自分の見たいものを信じようとする宗教的な世代論マーケ、いつまで続けるの?
世代論については、事あるごとに「無意味」と提唱しているのですが(特に、マーケティングの分野では)、なんの宗教なのか、世代論絶対主義者は一向にいなくならないようです。
世代論の中でよく話題になるのが「若者論」。むしろ、最近は「Z世代」という言葉が氾濫して、あろうことか、そうやってレッテル貼りされている若者自身が、得意気に自ら「うちらZ世代だから」と言い出す意識高い系界隈まで出現する始末。
身も蓋もない話をすれば、今までの世代若者論もすべておっさんたちが定義したものであって、Z世代に関しても例外ではない。「俺達はおっさんたちとは違うんだ!おっさんたちには俺達のことはわからない」と言いながら、 おっさんたちが定義した枠内にきれいに収まることで、自己を見いだそうとするのもまた、歴史上繰り返されてきた若者の姿でもある。
つまり、「大人の常識に収まらない自由な価値観を持っているのが若者」なのではなく、「大人の常識に収まるまで自由に動き回っていい囲いのある場所で遊ばされているのが若者」なのである。
大人たちは、大人になると、その「自由のフィールド」から追い出されてしまう。自ら進んで出て行く者もいるが、まだ中にいたくても追い出されてしまう。同時に、外に出ると、今まで自分たちがそうされてきたように、大人たちは大人たちなりに、見えない所で若者たちのいわば「檻」を整備してあげる責任を負わされる。「檻」とはいえ、それは言い方を変えれば、「安全」でもある。
若者からすれば、大人たちの方が不自由な檻の中に閉じ込められているように見えるかもしれない。それは単に視点の違いだけであって、動物園の動物から見れば、見学している人間の方が檻の中にいると思っているのと同じだ。
もちろん、大人がそんなこと意識してやるほど賢人でも聖人でもない。結果的にそうなるだけ。かつて若者だった大人が若者時代に「これが自由だ」と思ってみていた世界が、所詮大人たちによって用意されていた囲いのある遊び場の中での自由を謳歌していたにすぎないと気づいた時、人間は老いたなと感じるのだ。そして、老人には「老人の檻」が用意されており、そこにみんな収まっていく。
時代やテクノロジーの変化によって、特別な世代が登場するわけではなく、ホモ・サピエンスの時代から「若者は若者」「老人は老人」というふうに同じように価値観は推移していくだけに過ぎない。
そんな中、メディアでは珍しく「真実を突いた記事」を見た。
ここでいわれているのは、ゴルフをするような若者は、昔も今も価値観はおっさんと一緒であるということ。但し、大事なのは、趣味嗜好ではなく、趣味嗜好を実施する経済力や人間関係や環境の問題が大きいということである。
つまり、先に趣味嗜好や価値観があるのではなく、それを醸成するのは、ぶっちゃけ本人の経済的環境が第一義なのだ。貧乏な家育ちなら、そもそもゴルフもしないし、するような友人関係も存在しない。食うに困る家の子がヴァイオリンなんて弾こうとも思わない。
世代で価値観などたいして変わらないが、経済環境によって価値観は大きく変わる。逆にいえば、同じ時代に生きていたというそれだけの理由で、多くの人が同じ価値観になるわけがないのだ。
新人類世代が全員個性的なわけではないし、バブル世代の若者が全員ウェーイではないし、氷河期世代が全員新卒で就職できなかった陰キャではない。よくよく考えれば当たり前の話だ。
こういうと、世代論教の人から猛烈な批判がくる。
いやいや、世代によって、時代によって、価値観は変わるのは当然だし、実際、団塊の世代や新人類世代などと今の若者が置かれている生活環境も違うではないか。あの当時、スマホもなかった。生まれた時からデジタルネイティブなZ世代とそれ以前の世代とで価値観が変わるのは当然だ、と。
なるほど。では、こんなお話はいかがでしょう。ある会社の新入社員に対する上司の愚痴です。
残業を命じれば断るし、週休二日制は断固守ろうとする
社費留学で海外にやると、帰国したとたん会社をやめてしまう
あるあるですか?しかし、これ1986年の新聞に投書された上司の愚痴です。この愚痴られていた当時の新入社員は、今や60歳手前のおっさんたちです。そのおっさんたちが多分今同じような愚痴を新入社員に言っていることでしょう。何も変わらない。
こんなのもあります。
昨今の若者は、すべてにわたって消極的で、思い切ったことをしない
最近の男は、口先の達者さだけで物事を処理し、骨の折れそうなことは避ける
現代でも通用しそうですが、これは江戸時代に書かれた「葉隠」にある言葉です。「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な本ですね。本当に何も変わらないのです。
「葉隠」にはこんな言葉もあります。「最近の若い衆は、女のような恰好してなよなよしてる」等。男性の女性化とかも最近言われますが、別に今に始まったことではありません。そういう若者はいつの時代にも存在する。
それでも世代論教信者はしぶとい。
「お前が何を御託並べようが、 Z世代マーケティングは今全世界的に注目されている。お前ごときが違うといったところで、笑われるのはお前だけだ。そもそもお前、昭和すぎてZ世代がなんたるか、知らねえだけだろ」とか、ほぼ誹謗中傷に近い言葉もくる。
いや、仕事柄知らないわけじゃないし、巷で言われている「多様なZ世代論=人によって定義がバラバラで統一されていないいい加減なZ世代論」は少しは存じ上げているつもりです。僕自身、宣伝会議の講座では「Z世代についての誤解」についてお話しています。
簡単にまとめるとこんな感じ。
割と、共通項目としていわれるのが真ん中にある「社会のために役立ちたい」意識というか、ソーシャル意識というか、環境問題にも関心が高いのでしょう?みたいなイメージあると思うのですが、イメージ的にはいつも怒ってるこの人みたいな↓
実際問題、環境問題に関心のあるZ世代なんて2割程度なもので、それこそ「裕福で、生活に困らない、親のおかげでたくさん勉強する時間のあった子」だけの話でしょう。地球の環境やCO2の話より、今日の夕ご飯や連載漫画の続きに興味のある子の方が多い。それ、昭和の子どもたちと何ら変わらない。
「そうは言っても、昔に比べたら今のZ世代は、社会のために役立ちたい思っている、少なくともおっさんたちよりは」と譲らないのですが、ほれ。
若者より50-60代の高齢者の意識の方が高い。いつの時代も、若者は社会のことより、自分の半径3メートル以内の方が大事です。見知らぬ社会で困っている人より、隣にいる友達の困りごとにしか目が届かない。それでいいんですよ、若者は。
むしろ半径3メートル以内の人間に手を差し伸べられない人間が地球なんてものを救えるわけがない。
同時に、大人になる(経験を積む)とは、半径3メートル以内の人間に対して手を差し伸べた経験をもとにその範囲を拡大していくということ。
おっさん世代が世代論や若者論を信じたがるのは仕方がないと思います。だって、そもそもは自分達の安心のために定義したいだけですから。何千年も前からいわれている「近頃の若者は…」という言葉が、世代論・若者論に他ならない。いつの時代も、企業で意思決定権を持つ課長以上のおっさんが世代論に納得し、食いつくのはそういう理由です。
しかし、それは人類が始まって以来ずっと継承されてきた「若者像」をコピペしているにすぎず、世代で分けるという考え方をしている以上、そこに新しい発見などありません。むしろ、20代でも50代でもアイドルオタクの行動や消費はなぜ完全に一致するのか?という方向から見ていくべきです。
現在、未婚者人口も増えています。かつて20代でほぼみんなが結婚していた時代には、40代以上の未婚者はごく少数でした。そして今や、40-50代の未婚人口の方が20-30代の未婚人口を上回ります。かつて子どもがいて当たり前だった40-50代が未婚のままその年齢に達しているわけです。客単価の高いこっちの塊の方がマーケティング的には大きな市場です。
Z世代マーケティング云々以前に、やることあるでしょ?と言いたいわけです。目が節穴じゃなければ。
ちなみに、家族マーケティングもそろそろ終焉を迎えますよ。