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「日本の総中流時代は終わった」というが、そもそもそんな時代はなかった

「一億総中流はもはや過去」とありますが、そもそも「日本は中流層が多かった」というのが大きな誤解だったと思います。

「一億総中流」の誤解は、「国民生活に関する世論調査」の結果に基づきます。これは、生活の程度を尋ねる設問なんですが、「中」と回答する人の割合が、1964年から一貫してほぼ9割で推移していることからです。

9割とはすごい数字です。

しかし、これにはカラクリがあって、回答の「中」とは「中の上」「中の中」「中の下」の合算なのです。つまり、生活の程度が「上」か「下」じゃなければ「中」になるわけで、果たしてこれが「日本は総中流だ」というエビデンスになるのか?といえばはなはだ疑問です。しかも、これ回答者の主観ですからね。年収が低くても「まあ、下というほどではないだろ」と思う人たちが大勢「中」に組み込まれている可能性もあります。

客観的な指標でみれば、ジニ係数が一番わかりやすい。ジニ係数とは主に社会における所得の不平等さを測る指標で、数値が大きければ大きいほど格差が大きいことを示します。

比較のために、日米英の1820年からの長期ジニ係数の推移を見てみましょう。

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御覧の通り、日本は、少なくとも太平洋戦争前までは、米国や英国同様格差の大きい国でした。戦後もほぼ米国と同じ推移をしています。英国だけは、戦後の一時期「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれた手厚い社会保障に基づく格差のない社会を実現していましたが、それも80年代のサッチャーによる新自由主義経済によって、格差拡大方向へ舵を切りました。

日本もこうしてみると、この200年間でみれば、そこそこ格差の大きい国だったわけで、そもそも中流層が多かったというより、マジョリティの下流層の中だけでみたら真ん中あたりが多いということだけの話なのでしょう。つまり、昔は中流が多かったというより、「平等に(深刻ではない)貧乏が多かった」という話です。

とはいえ、格差は拡大していることは事実。米英ほどではないですが、1980年代後半のバブル崩壊を機に、90年代から日本の格差が徐々に拡大していることがわかります。

ちなみに、生涯未婚率が急上昇したのも90年代からです。日本の経済格差拡大と非婚化のタイミングが同時期であるということも、何かの偶然でしょうか?

冒頭の日経の記事では、生活保護の増加について触れられていますが、長期的に見ても、給料が増えなくなった平成年間の30年間で、生活保護受給者率(人口千対)は明らかに上昇していることがわかります。

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日本には、資本金10億円以上の大企業が6000社以上もあり、もそこに勤めている正規雇用者が約680万人います(民間給与実態調査)。これは全雇用者の2割に相当しますが、逆を言えば、残りの8割は中小企業に勤めているわけです。

東京の感覚だけで世間を見ると、そもそも平均給与でさえ「そんなに低いわけない」と錯覚してしまいますが、日本はそれだけすでに格差のある国になっているということなんです。

「一億総中流は過去」どころの話ではありません。そんな事実は日本の歴史上、一度もなかったというのが本当でしょう。しかし、事実はそうでも「私たちはみんな中流だよね」という思い込みが刷り込まれていたというのもまた事実でしょう。日本の総中流は、基本的に国民の脳内虚構にすぎないのです。

余談ですが、明治民法以来の皆婚を実現したのも、同じような思い込みというか集団錯覚に近いものがあったのではないかと思います。そもそも日本人に皆婚も離婚しないで添い遂げるのも無理があります。もっといえば、集団主義も全体主義も日本人にはあっていない(この件に異論のある人は多いと思いますが、別途ちゃんと記事を書きます)。

要するに、この150年、日本人は日本人の歴史上、もっとも日本人らしくない日本人を何らかの力によって、演じさせられていたのではないか。その間違いのきっかけが明治維新。僕はそう思うし、今の非婚化や離婚の増加は、それが元に戻りつつあるともいえるのです。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。