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べきねば からの解放

「●●すべき」「●●せねば」という強い呪縛が、望ましい未来の到来を妨げているのではないでしょうか。正解を求め、その正解との乖離で自分を責める姿勢は、誰を幸せにするのでしょうか。

べきねば

今年の年初に、塚田有那さんにお声がけをいただき、『科学技術振興機構HITE領域コラボ「混沌(カオス)を生きる」第4回ケアの未来:他者の身体と向き合う医療・介護ビジネス』というイベントに登壇させていただきました。排泄ケアシステム「Helppad」開発の株式会社aba代表宇井吉美さん、東京工業大学科学技術創生研究院未来の人類研究センター長伊藤亜紗さん、国立病院機構東京医療センター臨床研究センター政策医療企画研究部臨床疫学研究室室長尾藤誠司さん、東京大学大学院情報学環教授佐倉統さんらと塚田さんのファシリテートで対話する機会をいただきました。

話題のきっかけに、と下記のような資料(一部抜粋)を用いて、「意思と努力による管理」の行き過ぎの怖さについて話しました。自分の周囲の環境に対峙し、その環境そのものを、環境との関係性によって生ずる結果までをも、完全に管理できるはずだという幻想。それが、病気にかかった人に自己責任を迫る空気感を生み出している、ひとつの要因ではないか、という話題提起でした。

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その際に、「●●すべき」「●●せねば」という呪縛の強さが話題に上がりました。外部からの圧力としての「べき」と、内部からの圧力としての「ねば」。この「べきねば」によって、心ががんじがらめになってしまっているのではないか。

生活の中にあるべきねば

下記のアンケートは、『「ごはんをつくる」って何ですか? 「ごはんをつくる」に当てはまるものをすべて選んでください』というものです。(n=1234 2019年ホオバル調べ)

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けっこう厳しいのです、「レトルトごはんを温め、卵かけご飯にする」26.0%とか、「市販のパンを焼かずに、市販のジャムを塗る」25.0%とか、「シリアルにヨーグルトとジャムをかける」29.0%あたり、どうですか? ちょっと厳しいなあ、と僕は思います。自宅でごはん、自分で用意して、食べてるのに、と。「ご飯を炊き、レトルトのカレーを温めてかける」47.0%なんて、かなり厳しいです。「そうめんを茹でて、市販のめんつゆを使う」81.0%なんて、100%じゃないの? と驚きました。

これについての詳細は、また別の機会に、ホオバル代表の野上優佳子の解説をご紹介したいと思います。今回は、この程度に留めますが、炊事のべきねばには、かなり根深いものがあるように思います。「自炊とは、こうあるべき」というような理想の像みたいなものがあって、そこからの減点法で自分を振り返っているのかもしれません。

これと隣接するような日常生活領域に、育児のべきねばもあると思います。こちらも、同じように、さまざまな主義思想にもとづく理想のようなものがあって、自分たちの日常を減点するように見ている感があります。

そのほかにも、ジェンダーに関わるものをはじめ、山のように、社会生活のべきねばが根深く広がっているように思えます。

べきねばからの解放が未来を左右する

ここから自分を解放することができたなら、全く別の世界が見えてくるのかもしれません。世界は、価値基準に立脚した世界観によって彩られます。世界観によって解釈がなされ、目の前にある事実の意味合いがまったく異なったものとして、別の文脈が構築されます。その文脈にそって、自分にとっての意味のある世界に包まれます。

べきねばは、価値基準に大きく影響を及ぼします。ひとつひとつ、ちいさなべきねばを取り除くことから始めてみてもよいかもしれません。なかなか難しいものもあるのですが、やってみることが大切だとも思うのです。

それが、未来を思い描くことにも影響し、未来を現実のものとするための社会実装の推進にも、とても大きく影響するように思うのです。

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