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いちいち不快の状態を経由しないと快感が得られない悲しい人達

:e8 今年の流行語大賞は「新型コロナウイルス」だと思いますが、それと匹敵して流行語と言えるのが「自粛警察」という言葉。

自粛警察とは?こちらの定義がわかりやすい。

自粛警察 営業している飲食店などを一般の人が監視する。そして貼り紙、電話、インターネットで「緊急事態なのになぜ店を開けるのか」と休業を迫る行いのこと

営業自粛はあくまで要請であって義務でもなければ、もちろん違法でもない。にも関わらず、緊急事態宣言下で営業している店には、貼り紙や苦情電話などが押し寄せた。

都内の居酒屋には、「この様な非常事態でまだ営業しますか?バカ」という貼り紙、千葉県の駄菓子店には、「コドモ アツメルナ オミセ シメロ」という貼り紙、自粛要請に従って昼の営業だけ続けていた横浜の飲食店には、「バカ、死ね、潰れろ」という貼り紙が…。

店だけではない。県外ナンバーの車に対して、貼り紙だけではなく、車体に傷をつけるという事例まである。もはや犯罪である。

さらには、バイクのタイヤにはさみを突き刺し、貼り紙をされた人もいるらしい。



パチンコ店に対しては爆破予告まであったとか。

捜査関係者によると、初めて店名が公表された24日夕、インターネット掲示板「5ちゃんねる」に、休業要請に応じないパチンコ店に対して「ガソリンを持ち込み爆破する」などの書き込みがあったという。別のネット掲示板にも、公表されたうち4店を名指しして「北から順に爆破する」などと書き込まれていた。


当然これも犯罪です。ウイルスへの恐怖の余り、人間らしさを喪失してる人があまりにも多い。ウイルスの毒性より恐怖による人間らしさの喪失の方が怖い。人間らしさの喪失とは刹那の恐怖感情に支配され、冷静な判断と客観的な視点の欠如。恐怖の感情は、いとも簡単に人間を残酷行動へ誘います。恐怖や不快の度合いが高ければ高いほど、人間の攻撃性は残酷さを増すのです。

こういう人たちに「よく考えてから行動してほしい」とか説教垂れる人がいるのだが、そんなの全く意味ない。ゴキブリが嫌いな人に、「ゴキブリに遭遇した際には、叫び声をあげる前によくよく考えてからにしてほしい」というくらいアホな言葉だ。

自粛警察の犯罪に等しい行き過ぎた行為は、ほぼ反射的に行われる。考えているようで何も考えてなどいない。

むしろ彼らに言いたいのは、そんなことばっかりやってると、自身の免疫力が下がって、それこそ自分が感染して死ぬよ、ということだ。そうした行為は中毒性が高いため、無意識に彼らは自分の不快になる情報を収集しようとする。不快にならないとそれを懲らしめることでの快感を得られないからだ。

いうならば、ゴキブリを叩きつぶす快感を得るために、自宅でゴキブリを培養しているような人達ということ。何がしたいんだ?

つまり、自粛警察の連中は、自ら不快でストレスになる情報と常に接触しようとしているわけだ。そんな状態を継続していたら、不健康になるに決まっている。不快感やストレスは免疫力を確実に低下させます。免疫力が低下すればそれだけウイルスに感染しやすくなるし、治癒しなくなります。

コロナにかからないようにって自粛警察活動している側が、その行動によって、逆にコロナにかかりやすい体質になっているんじゃありませんか?

反対にいつも笑っている人は免疫力があがります。免疫力をつかさどる抗体は笑いによって活性化されるからです。なんて言われると、「またまた~」となる人も多いだろう。しかし、実はこれ本当らしいのだ。

ガン患者らに吉本新喜劇を見せ、その前後でガン細胞を直接攻撃するナチュラル・キラー細胞(以下、NK細胞)の活性化を調べるというという実験(1991年、吉本興業の「なんばグランド花月」で、がん患者を含む19人(20~62歳)に漫才、漫談、吉本新喜劇(計3時間)を鑑賞してもらい、その前後で血液採取を行い、血中のNK細胞の活性度や免疫システムのバランス力(CD4/8比)の変化を調べた)があったのですが、それによれば、参加者の7割以上でNK細胞の活性上昇が認められたそうです。同様に落語を聞いて、リウマチの痛みがなくなり、鎮痛剤の使用頻度を減少させたとか、漫才によって糖尿病患者の血糖値が改善されたという事例もあるそうだ。

驚くべきは、「老衰で亡くなった人を解剖すると8割以上ががん死であることがわかっている。がんは下手にいじらなければ、共生できる」という点です。ウイルスに感染しないようにということが重要なのではなく、感染しても発症しないことの方が大事なのです。

「わらう」とは、漢字で「咲ふ」とも書きます。「咲み」と書いて「えみ」とも読む。女優の武井咲さんの読み方もそうです。笑いとは「花が咲く」ということでもあるんです。

いちいち不快な情報ばかり集めて、誰かを懲らしめて満足している日常とは、畑の草木を「邪魔だ! 」と片っ端から刈り取っていくようなものですよ。一見、きれいになって、清々するかもしれない。けれど、そんなことばっかりやっている人は、そこに本来咲くはずだった花の美しさを知らないまま一生を終えるのだろう。それどころか、花が咲かなければ、次の世代に種が拡散しない。やがてその場所は荒れ果てた砂漠となるだけです。

あともうひとつ大事なことは、笑いとは1人だけでほくそ笑むことではありません。自粛警察の皆さんは自己の行動が正義だと確信しているから、「やってやったぜ」と1人部屋でニヤニヤしていることでしょう。でもそんなの笑いじゃない。ただの引きつりです。

笑いとは、自分が笑うことだけではなく、周りにいる人達の笑顔を感じることです。笑いは伝播します。あなたが笑えば、その笑いにつられて笑う人がいます。自分一人だけで笑うより、大勢で笑った方が楽しいし、誰かが笑顔になっている様をみたらうれしく思うはずです(よほど根性がひねくれているヘンな人以外は)。

「コロナの感染を防ぐためだ」とかなんとか、どんな大義名分をつけたとしても、所詮、自粛警察とは「自分が恐怖で不安だから、他の人間にも同じように恐怖と不安を味あわせてやれ」というくだらない感情の発露行動でしかなく、一緒に笑い合える相手すらいない可哀相な人達なんでしょう。

たとえるなら、おとぎ話「花咲かじいさん」の隣人の性悪じいさんのようなものです。犬を大切にした花咲かじいさんが財宝を手に入れたことを妬み、自分もあやかろうとするが、犬がいう事をきかないもんだから、虐待し、遂には殺してしまうわけです。自粛警察のやっていることは、この隣人のじいさんの行動と何が違うというのでしょう?




参考WEB



長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。