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SNS投稿は「不完全」な方がいい?
マジメすぎる人ほど、SNSが続かない。こういう現象があります。思うに、「投稿に完璧さを求めすぎる」からなんですよね。差し障りがある部分はないか、文章に間違いはないか、かなり細かいところまで気にしてチェックにチェックを重ねる。これは、やりすぎるといろいろデメリットが大きいと思うのです。
まず、投稿内容をあまりに "完璧に" 仕上げようとすると、どうしても無難な内容にしかならないということがあります。
これは、たまに自分でもやってしまうのですが、小さくまとまった文章になってしまうのですよね。あちこちでリスクヘッジをかけ、ブレーキを踏んでいるので、結局は「あまり内容が伝わってこない」文になってしまいます。特に扱っているテーマが面白い場合などは、もったいないですよね。
もちろん、大きな誤りは避けたいものです。しかしながら「これを書きたい!」という思いに駆られて勢いのままに書いた文の方が、後から読み返しても自分でも魅力的に感じます。そしてそういうときの方が、やっぱり圧倒的に反応もいただけるものなんですよね。
あと、そもそもあまりに内容に凝りすぎ、完璧を求めすぎると、どんどん書くのが億劫になっていきます。これは、SNSの継続性という意味で大きなリスクです。
完璧を求める人は、100に満たないなら「いっそのこと0の方がいいや」となりがちです。この内容には不備があるのでもう出さないでおくと。しかし、読む人にとっては違いますよね。たとえ書き手にとっては70くらいの出来栄えでも、その投稿内容にものすごく価値を感じることは多いはずです。
せっかくの文章、外に出してさえいれば世の中になにか貢献できたかもしれないのに、0(お蔵入り)は非常にもったいないことです。だから、たとえ内容は荒削りでも、詳細が整っていなくとも、着想やアイデアはえいやと出してしまった方がいいと思ってます。
なぜそのように言えるかというと、このSNS時代においては「完成された、完璧な人」ではなく、むしろ「失敗や欠点も多い、成長途上の人」の方が応援されやすいという傾向があるからです。
たとえば、皆さんが好きな発信者は「完璧」な人でしょうか? 理路整然とした文を書く人でしょうか。むしろ、そうでない場合が多いと思います。 隙が多かったり、思い込みも含めて独自のユニークな意見を言いがちな人だったり。そういう人を応援しがちですよね。
人は、そのような「完璧じゃない人」の方が好きなんだと思います。これは人間という存在を考えたとき、とてもおもしろい話だなあと感じます。特にこれからのAI時代の到来において、とても重要な点だと思うのです。
SNSが、人々の意識を変えたところもあると思います。万人が発信する時代になったからです。
昔は、完璧な人に対する「神秘性」みたいなものが人気の源泉だったこともあると思います。昔の著名人なんかにはそういう人がいましたよね。
また、かつては「知の巨人」みたいな人が人気を博していましたが、そういう人もかなり減ったように思います。昔はけっこういましたよね。「なんでも知っている知識人」みたいなポジションの人。
多くの分野に精通しているように見えて、それぞれの専門家からすると、実は素人同然の知識しかないということがすぐにバレてしまう時代です。これは、多くの人が発信するようになったからです。
だから、「知ったかぶり」は通用しないし、受けないんですよね。マスメディアが力を落としてしまったのにも通ずる話です。
今の時代、「私は何でも知ってるから教えてやる」という人ではなく、自分も学んでいます、その知識をシェアします、そしてさらに学びたいと思います。そういう謙虚でフラットな姿勢を持った人が信頼され、支持されるようになりました。
だからSNSの発信も、そんな感じでいいと思うのですよね。「完璧な自分」ではなく、自分の成長ストーリーを見せる。失敗があってもいいし、穴があってもいい。というかむしろ、その方がいい。
せっかく良いポテンシャルを持ってるのに、変な意味での「完璧な個人ブランド」みたいなものを意識して、無理を重ねる人は本当にもったいないと感じます。
完璧な(だけの)内容は、AIでも出せるようになります。人間の文章に求められるのはそこではなく、より「人間らしい」部分になると思います。だからこそ、もっと気楽に発信していい、そう思うのです。