AIに奪われない仕事に共通する特徴とは
下記の日経の記事のように、AIがイラストを描くようになったことでAIが人間の仕事を奪うのではないかという議論が再燃している。
AIによる革命
たしかに、これは大きな革命であり、画家やイラストレータ―にとっては最大の脅威である。1枚の絵を何日、いや何週間や何ヶ月もかけて描いている人間に対し、AIはたった数十秒でそれらしい絵をアウトプットしてしまうのだから。
そして僕は絵師ではないので、かわいい女性の絵が欲しいと思った時に望むものが目の前にあれば、それがAIが作ったものであろうと人間が作ったものであろうと、あまり気にしないというのが正直なところだ。
今はまだAIのアウトプットの質が均一でないため、まだ人間に分があるように思えるが、一般市民が自由自在にAIから好きな絵をアウトプットできる時代が来ると、たしかに完全に代替されてしまうシーンが浮かぶ。
AIに奪われない仕事とは
では逆に、AIに奪われない仕事とはどういうものなのだろうか。
サービスには提供側と受け手がいる。先のイラストではAIがイラストの提供側であり、受け手は絵が欲しい人間だ。
このように、今回AIが取って代わる場所はサービスの提供側なのだが、その代替が成立する条件として、「受け手である人間がそのサービスに満足するか」が重要なポイントとなるのである。
イラストだと、「誰が描こうが、望むイラストが出ればいい」と思う受け手が増えれば増えるほど、代替が進むという構図である。
レントゲンの画像診断なども、「人間より精度が高いなら別にAIがやってくれればそれでいい」と思う人が増えれば、AI化が進んでいくことになるだろう。
同様に高級レストランでAIシェフがめちゃうまフレンチを作っていたとしても、「彼女とのデートで素晴らしいフレンチが食べられるなら、別に誰が作っていてもいい」と思う人が多ければやはりAI化が進んでいくのだ。
その理論から言うと、受け手が「AIにやられたら嫌だな」と思う仕事こそが、AIに奪われない仕事だということになる。
AIにやられたら嫌な仕事
ということで、まずは人間代表として、僕が嫌だなと思うものを考えていこう。
僕は血の通わないAI営業マンからは物を買いたくないなと思うし、
AI先生が黒板の前で勉強を教えてくれても、人としての何たるかは本当に教えられるのかと疑問に思うし、
もし自分が裁判で争うことになって、AI弁護士同士が戦って有罪判決を喰らったら、リアルで負けてるのにゲームで負けた感を感じるだろうし、誰に文句言っていいのかすら分からなくなりそうでやっぱり嫌だ。
無人タクシーは、すでにゆりかもめのように無人運転の電車もあるわけだから、目的地にちゃんと着いてくれたら別にいいんだけど、途中で事故を起こされてムチ打ちになってしまったら誰が責任とってくれるんだろうって思うとちょっとグレーだろうか。
……と、こんな感じで皆さんも自分がAIにやられたくない仕事を考えてみると、AIに奪われる仕事/奪われない仕事という未来が見えてくるかもしれない。
僕の仕事である作家業は・・・AIに書いてもらうよりも、実際に結果を出してきた人たちの手で書いてほしいかな(希望的観測だけど)
まとめ
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最後まで読んでくださって、ありがとうございました! これからも楽しみながら書き続けていきます!