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スローガバメント: 子ども庁は、参加型社会を推進するか

Photo by Allen Taylor on Unsplash

「責任ある消費者」が企業を動かし、社会を変える。このムーブメントを牽引するのが「スロー」という価値観だ。スローは、ただ遅いということではない。ハンバーガーのように 10 分ですませられるファストフードに対し、材料を集め、みんなで料理をつくるというプロセスを大切にし、人と人との関係性を育みながら食事を楽しむのが、スローフードのムーブメントだ。

スローの考えを行政に当てはめた「スローガバメント」という考え方もある。起きた問題を縦割りでファストに解決しようとするのではなく、一歩下がって「この問題はなぜ起きているのか?」と行政機能に横串を入れて考え、本質的な解決策をスローに見つけていこうというものだ。


子ども会議があらゆるまちのインフラに

日経の記事によると、子ども庁に関する与党の議論の中で、子ども自身が子どもに関わる課題について議論する「子ども会議」が、あらゆる市区町村に設けられることも検討されているという。ワクワクする話だ。しかし、日本中の市区町村の「子ども会議」が、たんに「子どもの市民参加意識を高める」だけの啓発に終わってしまってはもったいない

行政・企業・NPOがセクターを超えて地域の未来を共創する「つなげる30人」。その一つで、町田市主催で開催されている「まちだをつなげる30人」でも、「子ども市議会」プロジェクトが立ち上がった。子どもたちのアイデアで、多様な人たちが一緒に楽しめるスポーツを共創する取り組みだ。

こういった取り組みが広がるのは素晴らしいことだが、気になるのは、「子ども会議」で何を話し合うかである。

「子どもの権利」と「市民参加」の本質を考えてみる

「子どもの権利」について詳しく見ていくと、日本の子どもたちは恵まれていると思われがちであるが、実は「参加する権利」、特に「意見を表す権利」については日本の子どもたちは十分に得られていないことに気づく。つまり、大人が聞きたいから子どもの意見を聞くのではなく、「子どもには意見を言う権利がある」と捉えなおす必要があるのだ。

昨年、京都市の第3期市民参加推進計画づくりに関わったのだが、「市民参加」の推進には、「市民の市政参加の推進」と「市民によるまちづくり活動の活性化」の二つがある。前者は行政主導、後者は市民主導の「市民参加」の活動ということになる。計画づくりの議論の中では、「市政参加とまちづくり活動に参加する市民を増やすには?」という問いで議論することが多いのが現状である。しかし、その先にある市民参加の本質的なチャレンジは、「市政を市民の手に取り戻すには?」という問いになるはずだ。

「市政を市民の手に取り戻す」という観点からすると、子ども会議のチャレンジは、「子どもには子どものことを話させる」の枠を超えて、いかに「子どもがあらゆる政策立案に関わる機会をつくれるか?」になる。もし子どもが子どものことしか分からないというロジックが成り立つならば、高齢の政治家も、高齢者のことしか分からないということになってしまう。あらゆる政策を多様な視点から考え、多様な市民と協働していくことが重要になる。

子ども会議が、多様なステークホルダーが集まり、本質的に問題を考え直していく「スローガバメント」の実験場になる可能性はあるだろう。

スローガバメントの本質は参加型社会の推進

スローガバメントを中心に行政そのものを再考してみると、「縦割りの専門家が効率的に問題解決を行う」というファストな価値観から脱却し、「多様な視点で問題を領域横断で捉えなおし、多様なステークホルダーの協働で本質的な問題解決を行う」ことが行政の仕事になろう。

ニセコ町では、地域町づくり会社「ニセコまち」を設立し、住民が主体的に取り組む第2の役場とすることをめざす。

都市でも、住民や企業のアイデアをスピーディに取り込む動きは広がっている。これまでの「有識者が集まってルールを決めて住民に周知する」というスタイルから、「あらゆるアイデアを集めて衆智を結集する」スタイルへとシフトが進む。

つまり、行政は決定機関ではなく、多様な意見をもつ市民の対話を促進し、本質な問題解決に導くファシリテーション機関になっていくということだ。京都市では、市民参加推進計画を実現するための施策として、組織を超えて行政と市民の協働を推進するための知識とスキルをもつ、「市民協働ファシリテーター」を育成・任命してきた。

「行政がスローガバメントになっていく」という概念は、まだまだ理解が広がっているというわけではない。これは、「企業がティール組織に変わっていく」のと同様に、「機械パラダイムの組織」から「生命パラダイムの組織」への発想の転換を必要とするからだ。誰も管理しないで大丈夫なのか?誰が責任を持つのか?といった多くの疑問を持つ人が多いのは、機械パラダイムで考えてしまうからだ。

だからこそ、重要なことは論理的な説得ではなく、子ども会議のような実験を通して「感情的な理解」が広がることだと思う。子ども会議というワクワクする仕組みが、行政をスローガバメントに変え、私たちの社会を「専門家による管理社会」から、「多様な市民の参加型社会」へのシフトを進めてくれることを期待したいものだ。

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