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「日本企業のやり方にびくびくしたくない」と思う人たちー再評価の声を前にして感じること。

「何か知らぬ間に」と付け加えたいぐらいの感じで、海外投資家が日本企業を再評価する潮流が生まれてきました。

バブル崩壊は、地価高騰の反動はもちろん、「ジャパンバッシング(たたき)」で半導体をはじめ日本企業が収益力を落としたのも背景にあった。さらに日本を敬遠する動きは「ジャパンパッシング(素通り)」といわれた。

その風景は変わりつつある。米中対立により、かつての異質論の矛先は中国に向かう。逆に半導体の製造拠点として米国や台湾企業が日本を選ぶ。法制度が安定し見通しやすい日本への視線の反転は「大きなシフトだ」と大原氏は見る。

「ジャパンコール」生かせるか 素通り反転、鏡映しの株高

この何十年間、散々と批判されてきた日本のビジネス環境への風向きが決定的に変わるかな?とぼくが思ったのは、米中対立に加え、ロシアのウクライナ侵略から世界が2つの陣営に分かれ始めた時です。

冷戦終了後のグローバル化は日本の地位を相対的に低くするように作用しましたが、欧州の東方での動きにより、再び、地域が限定的になり一定陣営のなかでの駒の数が減り、日本が自動的に浮上してきています。

投資家の再評価も地政学的な状況との合わせ鏡だとすると、こうした見方に振り回されない姿勢をいかに維持するか?が大切です。

日本企業のやり方にびくびくしたくない

最近、欧州で仕事をする日本から来ているフリーランスの人たちの日本企業への見方が微妙に変化してきているのを実感します。日本企業のやり方に冷静に距離をとっているのです。決して、日本という社会や企業を嫌悪しているわけではないのですが、「ちょっと距離をとりたい」と思っているのです。

どこの国でもあまり事情は変わらないと思いますが、フリーランスの場合、エンジニアやデザイナーのような仕事はクライアント企業の国籍を選びません。だが、ビジネス開発などの場合、クライアントや市場開拓の先は出身国やその文化圏であるかことが多いです。つまり、欧州に住む日本の人であれば、日本企業の欧州市場開拓や欧州企業の日本やアジア市場の開拓が地理的範囲になるということです。

しかしながら、クライアントとして日本企業と付き合うのがあまり楽しくない。言ってみれば、精神的な苦痛を感じながら無理して日本企業と付き合うのを良しとせず、できればそれ以外の選択肢を優先したいと言う複数の声を聞くのです(もちろん、どこの文化圏のクライアントであれば理想ということもありませんが・・・)。

殊に目新しい現象ではないとも言えますが、ぼくが微妙な変化として思うのは、かつてであれば、ちょっとは我慢してお金のために働く、という選択をしていたのが、ちょっとでも我慢しないといけないなら、そのような仕事は自ら断る、と態度に変化していることです。

日本的なやり方にびくびくしたくない、と。

日本のなかで働き方改革が行われても、欧州の感覚からすると違和感が・・・

日本のなかで働いていても、旧来の働き方に不満や疑問をもつ人たちが増え、じょじょにさまざまな変化が見られます。残業や飲み会がやり玉にあがり、リモートワークや副業許可が喜ばれる、という具合です。

だから、当然、欧州に住んでいる日本の人も感覚は変わってくるよね?と思います。しかし、その想像以上のレベルと数で「日本の企業のやり方に合わせるの、納得がいかないなあ」と思う人の割合が増しているような意見に接するのです。

それは根底に次のようなエピソードが関わってくるのです。

東海道新幹線は山手線並みの本数で、しかも1分遅れても、謝りのアナウンスが流れる。驚異的だ!海外の人も、これには賞賛している。日本の底力がここにある。だから、この運営方法こそ、世界に輸出するべきだ。

出典をあえて書く必要がないほど頻繁に目にするフレーズでしょう。このようなことを大声で言っている人が少なくないですが、この発言には異文化理解の欠如があります。

なぜならば、新幹線の運営を賞賛はするが、自分の国でこの運営をするのはシンドイから嫌だ、というのが概ねの本音だからです。仮にそうした運営を苦としないのであれば、トヨタ生産方式が欧州の工場で普及した程度には、新幹線のマネジメントが採用されていたでしょう。

これを心の底から嫌だと思う人が多い社会に住んでいるのが、欧州にいる日本人なのです。

日本流に生きる必要のない人たちの見方

このような欧州に住む日本の人たちも、一時は日本のやり方に真向から意見を言ったかもしれません。でも、あまりに頻繁なので、文句も言う気がなくなってくる。だいたい衝突すれば面倒です。だから、やっかいになりそうなことはなるべく遠ざけようとします。それが、上述の現象にある背景です。

いや、「それでも欧州人も日本のやり方を褒めているのでしょう?」としつこく食い下がってくる人がいます。「私も、そういう東京に住んでいる欧州人を知っているし」と。

それには次の説明をしないといけません。

日本に住んでいる外国人の意見は、そもそもが日本の文化を肯定的に捉えようとする傾向にあり(それは自らが日本に親しんでいることをアピールする必要がある、との理由もあります。これはぼく自身が、イタリア人に向かってイタリア文化を褒める傾向にあるのと同じです)、または日本の文化に深くなじみたいとの意志に基づいています。

つまり、日本企業が再評価されること自体は大いに歓迎すべきことです。しかし、それらの再評価は「自らが日本に生きる、さらにいえば日本流に生きる必要のない人たち」の見方なのです。

一方、日本流に合わせないとお金をもらいにくい人たちは、「いや、ちょっと・・・」と口ごもりながら(あるいは、明言しながら)、すっと日本流と距離をとろうとします。

自分の心に正直に生きるしかない

冒頭の記事にあるような海外投資家の日本企業の再評価は、多くの人にとってはまったく外的なノイズに過ぎないのであって(たとえ、株価の値上がりによって儲けることがあっても)、日常生活においては、いかにノイズを遮断するか?がやはり大きなテーマなのです。

とすると、極めてありふれた言葉になりますが、自分の心に正直に生きることにしか、防御的な意味合いであれ、攻撃的な意味合いであれ、道はありません。

写真©Ken Anzai


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