降伏したら平和がくるわけではない。その後も命の危険は続く。それが戦争だ
ロシアのウクライナ侵攻のニュースは毎日刻一刻と流れてくる。
当然ながら、これについて多くの人間がいろいろな意見や見解を出している。そうした見解を出す際にその人の本質というか本音が垣間見られることもある。
大前提として、戦争なんて誰も望んでいないだろう。それはウクライナ人だけではなくロシア人とて同じだ。しかし、誰も望んでいないはずの戦争が、人類が創生された20万年前から一度たれとしてなくなったことはないという歴史の事実は無視できない。人類の歴史はいわば戦争の歴史であり、世界のどこかしらでたえず戦争が行われてきた。
かつてこの国の首相までつとめた人間がこんなことを言っている。
「友愛」だかなんだか知らないが、そんなもので戦争を本気で止められると思っているのだとしたら、あの頃の日本はとんでもない人物をトップにしちしまったものだと空恐ろしくなる。
他にも、こんなことを言う人間がいる。
「圧倒的な戦力差があるなかで、これは長引けば、市民の犠牲が増えるということだと思うんですよ。命を守ること以上に、大事なことは果たしてあるんだろうか」
要するに、ウクライナに対して早く降伏した方が犠牲が少ない、と言いたいのだ。とんでもない話である。
町を歩いていたら、ゴロツキから一方的にいっちゃもんつけて殴りかかられた被害者に対して「あんた、早く謝った方がいいよ」と言ってるようなものだ。
これに対しては、番組に出ていた東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠氏は「ウクライナの人達が決めたことを外の人間がとやかく言うべきことではない。降伏した方がいいんじゃないかとは簡単に言えない(意訳)」と憮然として返していたが本当にその通りだと思う。
他にも「話し合いが解決するべきだ」という人もちらほら見られるのだが、一体全体戦争をなんだと思っているのだろうか?戦争は法廷でもないし、法律に基づいて互いに理性的に話し合う場でもない(だったらそもそも戦争になっていない)。
そして、一番忘れてはならないのは、戦争は降伏してからも続くということだ。戦争の勝者=占領者は、戦争後にもたくさん人を殺す。それが戦争だ。
私達が知らないだけで、ウクライナには決して遠くない過去においても、ソ連による「占領支配者による虐殺」があった。以下、在日ウクライナ人のナザレンコ・アンドリーさんの言葉だ。
ウクライナの場合、ソ連の一部だった時代には『ホロドモール』という大虐殺によって数百万人~1千万人以上(※諸説あり)の国民が餓死させられた。抵抗をやめてしまえば、待っているのは虐殺のみという時には、死ぬために戦うんじゃなくて、生きるために戦わざるを得ない
但し、この中でこの中で、アンドリーさんは「日本はアメリカの占領しか受けたことがなく“降伏すれば犠牲者は出ない”と日本人は考えている」というが、それは現在の多くの戦争を知らない日本人の認識とは合致しているかもしれないが、ファクトとは違う。
アメリカ人だって、占領下においては残虐なことをたくさんしている。記録に残るだけで何千件もの強姦事件を起こしてる。
たとえば、1946年4月4日の深夜、3台の軍用トラックに便乗した米兵50人が東京都大森にある中村病院に侵入し、号令の笛とともに約一時間の間に女性患者40人、女性職員37人を回姦凌辱した事件があった。それだけではなく、2歳の幼女は床にたたきつけられ殺され、止めに入った男性職員1名も殺害された。戦争中ではない、終戦から8か月も後の話である。
警察記録によれば、1945年夏以降に日本に占領上陸した米軍は、占領最初の10日間だけで1336件の強姦事件を起こしている。
日本国内だけではない。終戦直前に宣戦布告して満州に攻め込んだソ連兵の所業も反吐が出る。葛根廟事件といわれる事件では、千人以上の女性や子どもが虐殺されている。
降伏すれば平和がくるわけではない。軍人の戦争後は市民が暴行され、殺されるのだ。それが戦争というものだ。だからこそ、ウクライナの人達は今必死で戦っている。
そんな中、今日とても残念なニュースもあった。
政府が、自衛隊の防弾チョッキを提供する方針を決めたことについて、4日の会見では「人道支援としてできることは、すべてやるべきだ。この場で反対と表明するようなことは考えてない」と賛成の考えを示していたが、5日になって「防弾チョッキであっても防衛装備品の供与は、わが党が反対してきた武器輸出にあたる。今回の政府の決定は、紛争当事国への供与になる」と一転反対に手のひら返しした。
個人の意見はわざわざ撤回させるのだから、共産党という組織の正式見解がそうだということなんだろう。
ウクライナの人達は、冗談抜きで銃弾が飛び交う中で生きている。そんな彼らにせめて命を守るツールを提供することすら反対する共産党の人たち。自分の野望のために戦争を始める輩(暗殺を怖れてウラル山脈に雲隠れしたあの御仁のこと)と何が違うというのだろう。
戦争に限らず、災害や疫病など突発的な事件が起きた時にこそ人も組織もその本性が出る。誰が何を言ったのか、注意して記憶しておく必要があるだろう。
勿論、戦争自体を是としているものではない。しかし、戦争とはなんなのか、についての認識はしておきたい。