「好きなことで生きていく」? 〜狂気と偏愛と惰性と依存

なんかちょっとご無沙汰してます。uni'que若宮です。

新規事業を長年やってきて、それで起業してみて、日本にはまじでもっと「アート思考」とか「正解のない教育」が必要と思っているのですが、その鍵は「ユニークさ」つまり、その人の「ならでは性」や「らしさ」だと思っています。


日本は製造業のパラダイムで高度成長を遂げてきた中で「ちがい」が減点要因になってしまいました。製造業のパラダイムのシンボルは「工場」です。工場は「できるだけ同じもの」を、「同じ作業」でつくることが重要だったのです。ちがいとは不良品のもと。仕事は属人化するな。

(実は松下電器とかホンダとかソニーとかがすごかったときって全然そうではなかったのですが)JAPAN AS NO.1は、はじめにあった狂気とか偏愛が去勢されて、モデレートなものとして再生産されてしまった。さらに日本人は真面目すぎるというか道徳的と言うか(同調圧力が強いのもあいまって)「滅私」し「顧客視点」とか「ニーズ」とか「社会的意義」とかに従順に、どんどん「他由」(©仲山進也)で生きるようになってしまった。


好きなことだけやっててもだめだぞ、とか。

僕自身、そういう危機感をもっているので、我が子の教育でもなるべく「自分らしく」育てたいと思っているのですが、でもときどき

好きなことだけやっててもだめだぞ

なんて娘に言ってしまうことがあります。リベラルな人でも、子育てや育成でこんなこと口走ってしまう時ってあるのではないでしょうか。これほんと難しい。

なにが難しいのか?

それは本質的に「好きなこと」とか「その人らしい」ことって簡単には見つからないからです。


先日、イチロー選手が引退をしました。インタビューも話題でしたね。

イチロー選手ってやっぱほんとすごい。もうこのイチロー「らしさ」。え、おかしなこと言ってます、僕?


たとえば、こういうことをイチロー選手否「元カタカナのイチロー」は言います。

難しい質問だなあ。僕、我慢できない人なんですよ。楽なこと、楽なことを重ねているという感じなんですよね。自分ができることを、やりたいことを重ねているので我慢の感覚がないんですけど、とにかく体を動かしたくてしょうがないので、こんなに動かしちゃダメだっていうことで、体を動かすことを我慢するというのはたくさんはありました。それ以外はストレスがないように行動してきたつもりなので。

一方で、

だから、そこからは純粋に楽しいなんていうのは、やりがいがあって達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。じゃあ、楽しいかというとそれとは違うんですよね。
でもそういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいなと。

とか言う。

そもそも一日千回とか素振りしちゃうイチローみたいな人が「楽なことを重ねている」とか言っちゃうのがすごいなと思うわけですが、その一方で「楽しい」とは違うとも言う。果たしてイチローは「好きなことで生きて」きたのか?「楽なこと」で生きてきたのか?


「やりたいこと」 ⇔ 怠惰と依存

「好き」とか「楽しい」とか「楽」とかって、とてもすり替えが起こりやすい。

何とのすり替えか、というと「惰性」と「依存」だとおもっていて。「好き」とか「楽しい」とか「楽」とか、は意外と難しい。

ちょっと前にこんなツイートをしました。

「好きなこと」は「ただなんとなく楽」なのともちがう。

たとえば子供が学校を休んだり、スマホのゲームをしたがったりするけど、それが「本当にやりたいこと」か、というとそうでない気もする。

あるいはアルコールや薬物に依存する人にとって、薬物が「好きなこと」かというとどうだろう。逆の選択肢をえらぶことができないならそれは好きかどうかではないし、自由意志ではないと思うし、そういう重力に負けて安きにながれるのはその人らしさを失うことな気がする。


「好き」って(これは恋愛もそうだけど)ある種の「強度」だと思っている。でも「努力」ではない。恋愛が「努力」してできるもんではないように、頑張ってできるものでも「するべきもの」とも、違う。


「惰性」や「依存」は位置エネルギー的に下がっていく感じはするけれど、「好き」にはよくわからないエネルギーがある。


自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つければそれに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいと思います。
それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも、壁に向かっていくことができると思うんです。それが見つけられないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。いろんなことにトライして。自分に向くか向かないかよりも、自分の好きなものを見つけてほしいなと思います。


そういう強度。

一つ言えるのは、それが借り物ではないということだ

でも、それが正解とは限らないわけですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でも、そうやって遠回りをすることでしか本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。


「自分らしくある」というのは思ったより難しい。怖い。

「アート思考」について「衝動」という言葉を使うけれど、新しいものは「惰性」とは逆なので相対的に摩擦を受ける。既知のことをやるほうが楽なのだ。未知のことには摩擦も重力もあるから。


でも、そういうものに出会えるとこれは本当に楽しいし、それがもっと好きになる。「アート思考」の話をしていてもよく「どうすればよいですか?」と効かれたりするけど、頑張って誰かを好きになれるかと言うとそうではない。


ただ、好きな人に出会った時、理屈や言い訳でそれを逃さないよう、好きな気持ちに真摯であろうとすることは大事だとおもう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?