「売りたい人」と「買いたい人」が出会えずに起こるフードロス【日経COMEMO_テーマ企画_遅刻組】
国消国産を最適化する
大学教員という仕事柄、学生からよく事業アイデアの相談を受ける。近年、特に人気なのがフードロス問題だ。消費できるはずなのに廃棄されている食品の廃棄を減らそうという試みだ。
相談される事業アイデアの筋の良さは置いておいて、フードロス自体は世界的に関心の高い社会問題となっている。我が国の年間の食品ロスは年間643万トンもあるという。
コロナで有事の際は、輸入依存度の高い産業は事業継続性のリスクの高さがわかった。中国に生産を頼っていた医療用マスクの品薄問題は記憶に新しい。輸入依存度が高いのは、食糧自給率の低い食品関連も同じだ。農水産物の供給量を急に増やすことは難しいが、少なくとも食品消費の最適化を行い、フードロスを減らすことは積極的に取り組むべきだろう。
今回は、日経COMEMOのテーマ募集「#国消国産なぜ必要」を下敷きとして考えてみたい。
フードロスとは何者か?
実は、私は「フードロス」という言葉が好きではない。その理由は2つある。
1つは、抽象度が高すぎるために、具体的に誰の抱える何の問題を解決し、誰を幸せにするのかが見えてこないためだ。フードロスという粒感で議論するとリアリティのないものとなりやすい。
もう1つは、「まだ食べられるのに捨ててしまう食品」という定義は、データや社会調査を少しでも齧ったことがある人ならば計測不可能な事象だとすぐにわかるためだ。前述したように、我が国の年間の食品ロスは年間643万トンもあると言われている。それでは、その数値はどのように算出されているのか?
この問題に関して、JX通信社の松本健太郎氏が面白い記事を書いている。
この記事によると、フードロスの指標は「食べられる」「食べられない」の定義づけが重要であり、消費期限切れ食材を何とか改善したとしても、食品ロスの数字は微動だにしないことがわかる。
つまり、フードロスを削減するためには、「食べられる」と判断される食品の流通と飲食店の食べ残し問題ということがわかる。
あと、フードロスは英語では意味が通じず、正しくは「FOOD LOSS & WASTE」もしくは「FOOD WASTE」だ。英語圏の人に FOOD LOSS というと「ダイエットしたいのかな?」と思われる(「食品の量が減ること」を指すため)。このあたりもモヤモヤする要因だ。
食の最適化を阻む限られた流通の選択肢
COVID-19は、多くの社会構造の脆弱さを露見させた。食品の流通もその1つだ。飲食店や宿泊施設向けの農水産物の生産者は行き場のなくなった在庫を大量に抱えることとなった。
このことは、日本だけの問題ではなく、世界中で露見した問題だ。1つの販売経路を絶たれると、途端に立ち行かなくなる。米国では、米政府やNPOが行き場のなくなった食糧を買い取り、生活困窮者に配る動きも見られた。
大口で安定した流通チャネルは、販管費や営業に割くコストを抑え、経営判断として一見良さそうにも思われる。その一方で、環境変化や有事の際に対応できない柔軟性のなさも課題だ。
コロナによって、生産者から一般消費者への直接販売というルートも広まってきた。ノウハウの習得と業態転換に生産者が負うコストは馬鹿にならないが、自分の生産したものが喜んでもらう姿を肌で感じられるという声も多く好評だ。
生産者と消費者の繋がりは、今後、いっそう近いものになるだろう。大分県佐伯市の大入島では、「大好きな大入島で死ぬまで漁師を続けたい。 この島で生きていきたい」という思いから、養殖牡蠣を手掛ける宮本氏が投資型クラウドファンディングに挑戦している。出資者は、OONYUJIMA OYSTER サポーターとして、消費者と生産者が一緒になって「2021年には100万個以上の養殖を実現させる」という夢を実現する。
しがらみや固定概念に捉われなければ、生産者が選択できる道は豊富にある。一生産者だけで難しいのであれば、支援する人々や団体も増えている。大分県佐伯市蒲江の養殖ヒラメを扱う河内水産を救ったのは、地域情報誌「さいき・あまべ食べる通信」編集長の平川摂氏からの助けでネットを通して農水産物を直販する「ポケットマルシェ」への出品だった。
国消国産を促す、食の最適化のためには「生産者」「消費者」「流通業者」が一体となって、柔軟な供給体制を構築できるかがカギとなる。