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そもそも何がきっかけだったか未だによくわかっていないのですが、GWに入ったあたりでなぜかTwitterのタイムラインに「原体験」に関するつぶやきが急に増えました。

反応したのは起業家クラスタが多かったように思いますが、起業家が自分の「原体験」をつぶやき、やっぱり起業家って原体験あってすごいね、みたいな空気が出てきたあたりでこんなツイートも目にしました。


起業家に原体験は果たして必要なのか?

賛否両論ありますが、僕自身は「原体験」は結構大事だとおもっているので今日はちょっと自分の考えについて書きたいと思います。


そもそも「原体験」とは?

まず、「原体験」ってなにかな、というのでググってみると、

その人の思想が固まる前の経験で、以後の思想形成に大きな影響を与えたもの。

とあります。

「思想形成」に「大きな影響」を与えた「経験」。定義的にもとても重要そうです。「思想形成」が定義に入る言葉なんてそうそうありません。

最初に述べたように僕も起業家には「原体験」って大事だと思っているのですが、「起業するなら原体験なきゃ」という言い方にはちょっと違和感があります。理由は以下の二点です。

1)「源泉」は「経験」とは限らない
2)「原体験」はタイムパラドクス的である

それぞれ詳しく述べます。


1)「源泉」は「経験」とは限らない

僕が「原体験」が重要であると思う理由は、起業とか新規事業をする人にとって、それがエネルギーの源泉となるからです。

起業とか新規事業はそれなりにリスクを伴いますし、成功するよりは日々失敗する方が多いので結構心が折れます。とくに「なにか世の中を変えたい!」と思う場合、変えようとするからには必然的に周囲との間に摩擦力が働きますし、「ちょっと何言ってるかわかんない」みたいに理解してもらえないことも多いので、「誰がなんと言おうと、僕はこういう社会にしたい!!」と思えるエネルギーの源泉はやっぱり必要です。


最近「アート思考」とか言っているのも、既存の価値で測れない(もしくは価値自体を変えてしまうような)ユニークバリューを生むためには、一見不合理なまでの「衝動」が重要だと考えており、そういう源泉に根ざす事例としてアートのクリエーションを研究していたりするのですが、ただ、それがすべて「経験」に還元できるか、というとそうでもないと思います。

企業の研修をする時にもよく、まず個々人のそういう源泉を掘り出すために「フェチ」とか「直したいのにどうしても直せないこと」とかを出してもらったりするのですが、そういう「合理的な理由なくそうしてしまう」という衝動の源泉があればよくて、それは必ずしも「子供の頃、こういう原体験があって…」と言えるものでなくてもいいと思うのです。

それは例えば、恋に落ちるようなもので「どうしてかわからないけど好き」みたいな感情ってありますよね。どうしてその人が好きか、というのは、その人の長所を挙げていっても言い尽くすこともできないもので、理屈を超えている。そしてそれは必ずしも幼少期の体験だとか出会いのエピソードとかで説明できるものでもないですよね。いくら運命的に道端でぶつかろうが好きにならないものはならないし、Tinderから生まれる大恋愛だってある。

(性癖に初体験のときの経験が大きく関与していたり、倒錯を精神分析的な意味で「原体験」で説明できたりはするのですが、性癖や倒錯の話をすると無駄に筆が乗ってしまいそうなのでそれはまた別の機会にします)


2)「原体験」はタイムパラドクス的である

もう一点、「原体験がある」ことに対して抵抗を感じる人がいるのは、その人が「原体験がない」って思いこんでいるからだと思います。

で、しかもそれって過去の話だから、ない人は「そう言われちゃうと勝負しようがないじゃん」って思ってしまう。取り返しがつかない過去のことで優劣を決めないでくれよ、というのが「ハラスメント」やプレッシャーに繋がっている。

でも、実は「原体験」って取り返しつくんです

ついつい、過去に「原体験」なるものがあり、それが起点として時系列的につながって今がある、と思いがちですが、実はこれは因果の誤謬なのです。「原体験」というのは実際には、現在の行動を起点として、とある経験が”遡及的に”原体験に成るものなのです。いってしまえば、「原体験が原因で起業が結果」なのではなく、「起業が原因で原体験が結果」なのです。

↓にも「未来が過去を再編集する、価値化のタイムパラドクス」ということを書きましたが、

例えば僕がuni'queという会社をつくった「原体験」といえるものは、大企業で働いていた頃の女性が価値を発揮しきれていないことへの違和感でした。もっというと、そもそも四人きょうだいの中に男一人、という女性マジョリティの家庭に生まれたことも「原体験」といえるでしょうか。

しかし、正直を言うと、これはいわば後付けです。

起業してみて投資家など色んな人に実現したいことを話している中で、「何がしたいんだろう?」「何でそう思うんだろう?」というのを言語化しているうちに、たまたま歩んできた過去が「原体験」になった、のです。大企業にいたことや、ましてや四人きょうだいに男一人、という経験はそれ自体は些細なことですし、単なる偶然の出来事にすぎません。


「行動」は「原体験」に先立つ

もちろん、こういうふわっとした感じではなくてもっと明らかにその時点で「原体験」といえるような強烈な経験をしている人もいます。しかし、重要なことは、そういう強烈な経験ですら、後に起業したり行動を起こさなければ”原体験にならない”ということだと思います。

実存が本質に先立つように、行動は原体験に先立つのです。


まず行動がある。

その行動は、その時点ではよくわからない衝動に突き動かされたものかもしれないけれど、行動を重ねていく中で、Connecting Dotsするように少しずつ過去の経験がつながり「原体験」という星座に見えてくる。


なので実は、ある意味では「原体験」というのは誰にでもあるのです。ただし、それは潜在的なものとして埋まっている。それを掘り出すのは起業をはじめとした行動であり、行動について深く内省した時に「原体験」が現れてくる。

彫刻家が石から彫刻を削り出すことができるのは、それがもともと埋まっていたからでしょうか。


原体験掘ってみよう。

いくらそれがもともとあったように思えようと、彫刻刀を振るわなければ、彫刻は現れません。同じように、行動がなければ原体験はうまれません。

ですがもし、「原体験」を掘り出すことができれば、それはあたかも起業にとって必然なこと、欠くべからざる経験に思えるでしょう。

そして「原体験」がみえることには少なくとも下記のようなメリットがあります。

・原体験に照らしてやるべきこととやらないことがはっきりして迷いがなくなり、事業のコアバリューが強化されていく。
・事業について語るストーリーの力が強化され、仲間づくりもしやすくなる。
・(黒歴史とおもってすらいた)過去が価値化され、自分のことが好きになる。


ことほどかように「原体験」は重要ですが、「自分にはない」と落ち込む必要も「おれの原体験すごくない?」と自慢する必要もありません。

より大事なのは行動であり、それを強化していくためにエネルギーの源泉について知ることです。

「原体験」いまからでもぜひ掘ってみてはいかがでしょうか。

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