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お金との長い付き合い。広がる目的。

今年も師走、そろそろ1年が終わり、新年を迎える時期が迫ってきた。例年通り、慌ただしく過ごしているが、街中でお年玉袋を売っているのをみて、ふと幼い頃の思い出が蘇ってきた。両親や親戚からお年玉を集めるシーンだ。こっちのお年玉袋は大きい、こっちはぶ厚い。もらってもすぐに開けずに、見た目と手触りだけで中身を妄想したものだ。一通り集めると、誰もいない部屋の隅に行って、中身を一つずつ取り出していく。今年はまた一歳大きくなったから、昨年より必ず増えているはずだ。どきどきしながら次々に開封したものだった。

当時、お年玉でもらったお金をどうするかは、自分で決めることになっていた。母親に預けてもいいし、自分のお財布に入れておいてもよかった。もちろん使ってもいい。スーパーやおもちゃ屋に行って、自分でお金を払って欲しいものをゲットする嬉しさといったら格別だったのを覚えている。毎月のお小遣いとは違い、お年玉のインパクトは絶大だったのだ。額が違う。大金をどう使うのが一番良いのか、考えに考え抜いた。お年玉からは多くのことを学んだような気がしている。

高校に入ると、バイトをするようになった。確か最初のバイトはマクドナルドだったように記憶している。レジではなく、調理担当だ。まず制服に着替えるところからが新鮮だった。マニュアルを一通り頭に入れた後、現場に向かったが、とてもあたふたしたのを覚えている。手本を見せてくれる先輩の手際がとても良い。でも、自分には全くできない。スピードも遅いし、出来上がりもどこか雑だ。自分の出来なさ加減に相当落ち込んだものだ。半年くらいそのバイトを続けたが、高い品質で安定して商品を作り続けることの難しさ、お金を稼ぐという仕事の大変さを実感した日々だった。

そのあとは、時給の高い仕事を狙って様々なバイトに手を出した。どうせなら対価の大きいことをしたかったのだ。種類としては、夜間に働くもの、筋力や持続力を求められるものが多かったと思う。工事現場や会場設営などだ。そこでは、汗水を垂らして働き、それによって、物が実際に組み上がっていくという結果が充実感を与えてくれた。「華奢なのに力あるねえ」と言われると、とても嬉しくて、調子にのって、身体はボロボロなのにまだまだ行けますよと、返事をしていた。おそらく、この経験が現場感ややりきる力を養ってくれたのだと感じている。

高校も中盤を過ぎる頃から、筋肉系の仕事に加えて、家庭教師をやるようになった。ここではマンツーマンが基本だ。目の前にいる生徒が、モチベーション高く学び、加速度的に成績があがることが何よりもの目的だ。初めて自分がすべてをオーガナイズできる環境で結果を求められるという状況に突入したのだった。誰かが描いたマニュアルや設計図に沿って役割を果たすのではなく、顧客である生徒と向き合って、自分で生徒の目的到達までの道のりを描かなくてはならなかった。あ、これが対価の高い仕事なんだと気づいた瞬間だった。それからといえば、加速学習の創意工夫を続け、大学の2年の頃まで家庭教師を続けたが、志望校への高い合格率で人気の家庭教師になることができた。

大学の中盤以降は、筋肉系のバイトの代わりに、請負系のバイトも数多くやっていた。企業の調査業務を丸受けして、企画から調査報告までをやりきる仕事だ。500品目くらいの日本での価格を調べる内外価格差調査もその一つだったが、数十人のバイトの手配、値付けから進捗管理まで、自分の裁量で全て決めていったのを覚えている。最初は上手くいかなかった。でも期日だけは前倒しにしておいたお陰で、最後は自分で徹夜してでも挽回するという形でやり切ったこともあった。出来た、出来ないがはっきりする仕事だったので、責任感という言葉の本当の意味やプロジェクトマネジメントの重要性を身に沁みる形で理解する大事な機会となった。

大学院に入った頃から、研究を優先するようになったと思う。科研費など国のお金を獲得し、その成果で論文を書く活動も行っていたが、稼ぐや対価という世界からは少し距離が遠ざかっていた時代だ。研究自体を極めていくことはもちろん楽しかったのだが、ふとした瞬間にこれだけのお金を掛けて、価値として何が生まれたのだろうかと、疑問が生まれることがあった。その度に、世界に発信できる研究をしなさいという担当教授の言葉を思い出して、研究に突き進むことに没頭した。のちの世に必ずや役に立つのだと、長期的な目線で物事をみる能力を少しずつ育むことができたと感じている。

その後、博士号をとりながら、大学で教員をやっていたのだが、ある日突然、経営コンサルタントという職業に出会ってしまったのだ。凄腕のコンサルタントの語る話には、人を引き込む力があり、みるみるうちに自分でも試したくなった。目的にいかに短時間で到達するか、ヒトモノカネをどう使って経営を成り立たせるか。今までに経験のない難題に挑戦したくなり、突然の転職を実行した。そこでは、異次元の時間単価を顧客に請求する。最初は、がむしゃらに様々な立場の顧客のことを妄想し、すべての人が協調できるありたい姿を徹底的に考え抜くことに挑戦した。最初の10年は寝る時間など惜しむことなど全くなかった。顧客の常駐先では深夜、まだまだ今日生むべき対価の大きさに到達してない。自問自答して、チームメンバーと語りあっていた記憶がある。

部門ごとの成功から会社全体としての成功、短期的な成功から中長期の仕込み・成功まで、様々な視野で戦略の検討を進めた。それぞれの立場の人が発する疑問に、全て答えようと、立場ごとの視野の違いを意識して、対話を組み立てていった。しばらくすると、家庭教師での顧客志向、請負プロジェクトでの品質管理、筋肉系バイトでの現場感と粘り強さ、科学者としての中長期目線、これら全てを、圧倒的に高い対価を構成する要素として無意識の中で活用するようになっていたように思う。大きな価値に仕立てて、その価値を顧客に認めてもらい対価を得る。消費側ではなく、供給側としてのお金との付き合い方が定まったのがこの辺りの時期だ。

最近の10年は少し別の変化も出てきた。それは応援という概念だ。これまでは、価値を出したらその対価を得たいというのが原則だった。いまは、この若者やこの取り組みは素晴らしく貢献したい、自分のお金と能力をつかってもらって、世の中に新たな価値を生み出して欲しいと考えている。これまで株式や投資信託への投資にあまり意味を感じず、少額しかやっていなかったのだが、ここにきて投資に対する考えが変わってきた。エンジェルとしての活動を始め、その為の資金を確保するための株式や投資信託での運用を始めている。もちろん、応援する会社が上場などしてくれたら、大きな資金を得ることができるが、応援するかどうかの基準は、情熱があるかどうか、社会に向き合っているかどうかだ。

ここ数年は、その延長線かどうかはまだ定かではないが、文化振興への応援活動も進めている。自分の能力で貢献できるところでは、お金と時間を使う。直接出来そうにないところでは少額のお金で応援する。こんなスタンスだ。でも、総じて面白い、やりがいを感じるのは、新たな価値を生み出そうとする供給者の部分だ。消費者としてのお金の使い道はあまり興味がない。使うなら、深く入り込んで新たな価値を一緒に生み出せるところか、もしくは社会にとって必要で、間違いのない活動をやっているところだ。歳を重ねるにつれて、力の掛け具合が、消費者サイドから、供給者サイドに確実に寄ってきているのが分かる。

ふと、金融投資を職業にされている方の気持ちが知りたくなって、ウォーレン・バフェット氏の記事を探してみると、彼の金言が見つかった。自分自身、これまで金融の投資活動に対して、正直かなりの距離を置いていたが、この記事を読むと新たな感覚が湧いてきた。根っこは同じなんだ。そう思った。お金に対して改めて考えてみたら、自分の視野をまた少し広げる機会になったのは間違いない。お金との付き合い方。これを一つとっても、まだまだやるべきことは多そうだ。一歩一歩、歩んでいきたいと思う。


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