大学は、対面授業でないといけないのか?
みなさん、「with コロナ」と言っていても、頭では「zero コロナ]では
みなさん、コロナとの生活慣れてきたでしょうか。最近の報道で、科学論文の引用も多く報道されるようになり、コロナウィルスの変異の速さ、つまりコロナと継続的に私たちが付き合い続ける可能性についても、報道され議論されるようになってきました。
このことは、私たちのこれからの生活は「wiith コロナ」の生活になることを意味しているのではないでしょうか。しかし、そのことは100%理解できているわけではなく、も口では、「with コロナ」と言っていますが、頭の中では、「zero コロナ」を前提に物事を考えているのではないでしょうか?
「6割の大学で対面授業中心に 21年度、正常化へ手探り」という記事も、おそらく「zero コロナ」前提だと思うのです。これから議論すべきは「with コロナ」時代の大学運営だと思うのですが。
「with コロナ」時代の正常化の定義は?
まず、論点をこの「6割の大学で対面授業中心に 21年度、正常化へ手探り」にあるように、大学の授業に絞り込みましょう。そして、この記事を再度読み込みましょう。
変異した新型コロナウイルスなどへの警戒感が強まるなか、遠隔授業からの切り替えがじわりと進む。
という文章もあるように、この記事ではこれからもコロナと向き合い続ける必要性について述べています。つまり、「with コロナ」時代になるかもとは、説明しています。しかし、「遠隔授業からの切り替え」という言葉が登場します。この「切り替え」という言葉中心に考えると、「遠隔授業=非常時の一時的な行為」で、「対面授業=本来あるべき授業の姿」と整理が背景にありそうです。
この整理論は、「zero コロナ」では、私も合意する考えです。しかし、これからの時代は、「with コロナ」であり、その時代では必ずしも、正しい答えではないと思います。大学の講義室は、一般には全員が出席すれば、「密」な状態です。そして、大学の後期や、大学院では、学生同士の共同研究や、議論が熱くなり、別な「密」が生まれます。大学の教師としては、学生に多くを学ばせたいと思う一方、健康でいて欲しいと考え、このことが2020年度の大学運営の大きな論点の根にありました。今多くの大学では、「with コロナ」の大学運営を模索しており、その答えは「対面授業の切り替え」ではないと考えている方が多いのではないでしょうか。
多くの教師が考えているのは、遠隔授業と対面授業の組み合わせが、これからの授業のスタイルにということではないでしょうか?
21年度から対面に軸足を置く背景には新入生や保護者らの不満に加え、国による要請がある。
なぜ、「国は対面授業の要請」をするのでしょうか?「with コロナ」時代に。国が「zero コロナ」になる対策、つまりコロナウィルスをアンダーコントロールできるのであれば、要請は可能でしょう。しかし、自然現象を制御できないことは、誰でも知っている事実です。「コロナに勝つ」というのは、「コロナをなくす」ことではなく、「コロナのリスクを知りながら、コロナと適切に付き合うこと」でしょう。
つまり、国が要請すべきことは、「with コロナ」時代な適切な授業スタイルを検討し、実行して欲しいということではないでしょうか?それこそが、正常な授業スタイルであり、すべてを対面授業にすることではないでしょう。
そして、正常な授業スタイルは、対面授業の方が学生に学びが多い授業は、「対面授業」。遠隔授業の方が学生に学びが多い授業は、「遠隔授業」。このように、学生の学びの効果から、定義するのは正常なのではないでしょうか?その学生にとっての価値判断もせずに、すべて「対面授業」に戻すというのは、論理的ではなく、科学的でもないのではないでしょうか。
つまり、これから必要なのは、「with コロナ」時代の、学生にとって学びの多い、つまり日本の成長に有効な授業のスタイルの探索、施行、実行なのでしょう。
遠隔授業の価値も高い
私も、2020年度は、東大、北大、早稲田大学で、授業を行い、すべて遠隔授業でした。北大の授業においては、私自身、北海道にすらいませんでした。
では、これらの遠隔授業は、対面授業に劣っていたかと言えば、正しくは対面授業に劣っている部分と、対面授業よりも効果的だった部分があります。遠隔授業は、学生の自習もオンラインになり、その姿を丁寧に見ることも可能です。そして、教室が不要なオンライン授業では、学生が許せば、十業時間を延長することも容易です。つまり、一概に対面授業でないといけないということにはならないのです。
少し、海外の大学の例を紹介しましょう。
上記のアメリカのフェニックス大学は、オンライン大学です。さまざまな、学生が授業に参加しています。働きながら学ぶ方も多いでしょう。オンライン、かつオンデマンドの授業であれば、学生が大学の時間割に合わせるのではなく、学生のタイムテーブルに授業を合わせることもできます。遠隔授業や、オンライン授業にも良さはあるのです。
授業を行う教師の事情も、遠隔授業、オンライン授業では変わります。今までは、他の大学の教師が、授業を行うのは出張前提でした。従って、1週間の集中講義を、他大学で行う場合は、1週間の出張が必要でした。この出張は、ある意味に教師のモチベーションであるのも事実ですが、多くの場合、招聘したい先生とのスケジュール調整が大変でした。ところが、遠隔授業がもっと普及すれば、さまざまな教師の講義を、その大学で受講できるのです。
つまり、遠隔授業には遠隔授業の価値があるのです。必ずしも、対面授業が絶対的な優位とはなっていないのでしょう。
そして、大学の講義、研究の価値の再定義を
この議論を突き詰めていくと、今求められている大学での学生の価値ある活動の定義の議論になると思います。これだけ、情報がインターネットで調べられるときに、大学で教師から学生が授業を受ける価値とは何か。そして、大学で学生が初期研究者として研究をする価値とは何か?
これらの価値がもっと明確になったら、本当のこれからの大学の授業の形式が決まるのでしょう。
最後に、この「6割の大学で対面授業中心に 21年度、正常化へ手探り」の記事に関して言えば、可能ならば、主要大学の大学別の授業形式の調査がありますが、科目または学科別の調査が欲しかったところです。教える領域によって、対面授業でも行えるものと遠隔授業で行えるものがあるはずです。その議論と導入の方が、もっと重要な項目のように思います。
この議論は、他の社会活動でも
この大学の、対面授業、遠隔授業の議論は、会社の仕事でも同様の議論があるのではないでしょうか。「with コロナ」時代の持続可能な働き方は。つまり、「出社・出張が必要な業務」と「遠隔地(主に自宅)からの業務」の整理です。これからは、地球温暖化に伴い、今回のような人獣共通感染症は、増加するかもしれません。
そして、その議論は、司法、行政、立法という領域でも必要な議論かもしれません。司法手続きを遠隔で行えるものや、その比率。行政手続きの遠隔(オンライン)比率。このような議論が、大学の授業同様にあるのでしょうね。