変身すると後悔も生まれたりする

こんにちは。弁護士の堀田です。
既に締め切りが過ぎてしまっていますが、「変身した話」についてのテーマ募集があるため、書いていきたいと思います。

今回は働き方の話はなく、主に私の経験を踏まえての内容になります。

お笑いの大会にでる高校時代

私は高校生の頃、友人と一緒にコンビ(最初はトリオでしたが、一人は裏方に回りました。)を組んでお笑い(?)をやっていました。
一応、コンビ名も決まっていて、高校2年生の時から学園祭でコントをやったり(大滑りしましたが…)、高校3年生の時には学園祭の司会をしたりしていました。
高校3年生の夏、お笑い甲子園北陸予選が出身の石川県で行われ、飛び入りで参加しました。石川県からの出場は私のコンビだけでしたので、実質石川代表でした。
結果は、優勝ならず、4組中3位(自己採点)でした。
もし、ここで優勝していたら、新宿のルミネで決勝だったのですが、私の人生は変わっていたかもしれません。

部活とお笑いから勉強モードに変身

私は、小さな頃から剣道をやっており、私の高校は県内の強豪校でしたので、部活はかなり厳しかったです。人生で一番しんどい時期でした。
そんな部活とお笑いに明け暮れた私は、まったく勉強せず、一桁の点数は当たり前の0点もあったレベルで、補講の常連でした。成績は学年では最下位を争うレベルでした。

部活も引退し、お笑い甲子園も終えた私は、大学でも剣道をしたいという思いから、必死に志望校に向けて勉強を始めて、なんとか合格しました。

体育会での活動から司法試験

もともと剣道をするために大学を選んだ私は、当たり前のように体育会剣道部に入り、部活動とアルバイト、飲み会の日々を過ごしていました。

大学3年生の頃、進路を考える頃になり、当時私は、ずっと剣道がしたかったので、警察になろうとおもっていましたが、(体育会で強豪選手を目の当たりにして)「そもそも剣道で芽がでることはないな」と思い、刑法だけは勉強していたので、「司法試験を受けよう」ということで安易にも司法試験の道を選びました。

法律家の道へ

そこからは、またまた体力だけは人一倍あったので、必死に勉強してなんとかロースクール、司法試験に合格できました。
大学ではまともに授業を受けていなかったので、ロースクールでの講義は刺激的でした。

弁護士から経産省出向

その後、弁護士を2年もしないうちに経済産業省に2年間、任期付き職員としていくことになりました。
「いつかは弁護士以外の仕事をしてみたい」と思っていたものの、まさか官庁とは思っていませんでしたが、これもま非常に貴重な経験でした(おかげでこうして日経COMMEMOで書かせていただいております。)。

変身してみると後悔もある

こうして、(大げさなところもありますが)①お笑い芸人⇒②剣道⇒③法律家⇒④経産省職員⇒⑤現在、という変身をしてきた私ですが、よく「結局弁護士になれたからよかったね」とも言われます。
確かに、「最終的には」弁護士を目指していたので、それはうれしいです。
しかし、その前には、「お笑い芸人」と、「警察になって剣道で活躍する」という夢は諦めています。まず、ここに後悔があります。

また、部活動に励んできた私にとっては、ロースクールの講義は新鮮で楽しかったので、「もっと真面目に勉強しておけばよかったな…」という後悔もあります。

「変身」とはかっこよくいったものの、その過程ではいくつかの夢を諦めていますし、後悔もあります。

なんやかんやで人生は満足

矛盾するようですが、後悔はあるものの、(30歳でいうのもなんですが)人生にはとても満足しています。
「変身」をしていったからこそ、後悔と同時に、いろんな人と出会い、いろんな想い出ができたように思います。
今でも一番の想い出はお笑い甲子園で、笑い飯さんと絡み、「キミたちバカなんだねぇ」とお褒めの言葉をいただいたことです。

今回は私のこれまでの人生の話でした。次回からはまた真面目な話を書いてきます。


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