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「ファッションがメッセージ」になる時代に、わたしたちは何を身にまとうか?

コロナショックが世界に暗い影を落としてから早1年半。

いまは目下東京五輪が盛り上がっているが、日本で開催されているにも関わらず、これまでの五輪と比べてどうも盛り上がりに欠けるのは、無観客だからというのはもちろんあるだろうが、「五輪どころではない」窮地に立たされている業界・企業が数多くあることと無関係ではないだろう。その当事者ではなかったとしても、「五輪どころではない」方々の存在が頭の片隅にあるので、どうも乗り切れないのだ。

飲食店や観光業界に加え、苦境を強いられているのがアパレル業界だ。

ファストリの「ユニクロ」の4月の既存店は前年同月比84.5%増だった。アダストリアは約2.5倍、ユナイテッドアローズも97.9%増と数字上は急回復にみえる。ただ20年4月は1度目の緊急事態宣言下でユニクロで最大時に国内店舗の約4割が休業していた。回復は反動が大きく、19年4月比ではそろって2割前後の減収となっている。

一方で、ZOZOが最高益を叩き出すなどECを主戦場としている企業は堅調だ。

コロナ禍がアパレル業界にもたらしたインパクト

コロナ禍は、アパレル業界にどんなインパクトを与えたのか。

コロナ禍に伴う緊急事態宣言などでECへの「デジタルシフト」に一気に拍車がかかったことは間違いない。

ただ、「それだけ」ではない。

在宅勤務が増えたこともあり、仕事の際の服装が急速に変化している。オフィスでの働く服の代表だったスーツは、カジュアル化すると同時に機能に富み、作業着に近づいている。一方、工事や農作業でも服装への関心が高まり、「スーツ」を着用する人も現れ、オフィスと現場の境界線は消え始めた。統一感が重要だった制服も、自由に着こなし、着る人の個性を生かすようになりつつある。

記事内には「スーツ姿でトラクターを操縦して農作業に勤しむ男性」の写真が掲載されていて、ものすごいパンチが効いているのでぜひご一読いただきたい。

一方、オフィスでの服装も変わる。東日本大震災後、クールビズの加速でネクタイの出番が減った。4~5年前からはIT企業を中心に、ジャケットに好みのパンツを合わせる「ジャケパン」など、カジュアル化が進む。自転車通勤も増え、コロナ禍がさらに後押しする。機能に富み、作業着に近づく。

ファクトリエの「座る」ためのパンツは、膝やお尻の部分が出ており、腰を落としたときにストレスがかからない立体的な作りになっている

ここに着目したのが、デサントと衣料品の通販サイト「ファクトリエ」で、「座るための服」を開発した。パンツは一般的なものより、膝が前に出ている形状が特徴だ。「極端に言えば、このまま野球ができます」とデサントグループでマーケティングを担当する藤原正太さんは話す。プロ野球選手のユニホームを手がける村岡工場(兵庫県香美町)で製造する。

「座るための服」をなぜ「プロ野球選手のユニホーム」を手がける工場が?と思う方かもいるかもしれないが、「内野の選手が腰を落とし、守備についている姿を想像してほしい。野球のユニホームは、始めからこの姿勢で膝にストレスがかからない型紙になっている」ということで、極めて理にかなっている。ものすごい発想力だ。

コロナ禍は、単に「買い方」が変わった(店舗からECへ)だけではない。

「服に求める機能」をも大きく変えたのだ。

服に求める「意味」も変化している。サステナブル、そして物語性。

「服に求めるモノ」の変化は、「機能」だけではない。

引用元:環境省|サステナブルファッション

これはコロナ禍が直接もたらした影響、というよりはコロナ以前からじわじわと浸透してきたトレンドではあるが、ファッションにサステナビリティが求められる時代になってきている、ということだ。

ぼく自身、この2~3年で「服」に求めるものが大きく変化した実感がある。

実を言うと、この3年間、服は「ファクトリエ」でしか買っていない。いや、厳密に言うと、国産デニムブランド「ITONAMI」のデニムシャツや、愛用しているスニーカーブランド「allbirds」のアパレルラインのセーターを昨年購入したので、「でしか」というのは嘘になってしまうが、9割以上はファクトリエだ。こうして記事を書いている今も、Tシャツからボトムスまで全身ファクトリエで買った服を着ている。

なぜファクトリエで買った服しか着ないのか?

理由はシンプルで、「一目惚れ」したからだ。

ファクトリエとの出会いは、かれこれ8年前に遡る。
RISING EXPO2013というスタートアップ15社がしのぎを削るピッチイベントで代表の山田敏夫さんのプレゼンを見て、一目惚れをしてしまったのだ。
(当時僕はリクルートキャリア入社3年目の会社員。同社がこのピッチイベントのスポンサーをしており、なぜか入社3年目の若造だった僕が同社の審査員の一人として参加させてもらっていた)

こちらのイベントレポートにも書かれているが、SDGsのアジェンダのひとつ「つくる責任つかう責任」を体現されている国内では稀有なファッションブランドである。

引用元:ファクトリエについて

ファクトリエは自ら「メイドインジャパンの工場直結ブランド」と称している通り、単にメイドインジャパンであるだけでなく、「つくり手」である工場にスポットライトを当てている点が非常にユニーク。

農産物のECサイト「食べチョク」が「生産者ファースト」をフィロソフィーに掲げているが、ファクトリエも同じく生産者ファースト=工場ファースト。その証拠として、従来のアパレルブランドでは「小売希望価格」が優先されてきたのに対して、ファクトリエでは「工場希望価格」が提示できる仕組みを採用している。これまでの業界の常識からしたら「ありえない」価格決定プロセスだが、ファクトリエは「日本のいい職人を守る」ことを是としているので、ファクトリエからすれば当然の価格決定プロセスだ。

「工場ファースト」だからといって、服のエンドユーザーであるお客様がないがしろにされているか?というと、もちろんそんなワケはない。

なぜなら、2012年に創業してから現在に至るまで、創業者の山田さん自ら全国津々浦々の工場を直接訪問し、「これは世界に誇れるメイドインジャパンだ!」と心の底から思える工場のみと取引をした上で、その工場の強みを最大限活かせて、お客様にとって価値あるアイテムを工場とともに共創していくから。

ファクトリエのアパレルアイテムに着いているブランドロゴには、すべてFactelierのロゴとともに「BY XXX」と工場の名前が入っていて、どこの工場でつくられたアイテムなのかが確実にわかるようになっている。

引用元:ファクトリエ商品ページ

それに加え、商品ページには必ず「作り手からのメッセージ」とともに、工場のストーリーやものづくりのこだわりがインタビュー形式で掲載されている。

そう、これまでのファッションブランドではあくまで「黒子」の存在だったつくり手(工場)にスポットライトを当てているのだ。

これは、つくり手のみならず、つかい手である我々エンドユーザーにとっても大きなメリットがある。

ただその製品を「身にまとう」のではなく、その製品が産まれた歴史や背景、ものづくりに込められた思いや情熱を知ることで、服を着るたびにそのストーリーが頭の片隅に回想されて「身にまとう」という行為が味わい深いものになるのだ。

ひとりで味わうだけでも十分豊かな時間を過ごせるが、さらに嬉しいのはオンラインミーティングや対面でのアポイントの際に、何かの拍子で着ている服について話が及んだとき。

「待ってました!」とばかりに「ものづくりの裏側にあるものがたり」が、口をついて出てくるのだ。

これぞまさに「語れるもので、日々を豊かに」を実感する瞬間だ。

「語れるもので、日々を豊かに」は山田さんの口癖であり、ファクトリエというブランドのタグラインにもなっているが、ファクトリエを愛用し続けて早6年、もはや「語れないもの」を買い、身にまとうことができないカラダになってしまった。ファクトリエ依存症、物語依存症かもしれない。

余談だが、各所でファクトリエ愛を叫びまくっていたところ、ファクトリエの「なかの人」からお声がけいただき、ファクトリエ公式アンバサダーに就任させていただくことになった。ANKERアンバサダーのときもそうだったが、愛してやまないブランドのアンバサダーを拝命することは望外の喜びである。

ファッションは、メッセージである。

アパレル業界やファッションの変化について書くつもりが、すっかりファクトリエへの愛を語るエントリーになってしまった。オタクの悪い癖である。
(ファクトリエのストーリーについてもっと知りたい!という方は、創業ストーリーを描いた「ものがたりのあるものづくり」をぜひ手にとっていただきたい)

話を元に戻すと、僕らが「服に求めるモノ」は「機能」だけではなく「意味」すらも変化している。

かつて、マーシャル・マクルーハンは「メディアはメッセージである」と言ったが、ファッションが人間の内面と外面、自分と他者をつなぐ情報を媒介する媒体(メディア)とするならば、「ファッションはメッセージである」とも言える。

つまり、何を着て、何を着ないのか、は無言のメッセージなのだ。

エシカルファッションを着るのも、メッセージ。
ファストファッションをあえて着ないのも、メッセージ。
「語れるもの」を着て、「語れないもの」を着ないのも、メッセージ。

正直、20代の頃の僕自身はファッションに対しては全く興味がなく、「着れればOK」くらいにしか思っていなかった。服に対して「機能」以外の意味を見出せていなかった。それは今も同じで、いわゆる「オシャレ」には全くもって興味がない。

ところが、「ファッションはメッセージ」なのではないか?という仮説をもちはじめた30歳以降は、大きく変わった。ファッションの流行については依然として興味がないが、どんなメッセージを発しているブランド・服なのか?に対してはかなり敏感になったのだ。

その結果、今や「語れるもの」しか着れなくなってしまい、結果的にファクトリエの服しか買わなくなってしまった。僕は「一神教」信者ではないので、ファクトリエ以外は絶対に着ない!というわけではないので、「語れるものづくり」をしているファッションブランドがあったらぜひ教えてほしい。切実に。

「ファッションはメッセージである」

とするならば、あなたはどんな服を身にまといますか?

ぜひみなさんも一緒に考えてみてほしいテーマです。

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