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見てわからんものは、聞いてもわからん

人類史は道具・機械と人との関係史でもある。新たな技術による機械にはメリットがあるが、デメリットもある。なにかを得ることが、なにかを失うことである。道具や機械と、人はどう向き合えばいけないのか?道具や機械が主語ではない、主語は人である

大阪人は大阪城が好きである。豊臣秀吉の大坂城以降の400年間、大阪には数多くの建築物がつくられたが、フランス人にとってのノートルダム大聖堂、スペイン人にとってのサグラダファミリア、イタリア人にとってのミラノ大聖堂のように、大阪人にとっての大阪城は「シンボル」であり、大阪の「アイコン」である。燃えてなくなった安土桃山時代の大坂城を、現代人は現代の道具・機械を使わずにつくることができるのだろうか?


1 現代人は大阪城をつくれるのか?

安土桃山時代の大阪城を
現代人がつくるのは困難

パソコンもCADもドローンなどの
道具、技術が使えないなか
巨大な建造物をつくるのは
現代日本人にはむずかしい
正確に言えば

つくることができない

当時の日本人にはあったが
現代の日本人に弱くなった力もある
なにが弱くなったのか?

日本人の想像力が失われている

ひとつひとつの商品の
開発する力や創造する力はあるけれど

いろいろなモノやコトを統合して
集合体をつくることが
苦手となった

ひとつひとつのモノ・コトはつくれても
それらをとりこんだ社会・人々の
全体イメージや姿
目に浮かばない
いや浮かべることが
できなくなりつつある

飛行機もドローンも
なかった時代の人は
上空から見た地図を描いたり
大阪城や姫路城・名古屋城など
高層建物をつくったりした

現代人から
上から観る・全体を観るという
「鳥瞰力」
がおちている

2 親方はやり方を教えなかった

料理や芸・工芸の世界では
親方はやり方を教えなかった

親方は弟子を自分のそばに
張りつかせて

やってみせた
見せて
学ばせた

ああだ
こうだ
と口で説明するのではなく

自分がする姿を
見せて
習得させた

親方がやった結果が
素晴らしければ
弟子は
その親方の結果に
どのようにしたら
自分はたどり着けるだろうかと
粉骨砕身して
身に付けようとした

親方は
自分でやってみて
結果を出した

結果が、すべてだった

その結果を観た人が
どうしたら
その結果になるのだろうか
と考え
それを身に付けたいと思い
動き出す

学んだ人の結果が
出てはじめて

親方の「思想」が
伝わった

技や方法論だけではなく
思想を習得すること
が大事だった

学びの本質はこれである

旧海軍の山本五十六元師の有名な言葉

技術の継承ではなく
自分がする姿を見せて
結果をだすために
なにをしなければならないのか
を考えさせるという
「思想」の承継の教え
だった

しかしそんなことをいったら
誰も集まらない
ようになった

そんなの
めんどくさい

3 この人についていきたいと思う「姿」が見えない

現在の教えと学びは
技術論が中心

こうじゃないの?
こうすればいいんじゃないの?

という教えと学びが中心になった

それも、簡単に、時間をかけずに
短期間に、効率的に、楽に
マスターしたい
一人前になりたい
と考えるようになった

ビジネスの世界もそう
企業の創業者は
自らが動いて
結果を示して
会社を大きくした

みんな
その姿を見て
ついていった

しかし事業継承者や
サラリーマン社長は
自らはしないで
言うだけで
結果を示さない

だからみんな
ついていかない

なぜか?
この人についていきたい
と思う「姿」が見えない
だから「思想」が伝わらない

4 見てわからんやつは、聞いてもわからん

子どものころ、父から、こんなことをいつも
言われた

見てわからんやつは
聞いてもわからん

「それをした」
「それをやりとげた」
という事実こそが結果である

結果がないこと
結果が見えないことは
虚構にすぎない

親方・トップ・先輩が
結果を残していく姿を見て
どのようにしたら
その結果を導けるだろうと考え
自らの方法を構築して
結果を残せたとき

親方・トップ・先輩の
「思想」がつかめた
ということとなったが

この学びがなくなった

生産性とか効率化とか
の名のもとで
マニュアル化が進み
IT化によるプロセスの
ブラックボックス化が進み
全体が見えなくなった

日本人の想像力が、モノづくりの本質である
その想像力が弱くなってきている

たとえば花嫁の差し色
「紅一点」を差すことで、全体を変えた。小さなものに意味を付与して全体を大きく変えた

日本画は、障子や襖や屏風・衝立などへの小さな点から始めて、連鎖して広げていくという描き方をした。一発勝負だから集中して描いた

それがパソコンを使うようになって、簡単に消したり加えたりして広げられなくなった。パソコン時代になる前は、ゴールのイメージを持っていた。どのようにしたら施主に満足してもらえるのか、どういう姿を自分はめざそうとしているのか、完成までの過程(プロセス)を想像するといった力が、パソコン時代になっておちていった。エンジニアリング・マニュファクチャリングの基盤が落ちていった。こうして本物がつくれなくなりつつある

note日経COMEMO(池永)「ニセモノの反対はホンモノか?」

人と人の交流など
ビジネスで大切だったが
そんなの非効率、無駄だ
と切り捨てられ

人から人への「思想」の承継
が減っていった

やり方は伝わっても
「思想」が伝わらなくなった

これが結果を残せなくなった
理由である

さらに
テレワーク・オンライン・リモート化
DX・生成AI化が進んでいる

生産性・効率性・利便性の向上が必要
そのための学び直しが必要だ
DX・AI、生成AI化に
対応していこうとする反面

人と人の交流が
おざなりになっている

人と人の教えと学びが
めんどくさいと
思うようになっている

これから、さらに
人のチカラが
おちていくかもしれない

まだ、そのチカラを持つ人がいる
現在の間に
人から人への「思想」を承継しないと
まだ間に合う


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