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「まだ君は何者でも無い」と説教された話

 「45歳定年」問題に火を付けたのは、サントリーホールディングスの新浪剛史社長だ。9月上旬の経済同友会のセミナーで、新浪社長は「個人は会社に頼らない仕組みが必要」と述べ、45歳定年を提唱した。
 これに対しては、インターネットを中心に「体のいい中高年のリストラ策だ」との批判が広がった。一方、専門家の間では、終身雇用制度が機能不全に陥る中で「どう長く働ける環境を作るか」を問うものと、議論のきっかけ作りとして評価する声が少なくない。

松本家は「手に職を持つべし」が家訓であり、祖父は技工として70歳ぐらいまで働き、母親もエンジニアとして62歳にしてまだ働いています。「職を持つ」とは「技能や資格を持つ」と同義語だと思ってください。

「いくら自分が仕事したいと思っても、リストラされて職場を失うかもしれない。仕事を辞めても良いやと思えるタイミングは自分で決めれるようになりなさい。手に職を持っていれば、職場を変えてなお何歳になっても活躍できるから」

小さい頃から、母親にそう言い聞かされて育ちました。説得力があったのは90年代後半から40〜50代がバッサバサとリストラされ続ける報道を見続けたからです。

50歳を迎えて会社から肩を叩かれ、給料が劇的に下り、終わりを待つだけの人生は絶対に嫌だ…そう考えたからこそ、良い大学・良い会社信仰に陥らず「自分の人生は自分で守る」と考えて自分の学びたいことが学べる大学を選び、入りたい会社を選びました。

もちろん、当たり前ですが、仕事や給料だけが人生ではありません。私の友人には舞台に情熱を注ぐ人もいれば、家庭を最優先にする人もいます。そこは、考え方、優先度の違いなんだろうな、と考えています。


そもそも、キャリアとは何か?

厚生労働省「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」報告書要旨を読むと、キャリアとは「関連した職業経験の連鎖」という意味を持ち、時間的持続性ないし継続性を持った概念だと言われています。

ところが私の場合、最初の会社を営業職で入社した後、技術職に転籍。プログラマからプロジェクトリーダー、PM、PMOに職領域を広げ、データサイエンスを学びに大学院に通い、最後には経営企画職に就きました。転職した先ではR&D職に就き、その次はマーケティング職。とてもとても「関連した職業経験」とは言えません。

直接的なキッカケとなったのは、技術職に転籍して何度か成功体験を味わったときに「あのまま営業職に拘り退職していたら、どんな人生が待っていただろう」とボンヤリ感じたのです。

「キャリアにこだわりを持ち、これしかやらないと決めることは、向いているかもしれない他の可能性を捨ててしまうことだ。何が向いているかなんて分からないから、キャリアに拘らない方が良い」

この瞬間、「手に職」思考を辞めたのです。家訓を破ってしまった。

時間的持続性ないし継続性への拘りを捨てたから、島耕作のように「まぁ、なるようになるさ」と命じられるがまま東京支社に移動したり、ベトナム支社の立ち上げ支援のため1ヶ月ベトナムのホーチミンに滞在したり、データサイエンスをちゃんと学ばないと仕事が面白く無いとわかって社会人大学院に入学したり、殆ど一貫性はありませんでした。

ただし「connecting the dots」が発生して、過去の経験が、現在に活きる場面は何度も遭遇しているので、その意味においては「手に職を持つべし」を守っている…?

仏教用語に「刹那」という言葉があります。日々の享楽のみを追求する生活態度を刹那主義と呼びますが、本来は物理学的な意味での「最も短い時間」を指します。

私は仏教を学べば学ぶほど「刹那に生きる重要性」を痛感しました。一瞬を生きていない人が、一生を生きられるわけが無いのです。「将来のために我慢する」のは間違っていて今のために我慢するし、面白そうだから書籍を出すという苦行を経験する…そんな考え方で、これまで生きてきました。


将来どうなりたいのか?

ただし、本来は「キャリア」と「刹那」は矛盾します。もし「関連した職業経験」に拘るなら、面白そうという理由だけでは何も選べないからです。

最初に書籍を出させて頂いたときは「店頭で写真撮影」がゴールでした。ところが、書籍が重版すると「もっと売れる」がゴールになります。けっこう売れると「テレビに取り上げられるぐらい売れる」がゴールになります。

で、実際にテレビに出ると「なるほど…こんなもんか」と、ほとんど達成感も無く「まぁ、もういいかな…」とごちそうさまをします。もしキャリアにこだわるなら「もっとテレビに出たい!」と思うのかもしれませんが。

最近は「CMOをやってみたい」と思うのですが、それも崇高な理想があるわけでも無く、単純に「やったことが無いから」。キングダムの王騎将軍が説いたように、将軍には将軍の景色があるように、CMOにはCMOの景色があるでしょう。

ただ、見てみたい。そんな好奇心の「刹那」と、「手に職を持つ」家訓が対決するとどうなるか。

「あんた、将来どうなりたいんよ」

と実家に帰って親に説教される人生に仕上がるのです。今年で38歳ですから親も心配になって当然です。


私の人生には志が無い

私の恩師である松谷先生に機を見て人生相談をしているのですが、よく「君には志が無い」と説教をされます。この前も電話したら、1時間も説教されました。

・社会をこうしたい、世の中をこう変えたいという志が見えない。我が我がではスケールが小さすぎる。
・君は中間管理職で苦労してると言いたいみたいやが、肝心のリスクをとってない。

ぐすん、ぴえん、ぱおん。

まぁ、でも当たっていて、私には「面白いことをやりたい」という刹那はあっても、世の中をこうする!なんて志は無い。全ては「私」から始まっていることを松谷先生に見破られているんです。

松谷先生に説教をされて、45歳になって会社から肩を叩かれても「面白いと思うこと」に挑戦するためには、どこかで「面白い」と「社会」を織り交ぜないといけないんだろうな、とは思っています。ただ、どうやって折り合いをつければ良いのかわからないんですね。

日経ビジネスオンラインの連載は、データサイエンス × 社会情勢で、面白いと社会が織り混ざって、そこそこフアンもいたのですが、ちょっとした事件が起きて連載終了しました。

松谷先生に説教されて1番刺さった言葉があります。

「まだ君は何者でも無い」

刺さり過ぎて、吐血しました。

ただ、実際そうなのです。諸先輩とお話をさせて頂くと、いかに自分が経験不足か痛感します。まだ社会にとってモブなんです。私は何者で無くても良いのか。…いや、それじゃあ面白く無いよなぁ。モブじゃ面白く無い。

キャリアと刹那を矛盾させない方法。それは、社会にとって必要とされる存在になり、それを面白いと取り組めることなんだろうなと考えます。

40歳までには、そういう人生にチェンジしていこう。そんなことを思いつつ、2022年が始まりました。



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