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まだ見ぬ「ふるさとの風景」を求めて

「ふるさと」という言葉は、当たり前すぎてなかなか辞書にあたることもなかったが、改めて調べてみると、生まれ育った場所、という意味以外に、

かつて住んだり訪れたりしたことのある場所。ゆかりやなじみのある場所。

という意味も含まれているということだった。その意味であれば、実際に生まれ育った場所以外にも、さまざまな形で浅からぬご縁を頂いた場所も私にとっての「ふるさと」であり、その数は、少なくても片手では足りない。

そうした「ふるさと」の多くが、さまざまに問題を抱え、大きく言えば衰退の道をたどっている。昨今は「地方創生」という言葉が使われることが多くなったが、以前は「地域活性化」などとよばれ、筆者がそうしたプロジェクトに最初にかかわったのは、まだ学生の頃だったのでもう30年ほども前になる。つまり、日本は「ふるさと」の衰退とこの30年以上にわたって向き合ってきたということであり、それでもまだ解決していない課題だということでもある。

人口が減り、社会が高齢化することも30年以上前から予測されており、この問題は短期的な解決が難しいということは当然のこととしても、なぜこの「ふるさと」の問題は30年をかけてもなお、解決の糸口が見えた、という状況に至らないのだろうか。

過去に関わらせていただいた事例や地域のことを振りかえって、うまくいったケースの共通点を考えてみると、その要因として、「オープンマインド」であること、「トライすること=失敗する可能性の許容」があること、というのがあげられる。

「オープンマインド」である、という意味は、(過剰な)警戒心を持たないこと、ということ。閉ざされた島国で、ながらく米作を中心とした農業で社会を成立させてきたせいか、日本人は「よそ者」を含む「見慣れないもの」に対する警戒心が非常に高い特性があると感じる。誰にでもあるはずの好奇心や、特にアジア人全般にあると思う、通りすがりの人(旅人)に対するホスピタリティといったものが、強い警戒心で打ち消されてしまっているように感じるのだ。とくに「ふるさと」の典型である地方では、その傾向が都市部より強い。こうした地域では、人々の行動や考え方が、警戒心ゆえにずっと変わらないまま、と感じることが少なくない。裏返せば、「見慣れないもの」を受け入れてプラスがあった経験をしている地域は、この警戒心が適度に弱まっていて、健全な好奇心やホスピタリティが発揮されていると感じる。それは土地の経緯を考えてみると、歴史的に多くの人々が往来した場所で常に「見慣れないもの」にさらされた地域であることが多い。

また、「トライすること=失敗する可能性の許容」に関しては、サントリーの創業者・鳥井さんの言葉として有名な「やってみなはれ(やらなわからしまへんで)」の精神があるかないか、ということ。この言葉が創業者、つまりトップの口から発せられていたということが重要で、上手くいっている地域をみると、その地域の「トップ」がそうしたマインドの持ち主であり、それを言葉や行動・態度で周囲に発信し続け、それを周囲の人々も自覚的に認識している場合が多い。

裏返せば、こうした条件がそろわない状況で「地方創生」に取り組んでも、なかなか成果が出にくいのではないか、と思う。

では、どうすればよいのか。

ひとつには、警戒心を緩め、オープンマインドな状態に多くの地域の人がなれるようにすること。最初はごく小さなことから、新しいものを取り入れたり新しい人(住民)を受け入れたりすることで、何かプラスが生まれること、警戒心を緩めるといいことがある、という事例を作ることだ。これについては、地域ごとにプラスになるものの内容が異なるので、何をすればよいかは個別に違ってくるけれど、プラスの変化によって、押し殺してきた好奇心や、よそ者に対するホスピタリティの気持ちを解放してあげることが重要だとおもう。この状態になれば、新しい取り組みへの受容度が飛躍的に改善されるので、地方創生を成功させるための地盤は、8割がた完成したようなものだ。

ふたつめは、地域のトップに当たる人(たち)が、こうした警戒心を緩める動きを容認することだ。それにともなって生まれる、地域の人のよそ者との交流や、そうしたよそ者が持ちこむモノやアイディアに対して、地域の人が好奇心からトライしてみることにブレーキをかけないこと。そうしたトライによって、時にネガティブな結果が生まれたとしても、それをとがめないこと。

また、長年の高い警戒心によって、好奇心やホスピタリティの持ち方が分からなくなっているのであれば、まずそれを生き返らせるところから始めなければいけないかもしれない。そうした場合は、数は少ないが先行して地方創生に成功している地域に行って、数日の視察訪問ではなく、できれば数か月といった単位で、しばらくの間生活させてもらうように、地域住民を何人か送り込むとよいと思う。そうすることで、自分が「よそ者」になる経験をし、その「よそ者」の目線で「好奇心」をもって訪問地をみることが出来るようになるだろう。

筆者は、「地域活性化」や「地方創生」とならんで、日本企業の新規事業やオープンイノベーションに関わってきたが、実はこの問題と解決策は、大きく言えば企業にも共通する部分が大きい。その意味で、日本企業もまた、ムラであり「ふるさと」なのだ。

ゆかりやなじみがあれば、そこは「ふるさと」と呼んでいいということだから、今後も、自分にとってあらたな「ふるさと」が日本中、そして世界中に生まれるのだとしたらうれしい。そういう、まだ見ぬふるさとの風景と出会うことを、いつも楽しみにしている。

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