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家族は減るけど、家族だけが人のつながりじゃない

ちよっと前に書いたこの記事。

もう2014年から言い続けてきて、2017年には「超ソロ社会」にも書いて、かれこれ8年くらい言い続けていることで、それでも世の中には「え?そんな事態になったら国が亡ぶ」とか言う人が後を絶たず、なかなかファクトを世に広く知らしめるということは大変なんだなあ、と思う。

同時に、カエサルの名言「人は見たいものしか見ない」というのはやっぱり人間の本質で、どんなに情報社会になろうが、指ひとつで検索できる時代になろうが、人が見たくないものは事実として認められず、透明化されるということである。つくづく人間なんて原始自時代かにたいして変わっていない。

さて、「このままだと日本滅亡する。このまま結婚が減って独身が増えれば家族は滅亡する」と大騒ぎする界隈は、多分死ぬまで言い続けるので放っておくとして、結論からいえば、日本も滅亡しないし、家族も滅亡しない。しかし、家族の在り方は変わるだろう。

ただでさえ結婚が減っているし、離婚が増えているわけだから、従来の共同体としての「夫婦と子」による世帯(いわゆる標準世帯といわれた家族)は減る。間違いなく。

2020年の国勢調査の段階で既に25%に減った。2040年にはもっと減り、2割ちょっとになるだろう。一方で単身世帯は2020年時点で38%と4割に到達しそうだ。

夫婦のみ世帯が増えているように見えるのは、別に若いDINKS(←古い!)が増えているわけではなく、子どもが独立した後の高齢夫婦が増えているからだ。しかし、これらの夫婦も間もなく数年後に始まる多死時代によって大きく減る。

つまり、今後増える見込みのあるは単身世帯だけである。

そうやってみんなが一人暮らしして独居社会になるとディストピアなんじゃないの?と恐れる界隈はいるが、何度もいうように、何のお膳立てがなくても自発的に恋愛し、結婚して子を産み育てる人は一定量必ず存在する。その恋愛強者3割が婚姻の5割以上を構成しているのであって(恋愛強者同士が結婚するわけではないから)、彼らがいる限り、恋愛も結婚も家族も消滅しない。

しかし、かつて大家族で住むことが当たり前の家族だった時代から、核家族が当たり前となったように「家族のカタチ」は変わる。

よくいわれているのがコレクティブハウス的な物である。これはこれでありだがこれだけでもない。

「拡張家族」という概念で自ら血縁や世代を超えた共住生活を実践している石山アンジュさんなんかもいる。そうした形態で救われる人たちもたくさんいるだろう。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO60408920Y2A420C2M11000/

しかし、私自身も2017年の「超ソロ社会」でも「拡張家族」について言及しているが、私の場合の「新しい家族のカタチ」とは血縁や同居すら超えたところにあると思っている。

そもそも、なぜ家族は血縁でなければならないのか?なぜ同居しなければならないのか?それは、それが損得ベースで得だし、効率的でメリットがあったから大勢がそうしたわけだし、行政としての戸籍管理上も助かるからだ。だから法律もそれにう合わせてつくられている。

しかし、何が得で、何がメリットで、大勢がそうするかどうかは時代という環境によって当然変わる。変われば法律だって変わる。法律とはそういうもの。

人々が必ずしも全員結婚しない環境になれば、当然家族のカタチだって自然と変わる。単身世帯が4割から5割になったからといって、人々が全員バラバラに生きる時代なんて来ない。仕事や遊びなど社会生活を送る上で必ず人と関係性を持つ。単に、物理的に一人暮らししているだけのことでたいした問題じゃあない。

重要なのは、従来のカタチから結婚や家族がどういうカタチへと変わっていくのかを考えることであり、それについてはもう何回も言っている通り「接続するコミュニティ」になる。

わかりやすく結婚のカタチでいえば、「必ずしも同居することだけが結婚ではない」という方向でいえば、壇蜜さんの結婚のカタチもそのひとつ。

清野さんと壇蜜さんの夫婦のように完全別居婚という形態も、互いの信頼と合意の下快適ならばそれでいいと思います。勿論、子ができたという環境変化があれば、その時の判断になるでしょう。ずっと一緒ということにそんなにこだわる必要はない。

かつてアメリカの社会学者タルコット・パーソンが家族を「必ずしも共住を前提としない」と定義していましたが、今後はさらに共住関係だけではなく血縁関係をも超えたつながりの家族というカタチもでてくると思う。

さしずめ「家族とは、構成するメンバーの経済的生活の成立と精神的安定を機能とする契約に基づいた集団であり、必ずしも血縁や共住を前提としない」という新しい家族の概念が、今後世帯構造の変化で生まれてくる。

要するに何が言いたいかというと壇蜜さんと結婚できてうらやましいという事です。

彼女とは一度ラジオでご一緒しました。いい思い出です。

以下の記事にある通り、壇蜜とんの結婚観というか、結婚への視座はとても共感できる。

結婚や家族というもりは決してずぶずぶの依存関係ではない。むしろ「家族だからと、家族しか頼れるものがない状態に追い込まれてしまう」ことの方がリスクである。家族唯一依存による介護殺人や介護心中などの事件は最近多発している。

政府が「子ども家庭庁」などという名前にしたことに違和感があるのもそこである。子どもは家庭だけで育てるものではない。しかし、どうも自分の家のことは自分たちだけで始末しろという家族自己責任論の罠に多くの人が嵌っている気がして仕方がない。家族がいないなら国が助けろという二択になっているのもどうかと思う。家族か国か、ふたつしか頼れないのかよと。

夫婦と子という家族はこれからも減る。しかし、そうなった時に家族は自分の家族のことだけ頼って生きろと強制される社会はむしろ地獄である。
その他大勢の一人暮らしも、子育てを終えた高齢者も、血縁も同居もしていない者でも、いざとなれば救いの手を差し伸べ合う関係性が望まれる。それは決して知り合いである必要もない。見ず知らずの間柄のつながりを相互に助け合える仕組みや制度を整えるのが行政であり、政府の仕事なんじゃないの?と思う。

できもしない少子化対策とか婚姻増とかをああだこうだいう時期は過ぎた。婚姻は減る、子どもの数は減る、人口は減る、独身は増える、高齢死亡者は増える、ひとり親は増える、それを前提に社会のシステムそのものを見直さないといろいろと間に合わない。

というと、こういうのがくる。「この人の記事よく見かけるが、状況分析から彼なりの解決策はあるのだろうか?」と一見質問系の文章で「お前、いつも何も解決策ださないじゃないか」とディスっているわけですが、申し訳ないが解決策を考えるのは私の仕事じゃないし、そもそも解決できる問題じゃないと言っている。この人は、40度を超える気温になることを伝える気象予報士に「お前、温度下げる解決策だせよ」というのだろうか?


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。