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AIに仕事を奪われないとDX が進まない、という関係にあるのかもしれない。

AIが仕事を奪う未来、というのは、オックスフォード大学のオズボーン博士などが2014年に発表した論文「雇用の未来(The Future of Employment)」に端を発するものだろう。

AI が仕事を奪っていくという議論の根底には、今の自分の仕事が奪われることに対する危機感や恐怖感があり、そこには AI が仕事を奪わないでほしいという人々の気持ちが反映されているのだろう。

一方で、世の中では DX が一向に進まない、特に日本の DX の進捗が遅い、もっと進めるべき、といった論調が見られる

実はこの2つはとても矛盾しているのではないか

 DX と AI は必ずしも同義に語れるものではないが DX の中には AI を活用した仕事の効率化が含まれており、DX が進めば必然的に AI が仕事を奪うことにつながると考えられる。

そうであるなら DX を推進しようという機運はつまり、AI によって人々の仕事を奪おうということとイコールだと考えてもあながち間違いではないのではないか

なぜ DX を進めなければいけないかというと、諸外国との価格競争力において優位に立とうということに本質的には行き着くのだろう。必ずしも営利的な部分でなくても、例えば行政の DX が進むことによって行政手続きが効率化することで結果的に民間の事業がスピードアップしていき、最終的に価格競争力が勝っていくということになるのであろう。必ずしもこれは安価に提供するということだけでなく、利幅を増やしていく、収益性を高める、それによって賃金の上昇余地を高めるということにもつながっていくのだと思う。

 DX については比較的ポジティブに語られる割に、 AI が仕事を奪うことについてはネガティブに語られるという所に実は本質的な矛盾が含まれているように感じる。

私たちは 、AI に仕事を奪われないようにすることが優先なのかそれとも DX を推進することが優先なのかについて、もう少しよく考えて、議論を深めるべきなのではないだろうか

私個人としては DX をどんどん推進し AI が担える仕事についてはどんどん人間から奪ってしまった方が、長期的な観点からは望ましいのではないかと考えている。

それを究極まで推し進めて残った 「AI にはできない仕事」「 DX ではどうにもならない領域」というところで、初めて人間の本質的な価値がわかるということになるのだと思う。 AI によって人間から奪える仕事は奪い尽くしたうえで、そこに残る人間がやらなければできないことの領域というものを明確に見定める必要があるのではないだろうか。それがはっきりすることで、例えば今後子どもたちにどのような教育を施すべきなのかということも明確になるだろう。ここがわからないから、みんな戸惑っているように感じる。

過渡期に生きる今の私たちにとっては、これは必ずしもありがたい話ではない場合もある。実際に職を失う人達も出てくることになるだろう。その時にそうした人たちをどのように救うかはまた別の議論をしなければいけないと思うが、早いうちに手を打った方がよいことであると思う。

ひょっとすると、そこには AI がするのではコスト的に見合わない、人間の安い労働力の方が AI にコスト的に勝るといった部分も残されるのかもしれない。しかしこうしたものは、コロナ禍において明確になった(がすでに忘れられつつある)、いわゆるエッセンシャルワーカーの価値と実際に払われる賃金が安いことの矛盾をいかに解決するべきか、ということもより鮮明に課題として浮かび上がるのではないだろうか。

今後も人類の歴史が続いていくのであれば(それもやや危うい昨今の国際情勢ではあるが)、今ここで AI や DX によって実現できる機械化・省力化といったものを極限まで追い詰めた時に現れる、人間にしか出せない価値をもう一度見つめ直すべき時期にあるように思う。

#日経COMEMO #AIに奪われない仕事

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