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転勤という制度に対して思うこと。


皆さんこんにちは、澤です。

前回の記事も、とてもたくさんの方に読んでいただいてうれしいです!

「スキ」は過去最高記録!ありがとうございます!
ボクの子供のころの写真が決め手だったのでしょうか(笑)
※「スキ」してる人はボクも好きです!へんてこなアイコン写真がランダムに出ますので、ぜひポチってみてくださいね!

さて、今回のテーマは、日経COMEMOが意見募集の呼びかけをしてくれた「#転勤は本当に必要ですか?」について書きたいと思います。

ボクが就職活動をしていたのは1992年。
男女雇用均等法が施行されてからまだ7年しかたっていない時代でした。
「男性は会社のために滅私奉公、女性は会社で相手を見つけて寿退社」が、まさに常識として浸透していて、そこから逸脱することが「異端」とされていたと記憶しています。

ボクは中堅生命保険会社に内定をもらっていて、内定式だの内定者拘束日だのにも参加はしていたのですが、どうしても「就職ではなく就社」という雰囲気になじめず、内定を辞退して卒業まで3か月というタイミングで就職活動をやり直して、プログラマになりました。
※トップの写真は、最初に就職した会社の時のもの。たいてい「これは誰?」という反応が返ってきますw

その当時「なんとなく就社は嫌だな」と思った原因の一つに「転勤」があったことを思い出しました。
これ、すっかり忘れてたんですけど、結構大きな要因の一つでした。

「会社」という概念的存在の意向で、「はい、来週からXXって街に行ってね~」と命令されるのって、どうにも受け入れる自信がないなぁと思ったんですよね。
多分、内定もらってた生命保険会社だと、あちこち転勤することになってたと思います。
その都度、人生の選択ミスを悔やんでいたかもしれないと思うと、ぞっとします。

ちなみに、これは価値観が人によって違うでしょうね。
ボクの父親は、野村證券に終身勤務していたのですが、それこそあちこちの街に転勤していました。
でも、彼はそれを大したストレスには感じていなかったようで「会社の金で全国に行けるのは楽しいもんだ」なんて言っていました。
こういう感覚の人には、転勤しまくる生活もいいのかもしれませんね。
また、会社への忠誠度が高ければ高いほど、給料に跳ね返ってくるようなシステムになっているのなら、転勤を耐えるだけの価値はあるかもしれません。

このような昭和のビジネスパーソンの会社に対する考え方は、バブル崩壊後に社会に出た世代とはずいぶん違います。
昭和的考えがすべて誤りや悪であるわけではないのですが、「Japan as No.1」の時代はとうの昔に終わっていることを再認識した方がいいと思うんですよね。
日本という国には、素晴らしい国産企業がたくさんあるし、まだまだポテンシャルもあると思います。
ただ、「一人一人の価値観を尊重する」ということは、まだまだ苦手な人や組織が多い印象があります。

「自分はこうしたい」「自分はこれはいやだ」という、自分中心の考え方をもっとしてもいいと思うんですよね。
転勤がいやなら、その気持ちに正直に仕事選びをすればいい。
ボクは「転勤は会社による暴力」と思っているくらい、転勤という制度はきらいですが、だからといって転勤制度のある会社を全部つぶして回ってやるぞ!というテロリスト的な思想を持っているわけではありません。
そういう制度も含めて、楽しく働ける人がそういう会社を選べばいいわけです。
「転勤いやだなー」と思ったら、辞令が出た時点で「転勤」ではなく「転職」してしまうのも一つの手段ですよね。
自分に正直に仕事を選んで働けているかどうかを測るとき、「転勤」はいいリトマス試験紙になるかもしれませんね。


ところで、今回のテーマにも合うのでボクの書籍の紹介を・・・
アスコムさんから出版させてもらっている「疑うからはじめる。」です。
今の働き方に迷っている方や、ビジネスパーソンとして自分をアップデートしたいと思っている人に読んでほしい本です!


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