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いきなり正念場のドイツ新政権~北京五輪という「踏み絵」~

北京五輪問題、いきなりドイツ新政権に「踏み絵」
2022年2月開催の北京五輪に関する各国のリアクションが騒がしくなっています。新疆ウイグル自治区での人権問題、香港民主主義に対する抑圧問題、中国人ジャーナリストに対する言論弾圧、そしてここもと話題になっている有名テニス選手の失踪などが懸念事項として指摘される中、先進各国は北京五輪から距離を取り始めています。既に米国、オーストラリアに続いて英国、カナダが外交的ボイコットを表明し、これに対し中国が「間違いなくその代償を払うことになる」と警告する穏やかならぬ構図が現れています:

中国はまだ方針を決定していない日本に対し「真偽を示す番だ」と脅迫まがいのけん制も見せていますが、漏れ伝わる日本政府高官の発言を踏まえる限り、通常の参加表明は徐々に困難になっているようにも見えます:

片や、フランスやイタリアはこの流れに乗らない意向を示しています。特にイタリアに関して言えば、G7で唯一の「一帯一路」構想参加国に名乗りを上げた経緯もあり、今回も中国を困らせるような挙動は避けるでしょう。今やイタリアはEUやG7という枠組みに打ち込まれた中国の楔にも見えます

 こうした状況下、出方が注目されるのがG7で最も中国と政治・経済的な距離が近いドイツです。ショルツ新首相は媚中外交とも揶揄されたメルケル路線からの転換を謳っています。その象徴が新政権で外相に就任した緑の党党首のベアボッグ氏であり、自他ともに認める反中・反ロ路線を取る政治家です。既にベアボッグ外相が「北京五輪のボイコットも除外しないと語った」ことが報じられています。外交的ボイコットではなくドイツ選手団を北京五輪に派遣しない正真正銘のボイコットの可能性も取りざたされており、仮にそうなれば、中国の立場は一気に追い込まれます。まだ、立場は定まっていないようです:

独中関係はアフターメルケル時代の行く末を見極める最重要論点の1つであり、その経済関係の深さに鑑みれば、「現実的には難しい」との見方も漂います。それだけに北京五輪に対する決断はショルツ政権に差し出された「踏み絵」と言えるでしょう。なお、北京五輪ボイコットに加え、天然ガス・パイプライン「ノルドストリーム2」を稼働させるかどうかという争点も、もう1つの「踏み絵」として浮上していますが、対ロ関係については別の機会に議論したいと思います:

「返り血」覚悟の反中路線
「現実的には難しい」と言っても、ドイツは時として理想論に傾斜し、非現実的な対応に邁進する危うさが指摘されます。その典型が昨今の気候変動関連の動きであり、企業部門の活動を圧迫してでも温暖化抑制を追求する政策が続きそうです。この点でもショルツ政権は「メルケル政権の不十分な対応を是正する」という立場を明示しています。連立政権内部に健全財政を主張する自由民主党(FDP)を抱えながらも基金創設により「気候変動関連の支出は別」と整理した上で支出拡大に踏み切る勢いです。こうした政策運営が伝統的なドイツの健全財政主義と摩擦を生む展開も今後は不安視されます。

今後、気候変動対策と同じような熱量が反中路線に注がれる可能性は否めません。実際、メルケル首相引退を契機に「もう中国に遠慮をしなくて済む」という勢力は見受けられます。既にEUレベルでは台湾との関係性を強化する動きが活発化しており、今年10月21日には欧州議会がEUに対し、台湾との政治的な関係を強化するよう勧告する文書を採択したばかりです。明らかに中国への対抗意識の表れであり、メルケル全盛期には難しかった政治的挙動と言えるでしょう。

深い独中の経済関係、「返り血」は必至
しかし、現実問題としてメルケルの16年間で中国との経済関係は極めて深いものになっており、これを切れば相当の「返り血」を覚悟する必要はあります。「親中関係はメルケル政権最大のレガシー」との指摘は伊達ではなく、メルケル在任中の変化という視点で見れば、中国のシェアは2005年の4.4%から2020年には11.4%へ3倍近くに拡大しています:

他の国に目をやれば、EUから去り行く英国は2005年の7.0%から2020年には3.4%へ半減し、フランスも9.4%から5.5%へやはり半減に近く落ち込んでいます。数字だけを見れば、欧州向けの落ち込みを補完するように中国が浮上しているようにも見える。2014年まではドイツにとって最大の貿易相手国と言えばフランスでしたが、ここから中国を再逆転するのはもう難しそうに見えます。なお、よく引き合いに出されるドイツ自動車販売と中国の関係で言えば、主要自動車企業の世界販売台数の3台に1台が中国向けに販売されていることでも知られています。

 ちなみに、ドイツは世界最大の経常黒字国ないし貿易黒字国という枕詞で周知されていますが、中国に対してドイツは大きな貿易赤字を背負っています。中国がドイツにとって重要な市場であることは事実ですが、逆もまた然りなのです。お互いにとって極めて重要な貿易パートナーと整理するのが適切でしょう。ドイツ車という象徴的な財があることでドイツ経済のダメージがクローズアップされやすいですが、実はドイツというパートナーを失うこと自体、中国にとっても大きな市場を失うことを意味します。

 対中人権外交、かつてはメルケル首相も挫折
そもそも人権重視を標榜しながら中国と親密に付き合うメルケル政権のやり方には批判が付いて回ったのも事実です。今の国際社会の状況を踏まえれば、ドイツは改心して、あるべき西側諸国の所作に落ち着くことが求められるのでしょう。但し、その際に直面する経済的損失を目の当たりにしてもそれを貫けるのでしょうか。独中関係の修正は「言うは易く行うは難し」の最たるものです。

かつてメルケル首相も政権初期は人権という価値観から中国と対立したことがありました。有名なダライ・ラマ事件です。2007年9月、メルケル首相はチベットの精神的指導者であるダライ・ラマ法王をベルリンの首相官邸に招き入れ、会談を持ちました。中国はもちろん、自国の産業界や連立パートナーで親中路線を貫くキリスト教社会同盟(SPD)からも中国との交易に支障をきたすとの理由から猛反対を受けていましたが、これを振り切って会談は強行されました。ここまではメルケル首相の人道的イメージに合致するものであったと言えます。しかし、結果として烈火の如く怒った中国から政治・経済上、様々な妨害を受けることになります。例えば中国側がドイツ閣僚の訪中を拒否するなど外交行事をあからさまにキャンセルしたり、在中国駐在員の取り扱いを巡っても嫌がらせを受けるようになったりしたと言います(佐藤伸行『世界最強の女帝 メルケルの謎』文春新書)。その後、紆余曲折を経て何とか関係修復に至りましたが、メルケル首相はダライ・ラマ法王には二度と会っていません。そのほか中国の機嫌を損ねるような挙動を極力避けるように徹したと言われるようになります。

ショルツ政権が前政権の路線との違いをアピールするために中国との距離感を拡げるというのは最も分かりやすい手法であり、国際社会の追い風も踏まえれば、その路線自体に違和感はありません。既に今年8月にはアジア太平洋地域に向けて戦艦「バイエルン」を出航させ、11月には東京に寄港するという安全保障上の際立った修正を見せているのですから、北京五輪ボイコットも外交政策の連続性としては十分考えられます。ちなみに、ドイツは戦艦派遣に際し上海への寄港も提案していますが、中国から拒絶されるという事案がありました。つまり、中国からは「中途半端な付き合いは許容しない」というメッセージが既に出てしまっています。こうした現状を踏まえれば、ショルツ政権が取れる選択肢はもう「反中路線に注力」しかないのかもしれません

とはいえ、ことはドイツ経済の浮沈にも直結する話であり、それはEU経済の浮沈にも直結する話でもあります。もちろん、ECBの金融政策運営にも影響するでしょう。ドイツ首相が振りかざす中国への態度とはそれほどまでに大きな話なのです。北京五輪ボイコットは中国の面子を潰すのに十分な決断であり、それがドイツから下されれば尚の事、影響は大きいです。中国に深く食い込んでいるドイツ産業界が食らうダメージも相当なものが予想されます。ショルツ政権はいきなりアフターメルケル時代における新たな道を歩む覚悟が試されようとしています

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