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留学って。

日本の若者が海を渡らないと嘆いている記事があります。EUの留学制度「エラスムス」が効果をあげてきているのに対して、日本の学生は留学に消極的である、と。

エラスムス世代――今年35周年を迎えた欧州連合(EU)域内の留学プログラムで学んだ世代のことだ。(今年1月、史上最年少となる43歳で欧州議会議長になったマルタ出身の)若き日のメツォラ氏をはじめ1000万人を超す若者が、民主主義や多様性など共通の価値観を育んだ。ドイツでの実証研究ではエラスムス経験者は海外で働く可能性が15~20ポイント高まり、欧州の労働市場の統合を後押しした。最新の計画「エラスムス・プラス」は留学支援に2021~27年、総額262億ユーロ(3.7兆円)を投じる。

メツォラ氏の説明部分のかっこ内は追記です。
海渡らぬ日本の若者 欧州「エラスムス世代」留学で鍛錬(スイス、ノルウェー、英国はEUではないので、上図をEUとして括らないのが適切です)

一方で、次のようなグラフがあります。西欧、即ちエラスムスを推進しているEUにある多くの企業は、CEOの63%が「本社と異なる地域での職務経験があり」、日本の企業ではわずか21%です。

経産省「未来人材ビジョン」の46ページ

これらを眺めていて思うことをランダムに書いていきます。留学分野の専門家でないですが、30年以上、イタリアで日本からの留学相談、プラスして既にヨーロッパに諸外国から留学しているかなりの数の人たちと話してきたので、語れることもあるだろうと思うのです。

留学は発展途上国にある「文化」か?

経済的に進度の遅い国が、さまざまな分野で追いつくために経済成長が進んだ国に若い人を送り込むのが留学のひとつのクラシックな形としてあり、明治時代、日本の人は欧州(ドイツ、フランス、英国)や米国へ留学しました。法学、機械、化学など、それぞれの分野で秀でた国の大学を目指すわけです。

ですから、それなりに諸外国から学んだと認識する段階になれば、留学の動機は小さくなります。現在、中国やインドの留学生が伸びているのは、国内教育レベルとの側面と、世界でトップへの到達の意欲の強さと必要の表れなのでしょう。

しかし、それらはあらゆる分野を通じて一様なわけでもなく、ある特定の分野において「トップレベルを知る」需要があるのです。米国の留学率が極端に低いのは、この動機の裏返しでしょう(英語を学ぶとの理由がないのも、当然あるでしょう)。

ただ、現代の留学は必ずしもトップレベルを追い求めるわけでもないです。

例えば、デザインであれば、北米、スカンジナビア、英国、オランダ、イタリアと留学先はばらつきます。プロダクトデザイン、サービスデザイン、デザイン理論、ソーシャルイノベーションなど、各デザインのトピックで先端をいって、かつそれがライフスタイルとして違和感のない国の大学を目指します。クラシック音楽でも、ドイツ、オーストリア、ポーランド、イタリア、フランス、オランダ・・・と自分の弾く楽器と好む作曲家によって滞在したい国が異なります。

およそ、明治時代の留学とは根本的に異なり、もっと個人的な生き方と相性の良い文化との出逢いを求めているものです。ですから、特定の技術の分野において新興国の学生が先進国に出かけるとのパターンはありながらも、先進国の学生の留学動機は別にあります。それこそ新興国の社会問題に向き合いたいために、先進国の人が新興国に留学するケースもあります。

米国の大学だけに目を向けない

もちろん、国によって大幅に違う授業料も選択に影響します。南米やインドからイタリアに来ている学生と話すと「米国や英国の授業料が高すぎたから」と説明してくれることも多いです。

ただ、特に南米の学生から「米国の強引さに抵抗したい」との言葉を聞くこともあります。南米に対する米国の圧力に対抗するために、米国とは異なるところで、いわば理論武装をしたいというのです。その際、欧州の南で自分たちの文化とも近しいところにイタリアがある、と。

このようなはっきりとした理由をイタリアで日本人の学生から聞くことはないですが、「世界の米国一辺倒に危ういものを感じる。かといってスカンジナビア礼賛には違和感がある、だから南欧に学びたいと思った」と語る人はいます。前述したように、世界大学ランキングなどとは関係なく、個人的な直観や生き方の関係で留学先を選ぶわけです。

ぼくが日経新聞の記事などで気になるのは、留学といえば「米国のエリート大学にどれだけの価値があり、そこに行かないと世界で遅れをとる」と煽る傾向が殊更に強いことです。結果、本来、世界の動向を知るべき位置にいるエリートの人たちが「米国のことしか知らない」「外国語は英語しか知らないから英語圏にしか目がいかない」とのアンバランスな状況を作る要因になっています。

あえてさらに言えば、MBAコースのような場合、世界大学ランキングと関係なくどころか、そのランキングそのものが新たなキャリアの給与を左右することもあり、大いに関係するでしょう。他の学科においても、似たような傾向を強く示すことはあるかもしれません。しかし、これらの分野の特徴をもって留学を語るのは、視野が狭いと感じると言いたいのです。エラスムスの理念はそうではない、と。

留学で得たい経験とは?

先に紹介したように、「自分の人生を豊かにするための留学」を選ぶ人たちがいます。ぼく自身、この30年間の変化として思うのは、留学動機の多様化です。分野も広がっています。サッカーのようなスポーツ留学がその一つです。以前なら料理もシェフ修行が主目的だったのが、料理文化を学ぶ研究家もいます。

即ち、この「自分の人生を豊かにする」とは、自分の関心のある領域を広げ、そこをより深く知りたいとの欲求に素直に従うことです。そして、学ぶべきは、何らかのテクニカルなスキルもさることながら、「その領域で世界で広く通用する原則とは何か?その原則をつかって、多くの合意をとれる構想にどこまで仕立て上げられるか?」の習得が第一にくるのではないかと思います。

したがって、それぞれの領域で意見形成に長じている人たちが集まっているところに留学すれば、その後、該当領域で自らが主導権をとれる可能性が高くなります。また、これまで該当領域での考察の蓄積に対して、どう「恩返し」すれば良いかが明確になります。その結果、適切な恩返しをすることによる貢献に加え、更なる発展のための信頼に足る協力者(=仲間)と見なされます

・・・で、エラスムスの成果は?

冒頭に引用した記事には書いてありませんが、EUが世界のルールメイキングを主導しているのは、エラスムスの成果とも言えるのではないか?と想像しています。

異文化にある人たちとの間にあるギャップをどう乗り越え、あるいは活用していくか?を考えた人たちが一定数いるー35年間で1千万人以上ーことが、自分たちの構想を強くし、それを欧州外の人たちに説得していく(ある場面においては、「強制的」な匂いがするにせよ)力になっているのでしょう。

他方、オンラインの普及により、移動することなく世界でレベルの高い授業を受けることが可能になっています。ぼく自身、哲学や歴史について、オンライン上のレクチャーや議論を何回も聞きまくり、本だけではこれまで入りきれなかった部分に踏み込めてきた実感があります。音声による説明の威力をあらためて感じます。

知識はどこでも得られる時代になったと言いますが、その知識を身につけるー血肉にするーにあたり、音声が貢献してくれるのです。だが、そうしてかなりの程度で血肉になったとしても、上述した「その領域で世界で広く通用する原則とは何か?その原則をつかって、多くの合意をとれる構想にどこまで仕立て上げられるか?」の学びは、物理的な場でのリアルなやりとりがさらに要求されるだろうと感じています。

まさしくエラスムスによって、この必要性を体感した人たちがそこらじゅうにいるのが、現在の欧州であると言えます。言うまでもなく、ぼくもエラスムスで留学した人たちをたくさん知っており、ここで述べたことを体験しているわけです。

<7月8日追記 上記を読んだミュンヘンで仕事をするデザイナー前澤知美さんのコメントを転載します。彼女は英国の大学に留学した経験があります。旦那さんはイタリア人です>

記事読みました!最近同じようなトピックについて考えていたので、実感を持ちながら拝読していました。 エラスムスと留学は似ているようで遠いプログラムですよね。夫や友人の話だと、エラスムスは留学というより、自国大学のプログラムの一部のように語っています。

ローリスク(安い、近い、短い)、ハイリターン(難しい試験をしなくても良い、異国コネクションや経験を作れる)だけど、行き先は限られている。夫はエラスムスで行ける特定のスペインの大学のコースに興味があったのでPadovaを選んだと言っていました。 そして、日本から「留学」してきた私に、そんなハイリスク(費用、学位、ビュロクラシー、距離、言語云々)、自分の環境だったらとても無理と言います。

もちろん大学に行くだけが留学ではないのですが、アカデミック以外の留学のパスもまだまだハイリスクですよね。。。ヨーロッパ羨ましい! 一方で、他国へのメンタル的な距離もあるかと思います。ヨーロッパに住んでいると日常生活の中に他国の存在がありますよね。シャンプーひとつとっても成分表示は3カ国以上だし、朝テレビをつけると他国の事情がニュースで流れてくる。日常の延長線上にすでに他国があるというか、自分の生活が他の国との関係でできているのがナチュラルであるというか。

日本だとエンタメの中での韓国との関係性がかなり日常になっているなと感じています。ポップミュージックを目指す人たちの日常の生活の延長線上に韓国音楽があり、エンタメ留学先として、韓国へ行くことがかなりナチュラルに起こっているように見えます。

<7月17日 ボローニャ大学修士課程で歴史を学んでいる中小路葵さんより頂いたコメントを追記します>

留学の記事読ませて頂きました。実際に留学してから感じていた事が、安西さんのより客観的な(大人の)視点から述べられており、大変背中を押されました。

特に、留学の意味の多様化について、まだまだ理解されにくいですが(エリート層ほど理解出来ない人が多い実感)、より豊かで優しい日本のために大切なことだと思います。まずは私たちがモデルケースになって引っ張っていかないとですね!頑張ります。

その上で、「その領域で世界で広く通用する原則とは何か?その原則をつかって、多くの合意をとれる構想にどこまで仕立て上げられるか?」の習得、目線は高くないとダメですね。ありがとうございます。 エラスムスは、これから博士号に進むとしたらエラスムスで違う国も見てみようと思っているので、是非また数年後に経験談を語れるようになっていれば嬉しいです。

写真©Ken Anzai



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