がまさに典型例です。2011年3月11日の震災発生以降、本邦の損害保険会社が保険金支払いに備えるために外貨建て資産を売却し、円に戻すのではないかという憶測が拡がりました。実際、能登半島地震直後にもそのような経験則から直ぐに「円高になる」とコメントする向きもありました:

「世界最大の対外純資産国」である以上、有事に直面した際、手元流動性を改善するために外貨建て資産を売却するという行動は十分想定されるものであり、そもそも為替市場では長らく「リスクオフの円買い」と呼び円高説明の免罪符のように使ってきました。

よって、「損保のレパトリ」は大きな抵抗感もなく為替市場で受け入れられ、実際に2011年3月の円は1ドル76円台まで急伸、約10年半ぶりとなる円売り・ドル買い協調為替介入が実施される事態にまで至りました。

しかし、その後に財務省から発表された投資家部門別の対外証券投資によれば、2011年3月の損害保険会社は買い越し、すなわち外貨建て資産を積み増していました。多くの市場参加者が信じるに足るかどうかが大事なのであって、真実は脇に置かれることもある好例です:

「家計の円売り」は「根も葉もある憶測」
問題はここからです。新NISAを契機とする「家計の円売り」が真実ではなく、あくまで一過性の美人投票の結果だとしたら、円安相場もじきに収束すると思います。いくら為替市場でも真実ではないものがいつまでも続くことはありません。

しかし、「損保のレパトリ」と違って「家計の円売り」は実際に存在します。しかも、それを国策として後押しする状況があるわけですから、今後も増勢は続くでしょう。政府が資産運用の必要性を強調し、「家計の円売り」で円安が進んでいると喧伝されている現状を受けて、これから投資を始めようする市井の人々は何を思うでしょうか。当然、自分も外貨建て資産を購入してリスクヘッジしようと考えるのではないでしょうか。

上述したように、筆者は(現時点では)新NISAに係る円売りを「7~9兆円」と試算しますが、それは為替市場全体にとっては大きな額とは言えません。しかし、日本のキャッシュフロー(CF)ベースで見た経常収支黒字を打ち消すのには十分な額です。その意味では「損保のレパトリ」より「家計の円売り」は「根も葉もある憶測」と言って良いと思います。今は小さなフローでも自己実現的に大きなフローに変わる可能性はあります
 
FRBが円安を停めてくれることを願う状況
幸いまだFOMCは開催されていません。12月FOMCの温度感がそのまま引き継がれるのであれば、FRBの利下げ観測が現状の円安圧力を打ち消してくれる可能性はあります。裏を返せば、もはやそこに賭けるしかないという状況とも言えますが、FF金利を引き下げても円安相場が動じないということは流石に考えにくい・・・と筆者は現時点では思っています。

万が一、FF金利の引き下げ(観測)をもってしても円安地合いを覆せないような事態になった場合(その上で円安が経済にとって有害と見なされた場合)、為替介入や企業部門に対するレパトリ減税など、為替フローに直接訴えかけるような施策が金融市場で争点化する恐れがあります。もちろん、そうした直情的な市場観測を元にメインシナリオを作るわけにはいきませんので、今は「FRB利下げで円安ピークアウト」と考えておくのがまだ無難だとは思います。

それにしてもFRBが利下げしない限り、「望まぬ通貨安」に頭を抱えるようになるという構図は発展途上国そのものであり、円高を忌避するために必死に財政・金融政策を動員していた10年前からは隔世の感を覚えます。

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