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『羽音が視界を誘う』 森永泰弘|《POLLINATORS:Life of Hmong》|さいたま国際芸術祭2020

遂に開催の運びとなった『さいたま国際芸術祭2020』。

どんな背景で僕がキュレーターになり、そしてどんな考えでキュレーションしてきたかについて、下記にまとめました。


本エントリーから、参加頂いた担当アーティストについて、ご紹介していきたいと思います。今回は、森永泰弘|《POLLINATORS:Life of Hmong》についてご紹介します。 

羽音が視界を誘う

僕はかねがね映像インスタレーションに興味を持っていました。
というのも、映画にも活動の軸足を置いている自分にとって、現代アートとしての映像インスタレーションと映画の違い境目に興味を持っている、というかあまりよく分かってないから。

恐らく開祖はナム・ジュン・パイクだと思っているのですが、ナム・ジュン・パイクは映像そのもの以上にプレゼンテーションが彫刻的でありなんとなく「アートだ」と思える気がするのですが、昨今トリエンナーレなどでもかなり増えて来た映像インスタレーション作品は通常の形で1スクリーンに上映している映像作品が多く、そして「編集」されている時点で、どうであれ「物語」はあるわけで、映画との決定的な違いってなんだろうか?とか、完全に個人的な問題ですが、どうしても美術館で映像インスタレーションに出会うとなんか腰を落ち着けて見れない気がするのはなんでだろうかなどという事を無意味に考えてました。森永さんに芸術祭への参加をお声がけした深層心理には、そんなふわふわとした疑問に向き合いたいなあという思いもあったかもしれません。

森永さんは、世界各地の音楽文化をフィールドレコーディングで記録する気鋭のサウンドデザイナー。「音」を表現の主戦場にしながらも、「MARGINAL GONGS」の演出を手掛けるなど、舞台芸術を含めた音に隣接する表現に活動範囲を広げているアーティストです。

現代アートの映像インスタレーションは当然ながら「視覚表現」を基礎として紡ぎあげられることが多いので、もし「聴覚表現」を基礎として紡ぎあげられた映像作品ができたらどうなるんだろう。そして、世界各地のフィールドワークを表現の根本に据えた文化人類学的なアプローチをされている森永さんの作品はまさに「国際芸術祭」にて発表されるべき作品になるのではないか。

僕の今回のキュレーションの軸として持った

・世代交代を意識されたキュレーターの人選と合致するようなエマージングなキャリアで、
・各地のトリエンナーレで行われている展示とはまた違った展示になるようなオルタナティブな視点や作品を生み出す
・「共同幻想」というアイデアが想起できる

にまさに合致すると考えました。更に言うと「国際」といったときにどうしてもすぐに頭に浮かぶイメージは欧米というケースが少なくない。なので、主にアジアをフィールドワークの拠点にしている森永さんに、アジアを舞台にした作品を制作いただきたいなとも思いました。

ではどんな作品をつくるのか、というところを二人で話していくなかで、
「花」というテーマ/「共同幻想」というコンセプト、そして映像インスタレーションとしてオルタナティブで新しい作品を、などと考えていくなかで、本当にいろんなアイデアが生まれては消えブラッシュアップし、最終的に「蜜蜂」をモチーフとした4面ディスプレイの映像インスタレーションになりました。「蜜蜂」がブンブンと飛ぶ羽音を主役に、4面のディスプレイにそれぞれ再生される映像と音響を同期させて上映する作品になります。

立体音響としてものすごい臨場感のある”場”を作り上げ、音だけでその場や歴史を体感できる空間をつくる森永さんの面目躍如、展示空間の真ん中に設置した椅子に座るとそこに局所的にしっかりと音響が立ち上がる様になっていて、本当に素晴らしい感覚を体感いただけるはずです。

そして、面白いのは、そこに座っていただくとわかるのですが、4面という人間の視界に入り切らない範囲に広がって上映されている4つの映像作品を一体どうすれば鑑賞することができるのか?二回に分けて観るのが正しいのか?という当然の問いに対して、自然と答えが出てくるはずです。

一般的には映像作品はやはり視覚に誘導されてその物語の中に入っていく体験になると思いますが、本作は音に視覚が誘導されます。今この瞬間見たくなるものはどの映像なのか、きっと音に導かれていくはずです。聴覚優位の映像作品、そしてだからこその臨場感は、物理的にも頭で理解する前に体で理解が進む作品になっているはずです。もしかしたら一緒に見た人と、全く違うものを見て違う感想を持つかもしれないこの作品を是非体感して欲しいと思います。

因みに、私の担当作品の中で最もコロナ禍が直撃した作品でもありました。作品の方向性が何回か変わった理由も大きな要因の1つのコロナ禍がありました。作品制作のために、森永さんが現地にフィールドワークに言っている最中にコロナ禍が発生し、通行止めなどの厳戒態勢によって目的地に行くことができなくなり、制作途中で作品を練り直すなど、本当にドラマティックな流れを経てこの作品は誕生しています。

グローバルとローカルに向き合ってきた森永さんだからこそ生まれたこの経過も含めて、作品から感じ取っていただけるものがあると嬉しいです。

POLLINATORS:Life of Hmong

ベトナム北部のシャーマンによる厄除儀礼を扱った視聴覚インスタレーション

作品の概要はこちらの芸術祭のHPにまとめてありますが、
キュレーターとして書かせて頂いたキャプションはこちら。

森永泰弘は、世界を飛び回って活動を続ける、日本有数のサウンドアーティストです。
映画や舞台芸術の音楽監督を務める一方、世界各地でのフィールドレコーディングをライフワークとし、その土地が持つ特性を民俗学的な視点から探求し、世界を捉え直していきます。
本芸術祭では、ベトナム北部の山岳地帯のモン族の生活にフォーカスし、シャーマンによる厄除儀礼と養蜂家による採蜜行為を重ね合わせたインスタレーションを展開しています。
シャーマンによる精霊との対話と養蜂家による蜂との対話から引き起こされる人間、環境、そして生活における共生共存を通じ、記号化された私たちの社会生活にオルタナティブな視点を導入していく作品となっています。

POLLINATORSというタイトルですが、蜜蜂がまさにその様な受粉するための媒介者でありますが、その養蜂を生業にした生活を送るベトナム北部の山岳地帯のモン族の生活を、同じくその生活のなかに根付くシャーマンによる精霊との対話というもう一つの”媒介”の生活を合わせ鏡の様に置き、多面的な文化性や風俗、そして「花」というテーマが抱える「媒介」といったエコシステムのプロセスが浮かび上がります。

その中には、環境に敏感でありその生息地域の変容などが地球環境のモニタリング指標にもなると言われる蜜蜂という存在が持ちうるレイヤーも作品に入っているかもしれませんし、コロナ禍で見直しが迫られている社会モデルへの言及もあるかもしれません。

4面に別れた映像は、対になる2面と2面に分かれて、ベトナム北部の山岳地帯のモン族の生活を2つの側面からドキュメントされています。その両方がモン族の実像でもあり虚像でもある。映像を観ることで生まれやすい「異なる文化を理解できたという誤解」から、1つの視界には入りきれないことが象徴するかの様に距離をとりつつも、自分たちの生活とつなげながら、考える時間にきっとなると思います。

森永泰弘

芸術・音楽人類学的な視座から世界各地をフィールドワークし、楽器や歌の初源、儀礼や祭祀のサウンドスケープ、都市や集落の環境音をフィールドレコーディングした音源や作品を発表している。森永の身体を包み込む様な音楽インスタレーションは、普段注意を払えていない音への自覚を促す。
主な展覧会として、インドネシア映画の巨匠ガリン・ヌグロホによる無声映画「サタンジャワ」の音響と音楽を立体音響として発表(2019/主催:国際交流基金アジアセンター)、「写真都市展―ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち―」(コラボレーション:石川直樹)21_21 DESIGN SIGHT(東京、2018)
http://www.the-concrete.org

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©Takashi Arai

〜他の担当作品ご紹介〜



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