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使う人が未来をつくる 活用的推進者の重要性

ブルーワイン。飲んでみたいですか?

食材をつくる人がいます。料理をつくる人がいます。けれども、食べる人がいなければ、それは無駄になってしまいます。たとえば、フードロスの問題。本来捨てられる食材をつかって料理をしたとしても、食べる人がいなければ、それはロスなままです。無駄にしない世界をつくろう。そうした共通の未来に向かって、作る人と食べる人が両輪となって進んで行く必要があります。

贈与経済の話。「信用の世紀 ブロックチェーン後の世界」の著者である斉藤賢爾先生と、「もし賃金を得るための労働をする必要のない社会が生まれたとしたらどうなるのか」という話をしたことがあります。僕が抱いたのは、遊んでばかりでズルい、食べてばかりでズルい、という「ズルい」という感覚がなくなるのではないか、ということです。何かを生み出すためには、何かを調達し、労力をかけて構築する必要があります。現代の貨幣経済社会の中では、これらには金銭がつきまといます。調達にはコストがかかります。かけた労力の対価を金銭として得なければ、次の調達もできないわけです。したがって、そういったコストを支払わずに、タダ乗りするように無料で消費する行為を「ズルい」と感じてしまうのかもしれません。しかし、これらに元手がいらないとしたら。作りたくて作る。食べたくて食べる。ともに、共通の価値基準を持ち、その未来を実現するために貢献しているという意味で等価なのではないでしょうか。「楽しく笑いたい」という未来を実現するために、笑わせる人と笑う人は共に必須な存在です。

これは極端な思考実験かもしれませんが、次のような視点が大切に思えてきます。ベンチャー企業が新たな未来を描き、それを実現しようと革新的サービスを作り上げるとき、それを使う側の存在がとても重要だということです。革新的サービスは、革新的であるがゆえに、使う側にためらいが生まれる場合があります。「今までなかったものを使って、妙なことにならないだろうか」「そもそも、その導入の予算枠はどこにすればいいのだろうか」といった具合に、いざ導入となると、足元にハードルがいくつも出てきたりします。そんな時、作った人と同じ未来をみつめることができていたら、と思うのです。「こういう未来をつくろう」「それいいね」「その未来を実現するために、これを作ったよ」「未来を実現するために、それを使うよ」と。作る側と使う側がいて、初めて未来は現実のものとなります。利用者は、何も作り出していないのではなく、使うという立場で、未来をつくることに貢献しているのです。

作り手への支援は、幸いなことに増えてきました。むしろ、導入する側への支援が、必要なのかもしれません。望ましい未来を作るためには、経済合理性に反した導入が必要になることもあるでしょう。そうした部分を支援できれば、作る・使うという正しい循環が生まれ、その営みに永続性をもたらす最初の1回転目を後押しすることができそうです。

共に未来を語り合い、それを、それぞれの立場から実践すること。消費者という言葉は、むしろ未来をつくるための推進者と言い換えることができるのかもしれません。創造的推進者と活用的推進者。「ベンチャー企業かっこいい」という雰囲気をもっと作って欲しいという声が、先日参加したJ-Startup×経団連の車座イベントで語られていました。それもあるかもしれませんが、ユーザーとしてのイノベーター層、アーリーアダプター層に対する社会的リスペクトが、もっともっとあってよいのかもしれません。そして、多くの人が、よりよい未来につながる革新的サービスを、多少のハードルがあったとしても、積極的に導入するという状況を作り上げていきたいと思います。

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