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「これも古典なんですよ」、「マジすか?」

今、町田康さんの「口訳 古事記」を読んでいる。これが、めっぽう面白いのです。弟のスサノウが凶暴化し狼藉を働いているという部下からの報告をうけて、姉のアマテラスのリアクションが「マジですか」。部下の答えが「マジです」。オオクニヌシの兄弟は「むかつくから弟を殺しちゃお」。全国統一を目指す大王は「言うこと聞かないやつがいるから、ちょっといってどつきまわしてこい」。万事こんな調子の超絶現代語訳で物語が展開するんです。
しかし、古典というのはすごいなあと思う。恋愛、嫉妬、裏切り、友情と、その後の文学、演劇、映画で使われる基本的なプロットが、すでに全てと言っていいほど物語に散りばめられているんですもん。古事記や日本書紀は、それを神々たちが繰り広げるわけですからスケールもでかい! 強烈な力を発揮する剣を東征する神武天皇が手にいれるお話は「ファイナルファンタジー」だし、豪族同士がしばきあうさまは「ゴッドファーザー」のファミリー同士の血で血を洗う抗争です。
僕らは広告を作ったり、コンテンツを作るために、いつも新しいストーリーをもと求めているんだけれど、新しいものは全て過去にあったわけ。まるで、「猿の惑星」の最後のシーンを見た時のように打ちのめされる感じ。答えは全て過去にあったって気づく、あの感じです。


1968年「猿の惑星」(C)20th Century Fox/Ronald Grant Archive/Mary Evans

ダメ男を救う文楽!

古典を読むことになんの意味があるの?っていう人がいるけど、古典には人間関係の物語の全てが収められていて、それは今を生きる人たちのヒントになるわけです。
古典といえば、文学だけでなく、能、文楽、歌舞伎、落語といろいろあるわけですが、是非、みなさんに見てもらいたいのが文楽です。最初、とっつきにくいかなと思っていたのですが、自分が一番ハマったのが文楽でした。

文楽は一つの人形を3人が操る人形劇です。舞台上手に作られた「床」という空間で三味線引きの奏でる三味線にのせて太夫がストーリーを語ります。自分は20年前に知り合いに誘われて文楽を見に行く機会が初めてあったんですが、人形に感情移入とかするわけないじゃん、まぁ、お手並み拝見くらいの気分だったのです。が、しかし、大変申し訳ございません、私が間違っていました、文楽すげーという衝撃を受けたんですよ。まず、太夫がすべての登場人物のセリフを声色を使い分けてしゃべり、状況説明つまりいわゆる地の文も語るんです。まるで音楽のように。今まで見たことのないヴォーカリストだっったんです。そして、あなた、そうはいっても人形でしょ、って思ってた人形がだんだん人に見えてくるんですよ。人形を操る技術がすごいんです!

その時僕が観た演目は「曽根崎心中」だったんですが、この名作、店の金を使い込んだ徳兵衛と遊女のお初がラストシーンで自刀する話です。今の人間の感覚からすると心中をする男女に感情移入するなんてほぼムリだと思うんです。でもこの芝居、江戸時代に上演された後、心中ブームが起きて幕府が上演禁止命令を出したという曰く付きの演目なんですが、現代の劇場でもラストシーンで劇場は静まり返り、観客は固唾をのんで人形を見守る状況になるんです。江戸時代にこの芝居を見て自分も真似しようと思ってしまう人が出てきてしまったことも想像できなくもないんです。

とにかく、太夫や人形遣いの技術が凄いのですが、文楽のもう一つの魅力はダメ男の救済コンテンツであるということでしょうか。そうです、ダメ男もこの世で生きていいっていいよと教えてくれる大変ありがたいコンテンツ、それが文楽なのです。

「曽根崎心中」の徳兵衛もはっきり言えば脇が甘いんですよ。その性格ゆえ悲劇的な結果をもたらしてしまいます。しかし、その後もいろいろな演目を見たんですが、文楽の主人公はほぼダメ男。ダメ男オールスターズと言っていい感じで、ありとあらゆるダメ男が登場します。女にだらしなかったり、お金にルーズだったり、まあ、ひどいわけです。文楽は関西発祥で大阪で育った芸能なので、大阪の旦那衆が、まあ男はダメでも仕方ない、みたいな気持ちになるために文楽にはフィーチャリング・ダメ男演目が多いという話を聞いたことがあります。文楽を見ると、まだまだ自分も大丈夫と前向きな気分になれるから不思議です。

大河ドラマ派か、トレンディドラマ派か

それでですね、文楽の演目は大きく「歴史物」というグループと、「世話物」というグループに分類できます。「歴史物」はザックとまとめると「大河ドラマ」的なコンテンツです。「仮名手本忠臣蔵」、「義経千本桜」、「菅原伝授手習鑑」などがその代表作で、歴史的な出来事をベースにつくったストーリーです。大体、上司に対する忠義を果たすことと、家族や恋人との人情が両立できず辛い選択を迫られる不条理を描くお話が多いかな。

「世話物」はまさにトレンディで、江戸時代に実際に起きた殺人事件や心中事件などをベースに戯作者たちがものすごいスピードで芝居にしたてた演目です。

先ほど紹介した「曽根崎心中」も1703年 (元禄16年)4月7日に大阪曽根崎村の露天神社で実際におきた心中事件を、近松門左衛門が脚本化し、早くも翌月の5月7日に道頓堀にあった竹本座で上演したもの。凄くないですか、このスピード。ワイドショーの再現ドラマレベルですよね。こちらも、親子関係、不倫関係の不条理に巻き込まれるストーリーが多いかな。当時の世の中の世相もよくわかりますね。

そんなわけで、「大河ドラマ」派か、「トレンディドラマ」派か、好みに応じて選んでみてください。気軽に見るならまずは「世話物」の方が最初にみるにはわかりやすいかもしれません。

近松は江戸の秋元康で桑田佳祐

東京で文楽講演を行っている国立劇場。1966年に建てられたわけですが、耐震構造などの強化のため、2023年10月から建て替えを計画していて、2029年にあたらしい劇場が完成する予定です。そんなわけで先月から「さよなら国立劇場」というキャンペーンを展開中で、文楽といえばこの作品というような名作を上演中です。9月の夜の部は「曽根崎心中」の上演です。

で、「曽根崎心中」こそが、「世話物」の嚆矢なんです。それまで文楽は「歴史物」だけで観客も大河ドラマ好きのおっさんが中心。経営者のおっさんたちが集まって、時代に翻弄される武将のドラマを見て、組織論とかリーダー論とかを話していたんでしょう。
そんな、状況を変えたいと思ったのがこの「曽根崎心中」の劇作家である近松門左衛門。近松は劇作家の枠を超えたプロデューサー的な存在だったんです。秋元康さん的センスがあったんですね。おっさんがみる芝居を、大阪の街の女子たちがキャッキャいいながら見にくる芝居に変えたかったんです。そのために、木戸銭も安くする提案をしました。若い子でも気軽に払えるプライス設定にしたんですね。そして、芝居の内容も若い子が共感しやすいものにした。歴史の話じゃなくて、同時代の物語にして、芝居に出てくる場所も当時のトレンディースポットにした。若い女子があつまるパワースポットの神社を登場させたりね。世間の耳目を集める事件が起きたら、すごい勢いで芝居にしたって話はさっき書きましたね。

そして、近松は桑田佳祐的でもあったんですね。近松の書く「床本」。太夫が読む台本です。これ、普通、日本人は五七五調が聞いてて気持ちいいんでしょうけど、近松はあえてい字余り、字足らずを多用したんです。これって、デビュー時のサザンオールスターズの、日本語だけど日本語に聞こえない歌詞の作り方と近いんじゃないかなって思うんです。


↑ これが「胸騒ぎの腰つき」の正しいポーズ

そんな、江戸時代のギャルを夢中にさせたスーパー古典コンテンツ「曽根崎心中」。9月の国立劇場で見ることができます。ちょっと、覗いてみてはいかがでしょう。


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