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営業は現場が9割

会社という組織では、立場が上になるほど 現場が見えないものだ。

下の日経の記事でも、「現場から離れている経営トップが最終決断を下すには客観的な数字や競合他社のデータが必要になり「現場の生の声」は重要性が下がってしまいやすい」と書かれている。

だが僕は先日、経営トップにいながら、誰よりも現場感を持っている人物に出会った。

それが上場企業であるバリュエンスホールディングス株式会社の取締役COO 六車進さんである。

六車さんは海外に20年以上駐在し、世界70ヶ国以上を渡り歩き、シンガポール、インド、イラン、南アフリカ、トルコ、ケニアなど、各地で売上記録を更新し続けている、信じられないくらいパワフルな人だ。

六車さんにその秘訣や仕事の心がけを聞いたところ、次の言葉が返ってきた。

常に相手を想う心を持つことだよ
後は自らが現場に行って、見て、触って、感じることかな

以下に六車さんから聞いたエピソードの1つである南アフリカ共和国でのビジネスの立ち上げについて触れていきたい。なお、六車さんの言葉を皆さんに直接届けたく、一人称は六車さんの言葉のまま、「僕」でお届けしようと思う。


南アフリカ共和国でのビジネス立ち上げ

僕は2008年に「イギリス人の社長が赴任している南アフリカでビジネスを成長させてほしい」という新たなミッションを受け、南アフリカ共和国のヨハネスブルグに赴任した。

 南アフリカはアフリカ大陸最南端に位置する国で、人口は4800万人。国民の八割が黒人で、残りのほとんどが白人である。この人口を月収で分類するとピラミッド型になる。ピラミッドの上部に位置する年収の多い人達は、主に白人や一部のインド人や黒人系で、US$3万からUS$30万あたりの収入層が人口の40%弱を占める。そして残りの60%以上が月収US$300程度で主に黒人が占めていた。

1) 南アフリカでの旧来のマーケティング戦略

僕が赴任した当初、僕たちの組織はマーケティングを高所得者層に向けて行うのが常識で、誰も低所得者層には見向きもしていなかった。

僕は常に「ゼロからビジネスの立ち上げたい」という野望を持っていたのだが、南アフリカに赴任してその状況を見たときに、具体的な方向性が明確になった。それが「誰も開拓しておらず、人口の大半を占める低所得の黒人層へのアプローチ」だった。

 「彼らがどういう生活をして、何を楽しみに生きているのか?」

この国では、人口の60%もの市場にアプローチできていないと考えた僕は、純粋にこう考えた。潜在需要を発見したくて、僕の思考回路がフル回転を始めていた。

しかし、僕がターゲットと考える黒人が住む地域の治安はかなり荒れており、誰も好んでそんな所には行かない。そこに行きたがる僕を見て、オフィスにいる白人スタッフはこう陰口をたたいた。

「この新しく来た日本人上司は頭がおかしいのか?」

白人スタッフだけでない。驚いたことに、オフィスで働く裕福な黒人でさえも、そういうところに行かないという。僕がいくらお願いしても、「六車さん、そんなところにマーケットはない。時間の無駄だよ」と言って連れて行ってすらくれないのだ。

当時の社長であったイギリス人上司ならわかってくれると思ったが、その彼も「お前を遊ばせる余裕はない。無駄なことをやるなら日本に帰すぞ。お前はマーケティングを知らないのか」と怒鳴り、僕が彼の許可なく貧困層の黒人地区を訪問したり、活動したりすることを制限した。

 だが、こうなってもめげないのが僕だった。

2) 「相手を想う心」で市場を作る

当時は「最新の技術、多機能満載の製品があれば勝てる」、「先進国向けの製品を作れば、発展途上国でも売れる」という戦略をとるのが当たり前の時代であった。イギリス人上司も例外ではなく、商品ありきで販売を拡大する「プロダクトアウト」の考え方で育った人だった。

たとえば僕の世代が小学生の頃、男子は皆ガンダムのプラモデルに夢中になったし、女子はみんな聖子ちゃんカットをしていた。個人の嗜好に大きな違いがなく、流行りとなれば皆そちらに向いていた。ガンダムや聖子ちゃんというプロダクトが強ければ、それだけで市場が成り立つ。これがプロダクトアウトのマーケティングの考え方だった。

 一方で、顧客視点で商品やサービスを企画する考え方を「マーケットイン」という。情報網の拡大に伴い、アイドルひとつとっても誰もが知っている有名なグループから、地下アイドルまですそ野が広がってきた。こうした趣向の変化こそが、ひとりひとりの価値観の多様化を表しており、商品力だけでは戦えない時代がきたことがうかがえる。

 僕は当時から「相手を想う心で市場を作る」、すなわちマーケットインの考え方こそがセールスの本質だと信じていたため、上司と衝突が起きてしまったのだ。

ちなみにマーケットインで戦略を作るというのは、お客様がまだ見ていない、気づいていない潜在的ニーズを予測し、それに応じた商品を提供すること。そのためには、実際にお客様と触れて彼らのライフスタイルを理解することが何よりも大切なのだ。

・彼らは何を楽しみに生きているのか?
・何に喜びを感じているのか?
・将来はどうしたいのか?

僕はこれを自分が理解/納得できるまで彼らと交流したかった。彼らの人生を良くしたいと心から想い、その僕の想いと彼らのライフスタイルが上手くリンクすることで、はじめて大きなビジネスとなるからだ。

だが、こういったことを理解できない頭の固い人と議論するには時間がかかる。だから結果で示すしかなかった。 

「マーケットの有無は、頭では判断できない」
「自ら見て、触って、感じなければ納得しない」

それが僕のやり方だ。こうして、制限されればされるほど、彼らのことを知りたいという想いが僕の中でふつふつと煮えたぎりだしたのだった。

3) 危険地帯を突き進む

彼らを理解するためには、まず彼らが住んでいるエリアに足を踏み入れなければならない。しかし、彼らが住んでいる地域は世界でも有数の危険地帯と言われる「タウンシップ」という地域だ。ここはアパルトヘイト時代に黒人を隔離した地域であり、今でも多くの黒人はこの地域に住んでいる。

(1)訪問の糸口を探せ

 タウンシップは、先述したように白人のスタッフどころか、オフィスで働くような黒人のスタッフでさえも絶対に行きたがらない場所。僕もそこに出かけるには不安がなかったわけではない。

 僕は過去、インド・ムンバイの密輸マーケットやイランのクルド人地域などを頻繁に訪問していたが、こうした場所と比べても、タウンシップは危険なエリアだった。なにせ強盗や殺人が一日に何百と発生すると言われている場所だ。さすがの僕でも、そんな場所には行ったことがなかった。

 そんなわけで、タウンシップを訪れるには非常に勇気がいった。しかも、一緒に行ってくれるメンバーもいない。社内から誰の協力も得られない中でどうやって訪問しようかと考えていたとき、ふと「社員情報のリストを見て、この地域出身のスタッフを探そう」と思いついた。

 すぐさま社内の人事部に行って、リストを確認したところ、イスラム系インド人のスタッフがこの地域出身であることが分かった。彼を口説いて黒人マーケットを訪問すればよい。これで訪問することは可能となった。

 ただもう一つ課題があった。それはイギリス人の上司だ。この地域へ訪問することに激怒した彼の許可を得なくてはならないが、あの様子では何を言っても許可など出してくれないだろう。

 そこで、僕は考えた。「土日に訪問すればそれは『仕事』ではなく『週末の出来事』だ。彼の家で過ごすのと、その近くの黒人宅を訪問するのに大きな違いはない」と。

 こうして僕は、週末に彼の家に訪問することにしたのだった。

 (2)タウンシップへの潜入

 そしていよいよ週末が来た。世界で最も危険な地域に自分で運転して乗り込んでいく日が来たのだ。

 自宅から高速に乗り、タウンシップの近くで降りた。すると、なんとカーナビの画面から「ハイジャック危険」という警告表示が出たのだ。

 「ついに来てしまったか……」

恐怖を抑え、自分の持つ五感のすべてを使い、危険がないかと探りながら、車で黒人最大の居住区であるソウェトを訪問した。このときの緊張感は今でも忘れない。

手のひらにじっとりとした汗を感じながら、ようやく彼の家に着き、昼食をとりながら彼に自分の想いを相談した。

「黒人宅を訪問したい。一緒について来てくれないか」

「南アフリカではプライベートを重視するから、知らない人を家に迎えることはないね。もし突然訪問したら、銃で撃たれる可能性だってあるよ」

こうして彼は、僕に訪問を諦めるよう説得した。僕は「またか……」と思いながらも、なんとか訪問できる方法がないか考えた。危険を冒してまでようやく訪れたソウェトだ。手ぶらで帰るわけにはいかない。

だが、結局その日はそれで終わった。その後、僕は週末のたびに彼の家を訪問し続けた。 

(3)ケンタッキー大作戦

彼の家で彼の奥さんの家庭料理を食べる、という週末を過ごす日々が続いたあるときのこと。車で彼の家の近所を回っていて気づいたことがあった。ソウェトに住む黒人たちが、かなりの頻度でケンタッキーフライドチキンのファミリーパックを食べていたのだ。

 「なあ、なんでケンタッキーフライドチキンを食べてる人がこんなに多いんだ?」
「ケンタッキーフライドチキンは黒人にとって最高の贅沢なんだよ。彼らはこれを食べることを夢みて仕事してるんだ」

この言葉を聞いた瞬間、僕が小学校二年生のときに、ケンタッキーが日本に上陸したことを思い出した。京都の片田舎にオープンしたばかりの店舗で、父が買ってきてくれたケンタッキーフライドチキンを初めて口にしたときは、本当に感動したものだ。

脂がたっぷりと乗った濃い塩味のチキンは、いつも母親のあっさりした料理を食べていた僕にとって、今まで食べたどんなものよりも美味しかった。スウェトの黒人たちも、あの頃の僕と同じ気持ちだったのかもしれない。

 「よし、それなら俺がケンタッキーフライドチキンをご馳走するぜ!」

ということで、手土産を渡すことで黒人宅を訪問できないかと考えた。ケンタッキー大作戦である。

こうして、週末の十二時、十五時、十八時になると、自社のTシャツを着た日本人とインド人が、ケンタッキーフライドチキンと子ども向けのチョコレートの大袋を持って黒人宅に現れた。もちろん費用を会社に請求できるわけもなく、すべて自分のポケットマネーから支払った。

このケンタッキー大作戦は絶大なる効果を発揮した。ソウェトの黒人たちは僕たちを快く家に招き入れてくれ、さまざまな話を語ってくれたのだ。

こうして僕たちは、彼らの家を昼夜問わず訪問し、その数は半年で百軒を超えた。

彼らの生活は大げさではなく、非常に厳しかった。家に入ってもフローリングなどなく、外と同じ土が地面を覆っていた。壁に隙間が空いていて、真冬でも寒い風が家の中に吹き込んできた。雨が降ると家の中がびしょびしょになる家もあった。

食事も、大人は一日一食。子供たちは学校給食があるから二度食事できた。とはいえ、学校からパンを持ち帰り、それを母親に渡す子どもも少なからずいた。

 こうした彼らの姿を見た僕は肩を落とした。

「自分は間違っていたのか。こうして必死に日常を生きている人に当社製品など売れる訳がない。やはりクーラーの効いたオフィスで仕事をしている白人、黒人スタッフ、イギリス人上司たちの言っていることが正しいのか」

 だが落胆していても仕方がない。僕はとにかく彼らの生活を理解するのに全力を尽くした。

 こうして幾度となく彼らの家を訪問しているうちに、あることに気づいた。それは、いつも彼らが音楽を大音量で聴いていることだった。

 年配だろうが若者だろうが、女性だろうが男性だろうが、年齢や性別に関係なく、みな音楽を聴いているのだ。キリスト教徒が多いこともあり、ゴスペルを主流とした音楽が常に鳴り響いていた。

 また、彼らは音楽を流す商品にお金をかけたがった。彼らに何が欲しいかと尋ねると、「大きな音が出るオーディオ」と答えた。

 雨漏りし、すきま風がビュービューと入るような家に住んでいる彼らが、冷蔵庫が壊れているにもかかわらず、目を輝かせて「オーディオが欲しい」と言うのだ。

 テレビよりもオーディオ。彼らは日本の三種の神器とは違う発想を持っていた。

4) 低所得者層に価格の高い商品を提供する

 ― 彼らにとってオーディオは生活の重要な一部となっている

 「やっと見つけた!」

 僕がカーネルサンダースからセールス&マーケティングに戻った瞬間だった。

 僕は彼らに「良い音で音楽を聞かせてあげたい」と心の底から思った。だが、彼らが欲しいと思う当社のオーディオの価格はUS$1000。月収US$300程度の彼らに簡単に買えるはずがなかった。

 それでも僕は諦めなかった。家庭訪問を繰り返し、解決策はないかと探し続けた。そんなある日、スタッフから「黒人の多くは『家具屋』と呼ばれるチェーン店で、2~3年ローンで家具を買っている」という話を聞いた。

 「この仕組みを利用すれば、なんとかなるんじゃないか?」

僕はすぐさま家具屋と交渉し、彼らの部屋の三分の一を占めるような大きなオーディオをこのチェーン店経由で販売することができるようにした。

 僕の見立てはドンピシャで、そのオーディオは売れた。わずか二~三年のローンで、彼らの欲しい商品が買えたからだ。

ところが、このオーディオの販売を開始し始めたとき、ターゲット層である二五歳の若者にアプローチするためには、店舗だけではダメだとわかった。若い彼らは家具屋なんかには来ないからだ。

そこで彼らが週末に集まる公園やクラブにワンボックスカーで乗り付けてオーディオをセットアップ。音量を最大限にして商品デモをおこなった。また、彼らの多くが働く警備会社と交渉し、警備会社の外庭やカフェテリアで同じように音量を上げて商品をデモさせてもらったこともあった。

こうして足を止めてくれた人に、商品を販売する家具屋のチラシを手渡す。そして家具屋で買えば数年のローンで商品が買えることを伝える。これさえ伝えることができれば、彼らの中から店舗に来てくれる人が現れる。この活動を何度も繰り返した。

だがこれで活動終了ではない。その後、店舗で待ち伏せしてお客様の動きを見るのだ。何人のターゲット層がお店に来て、そのうち何人が商品に近づき、商品に触れ、何人が商品を買うのか。また、触ったのになぜ買わなかったのか、どこでこの商品を知ったのかなどをすべて数字でわかるようにデータ化する。そして多くの人が影響を受けた場所に集中して、再度デモを行う。この繰り返しでデモ数/店舗数を増やしていった。

こうした活動を経て、僕たちのオーディオは全国三千店舗で販売するほどの大人気商品になった。これだけ店舗があると、各店舗に一台ずつ売るだけで三千台売れる。こうして販売がどんどん加速していった。

これらの成功の起点は何か。それは「相手を想う心」。僕が売り込もうとしたのは商品そのものではない。僕が彼らに届けたかったのは、今よりも豊かな生活だったのだ。そしてこの考え方が、潜在需要の掘り起こしにつながった。

僕は多くのマーケティングに関する書籍を読み、実践でSWOT分析、PEST分析、6C分析などを行いながらビジネスをやってきたので、これらの分析の大切さは理解している。だが、それがすべてではない。

こうした分析だけでは本当の市場創造、顧客創造はできない。自分がターゲット層に何をやりたいのか、どうしたら彼らの生活を良くできるのか。こうしたことを「相手を想う心」で考えることこそが大切。これができない人が机の上で分析だけをしたところで、誰の心にも刺さらない。

僕はこれを実際のマーケットで試行錯誤しながら骨の髄まで学び、実際に現場に足を運ぶことで自分の考えの基礎とすることができたのだった。

5) 参考

ここで書いた話は、六車氏の活躍のほんの一部に過ぎない。先にも書いたように、六車さんはこの他にも、シンガポール、インド、イラン、トルコ、ケニアなど、各地で売上記録を更新し続けている。

こんなに有益で素晴らしい経験が、誰にも知られないままであるのは世の中の損失だと思い、筆を執らせてもらった。ぜひ一度以下のアマゾンのページの試し読みだけでも読んでみてほしい。また、Kindle Unlimited会員の方は無料で読めるので、ぜひお手に取ってみて、六車さんの経験を臨場感を感じながら楽しんでほしい。

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