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絶対化される「ルール違反」

本日のテーマはこちら.そして法と経済学でのおなじみのテーマでもある.


概要

 第一報を聞いた時の主観的な感想は「処分が重すぎる」というもの.同様に感じた人もいるようで,元陸上選手で三大会連続で五輪にも出場している為末大さん,LINEヤフーの川邊健太郎さんも処分のバランスがおかしいおいう指摘をしています.

……私もまったく同感です.そして,直近の事例と比べての処分バランスもおかしい.先月のスケボーのパリ五輪予選での飲酒については「厳重注意」「注意」「不問」として処遇されており,その差は歴然です.

しかし,ある程度の認知度がある実名アカウントの多くが今次の厳罰の問題点を指摘している一方で...SNSでは処分は当然であるというエントリが非常に多い.

違反と罰則のバランス

その主張のコアは...

・ルールに違反したのだから処分は当然である(本人がサインした行動規範所にも飲酒喫煙の禁止が含まれている)

というものになります.この「ルールに違反したのだからどう処遇されようと文句は言えないはずだ」という発想です.これについては,石戸諭さんの指摘が短くわかりやすい.

"学校化"と書くと別の意味を含んでしまうので,あえて柔らかく書くけど...この「学校っぽさ」「学級委員長み」は日本の政治・ゲンロン空間を大幅に息苦しく,さらに生産性のないものにしている点は,本マガジンでも,繰り返し指摘してきました(→「お行儀のよさ」と「キャラ」).

 そして,ここでSNSで大勢を占める処分必至/厳罰支持の主張は大きなことを見落としています.宮田選手もサインした(であろう)行動規約に罰則に関する規定はありません.そのため,今次の厳罰(形式上は辞退)を行動規約違反を根拠に正当化することは難しい.
 これは,就業規則が法的に有効であっても懲戒規定がない場合には懲戒処分を下すことは出来ないのと同じですね.日本体操協会もそれがわかっているから辞退「させた」という形式で処分している.ルールをそこまで墨守すべきと考えるならば,こちらのグレーな処遇を問題視すべきでしょう.

 そして,ここが大切なのですが,仮に個々の規約違反と罰則について明記されていたとしても...それがバランスを欠くものならば十分な根拠とは言えない.そして私は今次の事例はバランスを欠いていると思います.
 再び就業規則を例に説明しましょう.「すべての規則違反は懲戒解雇の対象です」と書いてあり,雇用者もそれを読んでサインしていたとしても備品のペンを数本ぱくったとか,禁煙のトイレで隠れたばこした・・・とかでの懲戒解雇は無効になります.

厳罰化への合理的反応

 もうひとつの論点は「寛容な処置はさらなる問題を生む」というものです.単純化すると「甘くするとツケあがる」「他の選手に示しがつかない」というもの.

これ逆効果だからね!!!

 ここで思考実験(思考実験とはあえて極端な想定での行動を考えることで論点のコアに注目する手法で,私がポイ捨て死刑とか逃亡犯は人を殺すものだという話をしているわけではありません…あーめんどう^^).

 仮に「タバコのポイ捨ては死刑」という法律ができたとしましょう.確かにタバコのポイ捨ては減るかもしれません.しかし,仮にこの法制度の下で・・・ついうっかりタバコを路上に捨ててしまい/それを目撃された「犯人」はどのように行動するでしょう? 目撃者を殺してでも逃げ切ろうという反応を生みかねない.

 量刑は段階的でなければなりません.量刑が段階的でないと,相対的に軽微な違反を隠すためにより重大な違反を誘発することになるからです.法と経済学の講義でよく出てくる話.

 今次の例によせると...「喫煙・飲酒がばれると代表辞退」という前例が定着したとしましょう.この慣習のもとで……有望な選手を抱える学校やチーム・企業はエース選手の喫煙・飲酒事案にでくわしたときどうするでしょう? 目撃者への圧力や強要,ハラスメントによる口封じを選択することがあっても不思議ではありません.また,反対に有力選手の喫煙・飲酒の証拠をつかんだ側はそれをもちいた脅迫・恐喝の機会を得ることになってしまう.
 ここまで大事ではなくとも,「厳重注意と主将解任・大会後の謹慎」といった処分であれば今後の再発防止への流れにつなげられる一方で,厳罰を優先すると隠ぺいや相互監視の強化によって今後の指導の幅を狭めてしまうことになるのです.

 余談ですが...江戸期の刑事法制では「十両以上の窃盗は死罪」であったことをご存じの方も多いでしょう.これってかなりバランス悪い量刑なんですよね.米価換算すると10両は現在の100万円くらいの価値です(賃金換算すると×4くらい).100万円盗んで死罪・・・だと窃盗犯は死罪をまぬかれるために何しでかすかわからないですよね.
 小説家で江戸期の法制史にあかるい佐藤雅美さんは,江戸期の刑事事件記録の中で窃盗について「9両台」の事例が不自然に多いことを指摘されています(何度も言及されているので出典忘れた).これをどう解釈するか.

「犯罪者も死罪をおそれて10両とるのは遠慮した」
「10両で死罪はやりすぎなので,現場判断で被害者となぁなぁに話をつけて被害額を少し下げてもらった」

のどっちなんだろう.佐藤さんは後者の解釈ですし,私もそう思う.店者の横領しての欠落の場合とか...例えば店の金に手を付けたのは許せないけど死罪ってほどではないなぁと思った人も多いんじゃないかな.

 今次の事例もそこそこ柔軟に,悪く言えば時になぁなぁな部分も含みながら対処すべき事案でしょう.もちろんSNSにあふれる厳罰主義をみると...「柔軟な対応」はメディアや一部の「識者」から批判されるでしょう.しかし,私は「自分たちへの批判を恐れて19歳のアスリートの競技人生を大きく狂わせてしまった日本体操協会幹部の弱さ」こそ批判されてしかるべきなんではないかと思うけどね.

アスリートを神格化するのはおやめなさい

 このような厳罰化論の背景にあるもうひとつの問題が,

・名誉ある「オリンピック」の「日本代表」なのだから高い倫理観が求められる

という意識です.確かにその注目度からしてフツーの19歳と彼女は別物なのは確かです.しかしですね...新体操がめちゃくちゃ上手で世間に名前が知られている「だけ」で,彼女もひとりの19歳女性なんですよ.
 そして,彼女も...というよりすべてのアスリートは日本人の倫理観向上とか,国威発揚のために日々研鑽を積んでいるわけではない.スポーツが楽しいから,実現したい目標があるからがんばっているだけなんだ.

 スポーツ選手を神格化して,そこに倫理観や国威発揚をもとめる思考はもうやめたがいい.そして,このような神格化の意識をはずして考えてみると・・・やっぱり今次の処分はバランス悪いと思うんですよね.


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