SNSの本質から見るクラブハウスの特性
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SNSの本質から見るクラブハウスの特性

クラブハウスという単語を耳にしたことがない人は、おそらく日経comemoの読者にはほとんどいらっしゃらないだろうと思う。そう、現在日本を席巻している新しい音声SNSだ。その拡大と認知の凄まじい速さは、それ自体考察の対象になる程、特異なものであることはすでに多くの識者が指摘されていることだが、今日はクラブハウスの特性を、SNS(ソーシャルネットワーキングシステム)の本質から考察してみたい。

1. SNSの縦軸と横軸

SNS自体もまた歴史がそれほど深いわけではないが、その本質を二つの側面から考えてみよう。一つはもちろん、それがソーシャルネットワーキングと名付けられているように、人と人とを横に繋いでいくという特性。SNSの登場以後、仮名匿名で誰とも分からない個人が、夜な夜なネットの大海を独り孤独に泳いでいた「ネットサーフィン」の時代は、完全に終了したと言える。そもそもネットには匿名性など無かったのだが、そのことが改めて露わになり、SNSという回路を通じて現実とネット空間がつながってしまったのだ。もちろんTwitterのようにある程度の匿名性を求めることができるSNSもあるけど、顕名であろうと匿名であろうと、人と人とをほとんど強制的なまでにつなげていくシステムがSNSというシステムの本質の一つだと言える

もう一つの本質は実はあまり多くの人に意識されないが、「時間」が構造化されているという点。これが実はSNSの非常に強い個性になっている。「時間の構造化」なんていうと、いきなり堅苦しい話になっているように見えるが、なんのことはない、みなさんがすでに親しまれているあれ、そう、「タイムライン」が存在するということが、SNSのもう一つのシステム的な本質

SNSが現れるまで、一人の人間が時間軸を与えられて、それを一人の所有物として展開するという発想、つまりタイムライン的な発想というものは、ほとんどネットに存在していなかった。もちろん、ネット黎明期におけるチャットや掲示板などにも「タイムスタンプ」は存在していたが、それらはあくまでも皆が共有して確認する「時間」でしかなかった。あるいはホームページの日記や雑記だったり、ブログのようなものが、タイムラインに近い機能を果たしていたのだが、それも「タイムライン」ほど人間の時間的な経過を色濃く反映するものではなかった。タイムラインは、恐ろしいほど、「その人の一回こっきりの人生」を強く反映する。

例えばTwitterに「渋谷着いたなう」と書いた人が、この中にもいるかもしれない。なんでもないようなこの「なう」を刻む行為こそが、TwitterをSNSの王者に仕立て上げた。それまで「渋谷に着いたなう」を書く場所は、ネットの世界にどこにもなかったのだ。なんでもない、本当にくだらなく見えるような個人の動きが時間軸上に刻まれ、消すまでは半永久的に残り続ける「タイムライン」のシステムによって、人の時間が構造化されたのがSNSだ。Twitterにそれは顕著な構造だが、FacebookだろうとInstagramだろうと、あるいは日本ではあまり流行っていないPinterestのような時間の構造化が見えにくいSNSでさえ、タイムラインが前景化しているか、していないかの違いはあれど、SNSというシステムは「時間」という縦軸をその内部に必ず保持している。

こうして、人と人の繋げていく特性を「横軸」、ユーザー個々の時間軸をタイムラインとして構造化する特性を「縦軸」と捉えると、SNSというシステムは人間の空間と時間を三次元的な広がりを持って描くシステムとしてこの世界に現れたという風にまとめることができるだろう。

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2.クラブハウスの異様な拡大

このように考えた時、では、クラブハウスというSNSの特性はどのような意味を持つのだろう。日経の記事を引用してみよう。1月14日付の以下の記事での言及が、おそらくは大手の日本メディアによる最初期のクラブハウスへの言及のようだ。

競争が激しくなるなか、ユニークな音声配信サービスも登場している。米クラブハウス・ソフトウエアが運営する音声版SNSとも言える「Clubhouse」も登場した。招待制のSNSでさまざま人の「部屋」に入り、話を聞いたり、手を挙げて参加することが可能だ。20年5月に1億ドル(103億円)の資金調達に成功し話題を呼んだ。(上記記事内から引用)

私がこの記事を書いている時点(2月7日)で、まだ一月経っていない上記の記事には、今の日本におけるクラブハウスのブームを予見させるものが殆どない、まるで遠い国の珍しい気象ニュースに偶々触れたような印象だ

そこからわずか13日後、以下のような記事が出る。

「どなたか招待してくれませんか」。フェイスブックやツイッターでは25日ごろから、クラブハウスの招待枠を譲ってもらうようにお願いする書き込みが目立つ。クラブハウスに参加するには、既に利用している人から招待コードを受け取る必要があり、その招待枠は原則1人2枠まで。利用者は招待したい人の電話番号を使って招待コードを送る。フリマアプリでは一時、その招待枠が数万円で売買されていたもようだ。(上記記事内から引用)

すでにもう今の状況から見返すと懐かしくさえ感じる「どなたか招待して」ツイートは、確かに1月25日前後に急にタイムラインを賑わすようになった。その時、僕は実は、自分のメモに「clubhouse雑感」というメモを残している。

1月23日:とても静か。日本人のルームもほとんどない。
1月24日:少しずつ増えてきていて、いくつかのルームが盛況に。それでもまだすごく少ない。
1月25日:似た感じで徐々に
1月26日:少し感触が変わってくる。急に人が増え始める。
1月27日:ここで恐らく潮目が変わった日。僕はネットにおける「転換の瞬間」をどうやら目撃している。ひっきりなしに通知か来るようになって、周りの知人友人にも枠が回り始める。20時から23時台のルームがすごく多くて、サーバーが不安定に。聞いているルームの「裏番組」が気になる事態まで発生する。

僕自身は1月23日に友人から招待を受けてクラブハウスを少しだけ早めに体験した。初日の静けさは、今をもって印象的だ。日本における最初期のクラブハウスでの「アーリーアダプター」は、テック系の有名人やVCだったのだが、今では彼らがルームを開こうものなら、数百人から数千人という規模のリスナーで溢れる状況だろう。でも23日の時点では、せいぜいが百人が上限という程度しか人が集まらなかった。今は目立つ芸能人たちも、私が見る限りは一人もルームを立てていなかった。それどころか、日本語のルーム自体が1つか2つ。そのどちらかに入って、ラジオ感覚で聞くのが、最初期のクラブハウスだった。

潮目が変わったのは、上のメモにあるように27日だった。そして上に引用した日経の2つめの記事の日付も27日。この日をもって、おそらくは日本における「クラブハウス黎明期」が終了し、拡大期へと変わったのだろう。一本めの記事の時点である1月14日では、知っている人も参加者も極めて少数だったクラブハウスが、その黎明期を脱して拡大期に入るまでに要した日数は、わずかに13日。この拡大のスピードは端的にいって異様だ。時に拡散力の高いメディアを「ヴァイラル(viral)」と英語では表現する。意味は「急激に拡大する」という形容詞なのだが、実はそれが本来の意味ではない。第一義は「ウイルス(virus)のような」という意味。ヴァイラルメディアとは、ウイルスのように強力な拡散性をもって情報を拡大するメディアという意味なのだが、クラブハウスは、その存在自体が実行再生産数2で拡大していくウイルスのように、日本をあっという間に席巻した。

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3.セレンディピティに溢れる空間

その原動力はなんだろう。いくつかの記事を読んでいく中で、私の友人である株式会社ヒーコの代表取締役である黒田明臣氏のnote上に投稿された文章が、今まで見た中で非常に明晰かつ分析的で参考になった。

この文章の中で、黒田氏は「セレンディピティ」に言及している。

幸福は移動距離に比例するという言葉もありますが、移動することによって我々は様々な広告、街の光、時間の流れ、雨や風や日差しなどの自然、様々なことを五感で体感していて、それによって生まれるひらめきなど思いがけない幸せを得ていて、それこそはセレンディピティであると自分は考えているわけですが、clubhouseにはセレンディピティを誘発する仕組みにあふれています。(上記note内から引用)

この見識はまさに卓見と呼ぶべきで、クラブハウスに人々が熱狂する魅力の源泉が言語化されている。クラブハウスは、他のTwitterやInstagramといったSNSに比べて、「セレンディピティ(偶然の発見による思わぬ幸運)」を実感しやすい構造をしている。例えば先日は本家アメリカでテスラのCEOイーロン・マスク氏が立ち上げたルームが大盛況となったということが記事になった。

このルームを見ていた人はあのイーロン・マスクの声を聞き、中にはもしかしたら直接話をした人もいたかもしれない。その経験はまさにセレンディピティとして、その人の人生を変えうるような発想をマスク氏はリスナーにもたらしたかもしれない。予想外の出会いに満ち溢れ、しかもそれが高頻度に起こる媒体というのは、今までネット上にはなかったものだ。

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4.「イマココ」へと全てが集約する究極のSNS的SNS

その特性をSNS的文脈、つまり最初に書いた「人をつなげる横軸」と「時間を構造化した縦軸」から考えるならば、クラブハウスというSNSは、他のどのようなSNSにも比して、横軸と縦軸が「現在」に特異点的に集約していることが挙げられる。そう、クラブハウスは、「イマココ」に全てが集約しているのだ。誰かがあるルームで話し始めれば、そのフォロワー全部に「Aさんが話し始めました!」と通知がいく。人との繋がりである横軸全てに、一瞬でその通知が届く。一方コンテンツを時間的に構造化するタイムラインでは何が起こるのか。クラブハウスにおいては、ルーム内での話は、その一切が記録されずアーカイブさえ残らず、それどころか、どのような形であれルームでの内容を記録をすれば規約違反でBAN(アカウント停止)対象になるので、配信されているルームの内容が聞きたければ、「イマココ」で参入するしか手段がない。すなわち、縦軸としての「タイムライン」が、その配信の瞬間に集約されているということなのだ。

よくクラブハウスにおいてキーワードとして取り上げられるFOMO(Fear of missing out = 見過ごすことの恐怖」)という現象の本質を掘り下げるならば、この「イマココ」に自分の繋がりという横軸と、タイムラインという縦軸の全てが特異点的に集約されているからこそ起こる現象なのだと言える。その意味するところは、SNS的な性質をもっとも先鋭的に体現した、究極のSNS的SNSであるということだ。

おそらく、クラブハウスはこれからも拡大を続けるだろう。もちろん、すでに流行り廃りの激しいネット世界では「クラブハウス疲れ」が言及され、「クラブハウス飽きた」と呟く人たちも散見されるようになった。ただ、ここまで拡散したメディアが、一朝一夕でなくなることはありえない。これから日本で、あるいは世界においてこのSNSがどのような展開を迎えるか、そろそろ第三段階(普及期)が始まりそうな今、その転換を見届けたく思う。


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別所隆弘

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フォトグラファー。アメリカ文学研究者。滋賀、京都を中心とした”Around The Lake”というテーマでの撮影がライフワーク。インスタはこちら: https://www.instagram.com/takahiro_bessho/